第22話 豚人族の話

「う〜〜〜〜ん、よく寝たぁ」


 山賊のアジトで夜を明かしたナディアは、小屋に差し込む朝の日差しで目を覚ました。空いている中で一番大きな小屋を借りて、カルロスとナディア、そして豚人族オークの3人は川の字になって眠っていた。万一夜中に豚人族オークが目覚めて暴れることを懸念し、豚人族オークをカルロスとナディアで挟む形になっていたため、ナディアの隣には豚人族オークの大きな体が横たわっている。


「ん?」


 ナディアが豚人族オークが寝ている側へと寝返りを打つと、同様にこちらを向いていた豚人族オークのギョロリとした瞳と目が合った。


「どわぁぁぁっ!?」


 思わず大声を出して飛び上がると、そのナディアの声でカルロスも目が覚めたらしく、モゾモゾと身じろぎしながらゆっくりと体を起こした。


「ん…なんだ?」


 まだぼんやりと微睡んでいるカルロスの様子に、ナディアは可愛い!と内心でキャッキャと心を躍らせたが、それどころではないとすぐに気づきカルロスに訴えた。


「ご主人様!豚人族オークが目覚めたようです!!」

「ああ、そうか。目が覚めたのか」


 カルロスはあくびをしながら立ち上がり、豚人族オークの顔を覗き込んだ。


「…ここはどこだ?私は一体何を…うっ」


 自分の置かれた状況を整理している様子の豚人族オークであるが、起きあがろうとして小さく呻き声を上げた。


「無理するな。まだ体が回復しきっていないんだ。ほら、水だ。飲めるか?」


 カルロスが豚人族オークの大きな体を支え、何とか上体を起こす。豚人族オークは何とかコップを口に運び、水を含んだ。


「…すまない。感謝する」


 水で喉を潤した豚人族オークは、深く息を吐き出すとカルロスに感謝の言葉を口にした。


「ああ、気にするな…で、ナディア、お前は何をしているんだ?」


 カルロスが豚人族オークを介抱している間、ナディアは警戒心丸出しで盾のように構えている布団から顔だけ覗かせて壁際に立っていた。


「あ、いえ。ちょっと…えへへ」


 昨日瘴気で凶悪化した豚人族オークに酷い目に遭ったのだから仕方がないか、とカルロスは困ったように微笑んだ。そして安心させるかのようにナディアを手招きする。ナディアは布団を抱えたまま恐る恐るカルロスの近くへ行き、隠れるように背面に身を潜めた。


「昨日浄化したから大丈夫さ。だが念には念をだ。少し診させてもらうが構わないか?」

「ああ、好きにしてくれ」


 カルロスは豚人族オークに断りを入れてから、手に術式を展開して豚人族オークの頭から足までゆっくりと手をかざしていく。


「ご主人様?何をなさっているのですか?」


 その様子に興味津々なナディアは、カルロスに尋ねる。


「ああ、《診察サーチ》しているんだ。外傷だけじゃなく身体の中の状態も把握できる。まあ自己流なんでそこまで精度は高くないがな」

「へ、へぇ〜〜…」


 腕の立つ上位治癒師でもそのような技術を持つものは一握りではないのだろうか。それとも自分が長らく外界に出ていない間に治癒師のレベルも上がったのか、とナディアは一人で問答しながら、涼しい顔で診察を続けるカルロスの横顔を見る。


 それにしても昨日の剣技もそうだが、治癒魔法に浄化、役職を超越したカルロスの技術は普通ではない。そもそもナディアが出会ったベルデの町では、町長のバルトロと古い仲だと言っていたが、カルロスの外見はせいぜい20代の後半。そのような若さで身につけるには高すぎる魔法や技術の数々。それに100年前の瘴気の影響も、まるで自らの目で見て来た・・・・・・・・・かのように語っていた。今回の一件でカルロスの謎がますます深まったナディアである。


「うん、問題ないな。綺麗に瘴気は抜けている」

「…その、瘴気というのは一体何なんだ?」


 大人しくカルロスの診察を受けていた豚人族オークは、先ほどからカルロスとナディアが何の話をしているのかサッパリ分からないといったように首を傾げている。


「ああ、俺もお前には色々聞きたいことがあるんだ。まあとりあえず朝飯を食って、役者を揃えてから話をしよう。何事もまずは腹ごしらえからだ」

「おーっす、昨日はよく眠れたか…?ってどわぁぁぁ!?お、起きたのか?」


 ちょうどその時、アルトゥロがドアをノックしながら小屋に入って来た。豚人族オークの意識が戻って体を起こしていたことに驚いた様子だ。そんなアルトゥロにナディアがプリプリしながら食ってかかる。


「ちょっと!ノックの返事を待たずにレディがいる部屋に立ち入るとは何事ですか!」

「ハァ〜??レディ?どこにそんな別嬪さんがいるんだぁ?」

「むきぃぃっ!許しませんよ!」

「ナディア落ち着け」


 カルロスに嗜められて、アルトゥロに飛びかかろうとしていたナディアは不満そうに口をへの字に曲げた。


「すっかり仲良くなったみたいだな」

「「どこが!?」」

「その辺りが」


 カルロスに指摘されてピッタリ息のあった返事をしたナディアとアルトゥロは目を合わせると、気まずそうに視線を逸らせた。


「まあそんなことはさておき、朝飯の用意ができたぜ。豚人族オークの旦那もずっと眠ってたんだ、腹減ってるだろ。行こうぜ」


 アルトゥロに続いてカルロス達が小屋を出ると、アジトの中央の広場ですでに山賊達が大きな鍋で作られたスープを囲んでいた。その輪に混じり、カルロス達もスープに口をつけた。野獣の肉や野菜がゴロゴロしたなかなかの男飯という感じだったが、味は悪くなかった。


「さて、と。万全じゃないところ悪いんだが、そろそろ話を聞かせてもらいたんだが、いいか?アルトゥロも同席してくれ」

「ああ、問題ない」

「あたぼうよ!おい!お前らはいつも通り狩りに行っててくれ!

「へいっ!」


 アルトゥロが他の山賊達をアジトの外へ出してくれたため、話し合いの場には、カルロスとナディア、そして豚人族オークとアルトゥロの4人が残った。


「まずは名前を聞かせてほしい」

「俺の名は、ウーゴ。見ての通り豚人族オークだ」

「よろしくな、ウーゴ。俺はカルロス。こっちはナディア…それから…」

「アルトゥロだ…旦那、俺のことは分かるかい?」


 簡単に自己紹介を済ませ、アルトゥロが恐る恐るといった風に豚人族オークのウーゴに尋ねる。が、ウーゴはじっとアルトゥロの顔を見た後、静かに首を振った。


「…すまない。思い出せないようだ」

「…そうか」


 アルトゥロは残念そうな、ホッとしたような複雑そうな表情をしている。


「やはり瘴気に蝕まれた期間の記憶が混濁しているようだな。ウーゴ、これから話すことはお前にとったらかなり辛い内容になると思うが、聞く覚悟はできているか?」


 カルロスが真剣な顔つきでウーゴに向かって言う。するとウーゴは、自身の蹄に視線を落として息をついた。


「ああ、覚悟はできている。長く大工として生きて来た俺の手は、ずっと熟れた木材の芳醇な香りがしていて、俺はその匂いが好きだった。だが、今の俺のこの蹄には、人間の血の匂いが染み付いている。俺はきっと犯してはならない罪に身を染めたんだな」


 そのあと、カルロスは知る限りの経緯をウーゴに話した。そして、補足するようにアルトゥロから彼らの関係について話してもらった。

 アルトゥロは、彼らがこのアジトに身を隠すようになってからしばらくして、渓谷を下った先の広場で偶然ウーゴと出会ったらしい。他の魔物を襲い、喰らっていたウーゴを前に命の危険を感じたようだが、ウーゴから命を奪わない代わりに人間の女を差し出すように交渉を持ちかけられたという。その時、近くに仲間の山賊達が来ており、指示に従わなければアルトゥロの命だけでなく、奴らの命もないと脅されたみたいだ。

 やはりアルトゥロは仲間の山賊達をウーゴから守るために、ウーゴの指示に従っていたようだ。アルトゥロが人間の女を連れて行き、ウーゴは金で人間の女を買い、名目上は人身売買という形で関係を続けて来たという。

 彼の話によると、商人の娘が一人と、旅の娘が一人、犠牲になったようだ。カルロスは静かに目を閉じて彼女達の冥福を祈った。


「…そうか」


 カルロス達が一通り説明を終えると、静かに耳を傾けていたウーゴは、深く息を吐くと頭を抱えるようにして俯いた。


「俺は、何ということを…ぐぅっ」


 ウーゴの足元に、ポタリポタリと大きな雫が滴り、乾いた地面に静かに吸収されていった。ウーゴはしばらく声を殺して涙を流していた。


 ウーゴが落ち着くのを待って、カルロスが問いかけた。


「ウーゴ、お前は本当は真面目で優しい豚人族オークなんだな。そんなお前が人を手に掛けるようになったのは、恐らく瘴気の影響だ。黒い靄のようなものなんだが、どこかで触れた覚えはあるか?」


 ウーゴはズビッと鼻を啜ると、申し訳なさそうに首を横に振った。


「すまない。本当に何も覚えていないようだ…元々俺は大工として各地を回っていたんだが、最後に記憶があるのはここから北東にあるサルモンという街での仕事だな。そこで役場の建て替え工事を引き受けて、完成した後に…ああ、確か久しぶりに王都へ向かおうとしたんだ。サルモンを出て一人山道を進んでいて…うっ」


 記憶を辿っていたウーゴは、自らの行動を思い出そうとしたが、鈍い頭痛を覚えて頭を抑えた。


「無理するな。半年以上も瘴気に侵されていたんだ。昔、ウーゴと同じように瘴気に侵された奴を何人も見たことがあるが、皆、瘴気に蝕まれている間の記憶は欠落してしまっていた。恐らくウーゴもどこかで漏れ出た瘴気を浴びたんだろうな」


 ウーゴの肩に手を乗せ、優しく語りかけるカルロス。そして神妙な顔をして言った。


「だが、魔王が討たれてもう100年が経つ。各地に溢れていた瘴気は全て浄化されたはずなんだが…今になってどこから発生したんだ?瘴気は意思を持つかのように、魔物や人間の体に入り込む。もし何処かに瘴気の残滓が残っているなら、なるべく早く浄化しないとウーゴと同じ被害者が出てしまうな」

「ご主人様!その瘴気の根源を探しましょう!ナディアはどこまでもお付き合いいたします!」


 考え込むカルロスにナディアが明るい声で言った。


「元々私たちは各地を旅して回ると言っていたのです!その目的が一つ増えるだけですよ!」

「ナディア…そうだな、付き合わせることになるが構わないか?」

「もちろんです!ご主人様の向かう所なら例え火の中水の中!お供いたします!」

「ふっ、それは心強い」


 カルロスはどこまででもついて行くと言うナディアの言葉に励まされる。


 そうだ、ここで頭を悩ませていても何も事態は変わらない。何より情報が少なすぎる。

 カルロスは、この平和な国に不穏な影が忍び寄っている気配に胸がざわついて仕方がなかった。

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