第30話 池底湖

 湖の様子を確認したカルロス達は、マルコと役所の前で別れた後、近くの飲食店で昼食を取ることにした。


「ミノタウロスが森の泉にいるのも違和感があるが…まずは湖の割れ目を調べたいな」

「はふはふ、そうですね。あ、このお魚美味しい」


 テーブルの上に並んだ魚料理に舌鼓を打ちつつ、カルロスとナディアは今後の動きについて話を進める。湖で新たに漁業ができない状況であるが、この店では長期保存が効くように工夫をして魚介類を管理しているようで、カルロス達もいくつか魚料理を注文したのだ。


「ナディアも何か気になることがあるんだろう?」

「えっ?」

「さっき泉を見に行った時、何か考え込んでいただろう?」


 カルロスの問いかけに、ナディアは少し考えを巡らせた後、おずおずと口を開いた。


「うーん…多分なんですけど…泉には元々別の何かが住んでいたんだと思います。その気配の残滓と言いますか…うまく言えないんですけど何かを感じたんです」

「そうか」


 ナディアの言葉にカルロスも顎に手を当てて逡巡する。


「ナディアの言う通り、恐らくあの泉を住処にしていた何かがいたんだろう。だが、ミノタウロスに占拠されてしまって仕方なく別の地に移動しているのかもしれない」


 泉を住処にしていたということは、清らかな水場を好む生き物なのだろう。泉を追われた後、新たな住処を求めるとしたら…どうするだろうか。


「うーん、考えていても仕方がない。まずはこの料理をしっかり堪能したらもう一度湖へ行こう」

「はいっ!」


 そうしてカルロスとナディアはテーブル一杯の料理をペロリと平らげたのだった。その様子に店員はギョッとした顔で立ち尽くしていたのだが、カルロス達は全く気づかなかった。



◇◇◇


「さて、どうするかな」


 カルロス達は食事を済ませた後、再び湖の割れ目の前に訪れた。改めて割れ目を覗き込むが、依然として中の様子は真っ暗で分からなかった。


「どれぐらいの深さなのでしょう」

「うーん、かなりだな」


 カルロスは少し思案した後、外套の留め具を外してナディアに羽織らせた。


「ご主人様?どうされたんですか?…スー…ふへへ相変わらずいい匂いです」

「だから匂いを嗅ぐな。地下に降りたら気温がぐんと下がるだろうからな。ナディアは寒さに弱いしこれを羽織っていろ」

「へへ、ありがとうございます。ん?地下に降りたら?」


 幸せそうに外套を抱きしめるナディアが、目をパチパチさせてカルロスを見上げた。


「ああ、悩んでいても仕方がないしな。降りるぞ」

「でも、どうやって降りるんですか?飛び降りるには深すぎますよね」

「流石に飛び降りたら俺でもタダじゃ済まないな」


 ナディアの問いにカルロスが苦笑する。そして杖を掲げると、ふわりとやわらかい風が吹き、カルロスの体が包み込まれるように浮き上がった。


「ナディアは飛べるから大丈夫だな。このままゆっくり下に降りて行こう」

「………分かりました」


 地面から少し宙に浮いた状態のカルロスを見て、何か言いたそうに目を細めるナディアであったが、諦めたように息を吐いた。そして、ナディアもふわりと浮かび上がり、二人はゆっくりと割れ目の中に足を踏み入れた。



◇◇◇


 割れ目の中に入った途端、ひやりとした空気が肌を撫でた。ナディアはしっかりと外套で身体を包み込みながら、カルロスは杖の先に小さな灯りを灯しながらゆっくりと高度を下げていく。地下に何があるか分からない上に、光が強すぎると未知の生物を刺激してしまうかも知れないため、二人の周囲をぼんやり照らす程度の灯りに留めていた。


 暗闇の中はしんと静まり返っているが、次第にピチョン、ピチョンと水滴の滴る音が聞こえ始めた。


「やっぱり地下に水が溜まっていそうだな」


 ナディアにだけ聞こえるほどの小さな声でカルロスが囁く。ナディアはこくりと頷き、下を見た。次第に暗闇に目が慣れてきて、ぼんやりとであるが、ゴツゴツとした岩肌が視認できるようになってきた。


 どれほど地下へと降りただろうか。カルロス達が入ってきた割れ目はもう随分と小さくなっていた。その時、微かに差し込む光により、チカっと何かが青く光った。そして、水の上を跳ねるような音や歌声のような音色が聞こえ始めた。

 カルロスは注意深く辺りを見つつ、少し灯りの範囲を広くして周辺の様子を確認した。どうやら地底まで到着したらしい。


 足元に現れたのは、巨大な水溜まり・・・・だった。

 ちょうど足場になるような地面を近くに見つけ、カルロス達はそこへ降り立った。


「これは…まるで池底湖だな」


 カルロスは感嘆したように息を吐いた。やはり割れ目から流れ落ちた湖の水が、そのまま地下に溜まっていたようだ。水を泳ぐ生き物の気配もするため、魚達もそのまま流れ落ちてここで生息しているのかも知れない。


 カルロスがもう少し周囲を確認しようと灯りの出力を強めたその時、


 ーーーヒュンッと何かがカルロスの頬を掠めた。


「っ!気をつけろナディア、何かいるぞ」

「はっ、はい!」


 カルロスは咄嗟にナディアを背に庇い、何かが飛んできた方へ杖を突き出し、《結界バリア》を盾のように展開すると、ベシッベシッと続け様に何かが《結界バリア》に当たって弾けた。


「…これは、《水球ウォーターボール》?」


 弾けた水がかかり、湿った髪に触れながらカルロスが言った。

 カルロス達目がけて勢いよく飛んで来たそれは、巨大な水の塊であった。


 明確な敵意にさらされていると判断したカルロスは、杖の先に灯していた灯りを前方へ放ち、周囲を眩く照らした。光に照らされて浮かび上がったそれは、身体が透過して背景が透けて見えていたが、女性の姿を形取っていた。水のように揺蕩たゆたう青みがかった髪が、神秘的に宙に漂っている。


「ま、まさか…ウンディーネか?」


 カルロスに敵意を向けていたのは、水の精霊・ウンディーネであった。

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