第20話 瘴気

「ま、魔王って…100年前に勇者に討たれた筈ですよね!?今になって魔王の影響を受けた魔物が現れるなんて…」


 ナディアはカルロスの答えを聞き、絶句する。


「ああ、俺も正直驚いているよ。100年前はこの豚人族オークのように魔王の瘴気に当てられて凶悪化した魔物を何体も見ていたからな。その時の様子とこの豚人族オークの状態があまりにも酷似していたんで、もしやと思ったが…嫌な勘というのは当たるもんだな」


 カルロスによると、瘴気とは魔王から漏れ出た魔力がその地に影響を及ぼし発生したもので、疫病や魔物の凶悪化をもたらすものだという。魔王が討たれた後も、魔王が居住していた地や争いが酷かった地には、死して尚その瘴気が色濃く残ってしまい、その瘴気に長時間当てられた魔物は瘴気に蝕まれ、平静を失い凶暴な性格へと変貌してしまったという。


「何年もかけてそういった土地を浄化して回って、全て終わったと思っていたが…確認が漏れていた地域があったのか?それとも…」


 思案顔でぶつぶつと独り言を呟き始めるカルロス。物思いに耽っていると、よろよろとふらつきながらアルトゥロがカルロス達の元へと近づいてきた。


「こ、これが豚人族オークの旦那…なのか?」


 すっかり従来の姿に戻り、都でもよく見かけるサイズ感になった豚人族オークを見て、アルトゥロは開いた口が塞がらない様子だ。


「ああ、そうだ。お前とこの豚人族オークの関係は何となく把握している。そこで一つ相談があるんだが」

「ん?なんだ?あんたは命の恩人だ。できることなら何でもするぜ」


 しゃがみ込んで豚人族オークをマジマジと見ていたアルトゥロは、肩越しにカルロスを見上げながら返事をした。


「起きたら色々聞きたいことがあるんだが、かなり強い瘴気に当てられていたからな。恐らく丸一日は目が覚めないだろう。それまでここで待つのも何だし、お前達のアジトに連れて行くことはできないだろうか?」

「俺達のアジトにぃ!?豚人族オークの旦那を…かぁ!?」

「ああ。お前の部下達には豚人族オークと繋がりがあることを知らせてないんだろう?多少騒ぎになるかもしれないが、瘴気の出どころも分からない、この辺りの安全確認もできていない状態で一夜を明かすのも厳しいだろう?俺もかなり魔力を消費してしまったしな。正直休みたい」


 カルロスは肩を揉みながら深いため息をついた。そんなカルロスの提案に、アルトゥロは少し頭を悩ませたが、さほど時間はかからずに快諾した。


「よし!元はと言えば俺が蒔いた種でもあるんだ。そうと決まればさっさとアジトに向かうぜ!」


 吹っ切れたように明るく言うと、渓谷と繋がる木の根に向かっていった。


「アジトに運ぶぐらいどうとでもないのでは?」


 ナディアはアルトゥロが豚人族オークをアジトに運ぶことに少し難色を示したことが疑問らしい。


「んー、そうでもないさ。アルトゥロは他の山賊達に内密で豚人族オークとの関係を持っていた。しかも人身売買をしていたんだ。そのこと自体は山賊達は知っていたが、その取引相手が豚人族オークだということも、豚人族オークに売られた女性達がどのような行く末を辿るかも知らないだろう。恐らくだが今まで売られた女性達は…もうこの世にはいない。そんな悪行に自分達のリーダーが手を貸していた事実も受け入れ難いだろうな。しかも、豚人族オークと関係が切れなかったのは、自分達を守るためだった。何て知ったらどう思うだろうな」

「あっ…」


 ナディアはハッとした顔で俯いた。もし、もしカルロスが自分のせいで手を染めたくない罪に身を投じることになったとしたら…?考えただけでも心が引き裂かれそうになる。


「そうだな、分かるよ。大切な人の足枷になることほど辛いことはない」


 カルロスも身に覚えがあるのだろうか、辛そうに顔を歪ませた。その時、先に渓谷の方へと向かっていたアルトゥロが声を上げた。


「おーい!帰るはいいが、縮んだとはいえ豚人族オークが通れるほどのスペースはないぜ?どうやって連れて行くんだ?」


 手で穴のサイズを確認しながらアルトゥロが言った。カルロスとナディアも木の根に近づく。


「ここ以外にアジトに戻る道はないのか?」

「探せばあるだろうが…俺はこの道しか知らねぇな」


 確かにアルトゥロの言うとおり、気を失い横たわる豚人族オークをこの狭いスペースに通すのは至難の業だろう。


「この壁の厚さはどれぐらいだ?」

「あ?あー…1mから2mぐらいじゃねぇか?掘るにはちっと骨が折れるぜ…っておい、まさか…!?」


 首を傾げて返答したアルトゥロは、カルロスの問いの真意を悟り、さっと顔を青ざめさせた。


「いやいやいや!ちょ、ちょっと待て!それは流石に…壁が崩壊したら危ねぇだろう!」

「うーん、やっぱりダメか」


 すでに杖に魔力を溜めて壁を破壊する準備万端だったカルロスは、仕方なしという様子で魔力を解除した。


「そういえばナディアはいつまでその格好をしているんだ?」


 そして視界に入った桃色の髪を見て、思い出したようにそう言った。


「え?あっ!もう何日もこの姿で過ごしていたので、つい‥」


 頭を掻きながらペロリと舌を出すナディア。そしてその場でクルリと一回転すると、綺麗な濃紺の髪をしたいつものナディアに戻った。服装も元通りだ。何だか随分と懐かしく感じる。


「はぁぁぁっ!?なっ、嬢ちゃんアンタ一体…」


 一方、その様子に腰を抜かしたのはアルトゥロだ。今日は驚かせてばかりで、カルロスは少々申し訳ない気持ちになる。


「騙していてすみません。私、こう見えて魔神をやらせてもらっています」


 ふふんと得意げに胸を張るナディア。魔神を職業みたいに言うんじゃない、と心の中で突っ込むカルロス。


「ま、魔神…?何だそりゃ…」


 アルトゥロは、もはや開いた口が塞がらないと言った様子だ。顎が外れないかが心配だ。


「そうです!魔法も使えるし宙に浮かぶこともできます!」


 ナディアは調子に乗って勢いよく上空へ飛翔した。


「あっ!?」


 そして何やら気付いた様子でカルロスの元へ急降下して来た。


「なんだ?どうかしたか?」


 カルロスが尋ねるとナディアは、


「私が上空からアジトへの帰り道をナビすればいいんですよ!くぅ〜!我ながら何というナイスアイディア!頭が冴える魔神!そう、それが私!」


 興奮して自分を褒め称えた。「そう、活躍の場が少ないけど私は優秀な魔神…やれば出来る子…」と何やらブツブツ言っている。そしてカルロスの返事も聞かずに再度上空へ飛翔し、キョロキョロと忙しなく辺りを見回した。


「ご主人様〜!!こっちです〜!!」


 そして上手い具合にルートを見つけたようで、上空で向かう方向を指差している。


「助かる!そのまま誘導してくれ!」


 …せっかちな魔神は、今回も自主的に主人の役に立っていることに気が付いていない。まぁナディアに願わずとも他の方法を見つけることは出来ただろうが、ここは自称”優秀な魔神”である彼女の顔を立てておこう。


 カルロスは三度小さな竜巻を起こし、豚人族オークの体を風で包み込み運ぶことにした。ふわりと豚人族オークを宙に浮かせながら、チラリと腰を抜かしたままのアルトゥロに視線を向けると、


「お前も運んだ方がいいか?」


 少し意地の悪い顔をしてそう尋ねた。アルトゥロはブスッとしつつも、「大丈夫だ」と言って立ち上がり、ナディアが指差す方へと歩き始めた。

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