第29話 アスル湖

「でしたら私も同伴します。岩が積み上げられている場所や大穴の場所まで案内できますので」

「それは助かる」


 湖に向かうと決めたカルロス達に、マルコはありがたい提案をしてくれた。カルロスは遠慮なくその申し出を受けることにした。


「よろしければこのまま向かいますか?私もこの時間でしたら手が空いておりますが…」

「そうだな、早いに越したことはない。早速向かうとしよう」


 とんとん拍子に話がまとまり、カルロスとナディア、そしてマルコの3人は役場を後にし、アスル湖へと向かった。


◇◇◇


「アスル湖の湖畔へは、街の北西の門から向かうことができます。砂浜が綺麗でして、去年までは湖に泳ぎにきた観光客の皆様で大変賑わっていました」


 北西の門に向かいながら、マルコは湖について色々と話を聞かせてくれた。

 サルモンはアスル湖と共に発展してきた街であり、街の住人はそれはそれは湖を大事にしているという。飲料水や魚など、生活に必要なものも多く湖の恵みで賄って来ており、皆口には出さないが、湖がこのまま元に戻らないのではないかと危惧しているようだ。


「さ、着きましたよ」

「近くで見ると、想像以上に広いな」


 門をくぐって下り坂を歩いた先に、広く白い砂浜が現れた。今は水がないため湖と砂浜の境界は分からない状態だが、目の前に広がる広大な土地にカルロスは感心した。くぼみはそこまで深くないため、遠浅な湖のようだ。


「少し距離がありますが、まずは堰き止められた水路へ向かいましょう。皮肉にも水がないので湖を突っ切って行けますので、ついて来てください」


 マルコは自嘲気味に言うと、斜面を下り湖底を歩いていく。カルロスとナディアもそれに続いて辺りの様子を見回しながら歩いていく。


 キョロキョロ辺りを見回していたナディアが、妙案を思いついたというようにニヤリと悪い笑みを浮かべてカルロスの側で小声で言った。


「ご主人様ご主人様っ!私だったらこの湖を水でいっぱいにすることなんて容易いですよ!?ご主人様がぁ〜お願いとして?言ってくれたらぁ〜…なんて」



 確かに、ナディアの力を使えば瞬く間に湖は元通りになるのだろう。


「なるほどな。だが、ただ湖を満水にすればいい訳じゃなくて、今回については湖が干上がった原因がどこかにあるはずなんだ。その原因を絶たないことにはいくら水を入れたところで同じことの繰り返しになると思うんだよ」

「ぐぅ…ごもっともです…ぐぅの音も出ません」

「今言ってなかったか?」

「言ってませんよ…ぐぅぅ」


 カルロスの正論に納得しつつもナディアは唇を尖らせる。面白かったので、突き出た唇を指で突いてやると、「なっ何するんですかっ!」とナディアは顔を真っ赤にしてそっぽを向いてしまった。




 そのまま湖を突っ切る形で対岸へと進むと、マルコが言っていたように、ネグラ山脈から伸びる広い水路にいくつもの大きな岩が積み重なっていた。どれもカルロスの身長を超えるほどの巨大な岩で、見上げるほどの高さまで積み上げられていた。


「なるほどな。これは人間業ではないな」

「ええ…自然にできたものとも思えませんし、やはり魔物が関わっているとしか…」

「ふむ、まだ確信は持てないが十中八九そうだろうな」


 カルロスの言葉に肩を落とすマルコ。認めたくはない推測でも、他人に同意されては信憑性もぐんと増し、しっかりと向き合わざるを得なくなる。

 マルコは小さく嘆息すると、再び湖に向き直り、


「では、このまま割れ目も見に行きましょうか」


 と進む方角を指差して歩き始めた。


 ネグラ山脈を左に見て、湖の沿岸を進んで行くと、まもなく該当の場所へと到着した。マルコにここだと言われるまでもなく、その場所は、ポッカリと地面がなくなっていた・・・・・・・・・・。そう称してもおかしくはないほど、何キロにも及ぶ巨大な割れ目であった。


「これはまた凄いな」

「ひゃぁ〜…どうなってるんですかこれ」


 カルロスは、杖で割れ目付近をつついて足場の安全を確認すると、ひょいと割れ目を覗き込んだ。ナディアもカルロスの外套を掴みながら、おっかなびっくり下を覗き込む。マルコは恐れ知らずな二人の様子を顔を真っ青にしながら見守っていた。


「随分深いな」

「真っ暗で何も見えないですね」


 割れ目の奥深く、地下には流れ落ちた湖の水が溜まっているはずだ。カルロスの予想では、この足元深くに池底湖のようなものができていると踏んでいた。カルロスが目を細めて暗闇を見つめると、きらりと青白い光が一筋走った気がした。


「うーむ。何かありそうだが…下に降りてみないと分からないな」

「降りますか?」

「えっ!?ちょっと!!!?流石に危ないですよっ!!」


 カルロスとナディアが平然としながら割れ目から中に入る算段をつけ始めると、マルコが慌ててそれを静止した。血の気が引きすぎてこれ以上刺激を与えると倒れてしまいそうだ。


「それにまだ泉の案内が残っていますので!そちらに参りましょう!」


 カルロスとナディアは顔を見合わせると、割れ目から離れてマルコの元へと戻った。


「すまない。知的好奇心をくすぐられてしまった」

「は、はは…好奇心…無茶しないでくださいよ…」


 マルコはヒクヒクと頬を引き攣らせながらも、気を取り直したように案内を続けてくれた。

 該当の泉までの道は少し複雑で、マルコの案内がなければカルロス達は山を途方もなく彷徨うことになっていたかもしれない。腰ほどにもある草の根をかき分け、道なき道を進みながら、マルコがカルロス達に忠告した。


「水路と割れ目には魔物の姿はありませんでしたが、泉には恐らく魔物の群れが生息しています。ですので、少し離れた位置に身を隠して泉を確認していただきます。くれぐれも!無茶なことはしないでくださいね!」

「あ、ああ。気をつける」


 少し目を血走らせながら語気を強めて釘を刺すマルコ。自由なカルロス達の様子に肝を冷やしているのだろう。カルロスはマルコの前では無茶をしないように心に留めておくことにした。


「…確か、この辺りだったはず…あっ!あそこです!」


 身を屈めて身体を隠しつつ草むらを進むと、少し開けた岩場に出た。その場所は、該当の泉が見下ろせる位置となっていた。


「ひっ…!」


 先に岩場からそっと顔を出して泉を確認したマルコが、小さな悲鳴を上げて後退りした。カルロスとナディアも同様に岩場の隙間から泉を見下ろした。


「いるな」


 眼下に広がるのは、透き通った美しい水が溢れんばかりに湧き上がる泉であった。泉の周りには色鮮やかな草花が生い茂り、例えるならば妖精の住処のようである。

 だが、その場所に群れをなしているのは妖精とは程遠い風貌の魔物であった。


「あれは…ミノタウロスでしょうか?」


 カルロスの横から眼下を覗いていたナディアの言う通り、2本の大きなツノを持つ獰猛な魔物であるミノタウロスが、ざっと確認できるだけでも10頭はいる。


「ああ、そのようだな。だがなぜミノタウロスがこんなところに?」


 ミノタウロスの住処は、薄暗い洞窟深くや険しい山の奥であることが多い。このような緑豊かな泉に住み着く事例をカルロスは聞いたことがない。やはり、この付近の生態系に何か異変が起こっているのだろうか?


 カルロスは、もう少しじっくりと泉の様子を確認しようと身を乗り出そうとしたが、マルコに袖を引かれて静止された。


「だだだ駄目ですよ!これ以上は!気取られなければ奴らは襲って来ません。変に刺激しないでください!」

「す、すまない」


 マルコの勢いに圧倒されたカルロスは、言われた通りに身体を引っ込めた。


「湖周辺の異変についてはこれで以上です。ささっ!奴らに気づかれないうちに早く街へ戻りますよ!」


 そしてマルコに促されるがまま、カルロスは後ろ髪を引かれつつもその場を後にした。ナディアも何か違和感を感じているのか、顎に指を添えて何やら首を傾げて思案しているようだ。




 無事、山を降りて湖に出ると、マルコは緊張の糸が切れたように脱力した。


「はぁ〜…やっぱり魔物は恐ろしい…」

「案内してくれて感謝する。悪いな、本当は怖いのにわざわざ出向かせてしまって」

「いえっ!これでも湖の管理を承っているのです。少しでも解決の糸口に繋がるのであれば、できる限りのことはしますので」


 引き攣った笑みを浮かべながらもきちんと自分の責務を全うしようと努めているマルコ。カルロスは、臆病だが芯の強いこの男のためにも、湖の異変の原因を突き止めたいと思った。だが、これ以上の調査は彼の前では難しいだろう。危険も伴うし、刺激が強すぎて泡を吹いて倒れてしまうかもしれない。


 該当の場所は全て把握できたため、ひとまずは街へ戻り、改めてナディアと二人で調査を進めようと思いつつ、すっかりくたびれた様子のマルコの後ろ姿に、カルロスは心の中で頭を下げたのだった。

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