第18話 カルロス VS 豚人族

「風よ!」


 カルロスが杖を大きく振りかぶると、鋭い風の刃が発生し、ナディアを締め上げている豚人族オークの腕めがけて勢いよく飛んでいく。


「グガァァァ!!」


 豚人族オークの二の腕に風の刃が直撃し、鈍い叫び声を上げながら膝をついた。その拍子に、ナディアが上空に投げ飛ばされた。


「えっ!?キャァァァ!!」


 ナディアはぎゅっと目を瞑って落下の衝撃に備えたが、カルロスが咄嗟に小さな竜巻を起こし、風でナディアを受け止める。ふよふよと宙を浮かびながらナディアがカルロスの元へと回収されていく。


「怖かっただろう。よく頑張ったな」


 カルロスはそのままふわりとナディアを抱き上げた。ナディアはえぐえぐと嗚咽を漏らしながらカルロスに縋りついた。


「えーーーん!怖かったでずぅぅ」


 よしよしとナディアを宥めるカルロスが、ふと疑問を口にした。


「それより、ナディアの力があれば魔法で簡単に抜け出せたんじゃないか?」

「え?…あっ!」


 そう言われたナディアはキョトンと目を瞬かせ、ハッとしてからその手があったかと頭を抱えた。その様子を見て、村長の娘になりきり過ぎて、自分が魔神であると失念していたんだろうと思い当たり、カルロスは苦笑した。


「完璧な身代わりだったのは褒めるに値するが、今後は自分の身を第一に考えるようにしてくれ」


 ぽんぽんっとナディアの頭を撫でると、カルロスは優しくナディアを降ろし、豚人族オークに向き合った。ナディアは少し名残惜しそうにしていたが、静かにカルロスの後ろに控えた。


 豚人族オークは呻きながらカルロスの風の刃で裂かれた腕を抑えている。ドクドクと血が流れ落ちているが、硬い表皮を少し切っただけで、ダメージは小さいようだ。


「あ、あんた達は一体…」


 状況についていけないアルトゥロが、ポカンと口を開けたままカルロスとナディアを見比べる。


「詳しい話はあとだ。大体のことはナディアに持たせた魔石を経由して把握している。ナディアが世話になったな。とにかく今は一緒にこの場を生き延びることを考えよう」


 豚人族オークに向き合ったまま、カルロスはチラリとアルトゥロに視線を向け、怪我の状態を確認する。さほど深い傷ではないようだが、肋骨を含め何本か骨が折れているようだ。


「ふむ、治癒魔法は専門じゃないんで応急処置レベルだが…《治癒ヒール》」


 カルロスがアルトゥロに手をかざし、回復呪文を唱えると、眩い光の粒子がアルトゥロを優しく包み込んだ。


「…あったけぇ」


 アルトゥロは光に包まれる自分の体に驚きながらも感嘆の声をあげた。完全にとはいかないが、かすり傷程度のものは綺麗さっぱりと治り、折れた骨もおおよそくっついたようだ。これで応急処置レベルなのかとアルトゥロは苦笑した。


「これまでのお前達の行いに目を瞑ることはできないが、ナディアを助けようとしてくれた礼さ」


 カルロスがふっと微笑むと、カルロスとアルトゥロの様子を見ていたナディアが嬉しそうに笑みを浮かべた。


「グッ…許さ、ナイ。誰ダ」


 ゆっくりと立ち上がり、怒りを露わにカルロスを睨みつける豚人族オーク。流血が止まっている。筋肉を膨張させて腕の傷を止血したようだ。


「ん?俺か?俺の名はカルロス。ただの旅人で、この娘の連れさ」


 威圧する豚人族オークに臆することなく飄々と自己紹介をするカルロス。そしてスッと目を細め、声のトーンを下げて豚人族オークに尋ねた。


「それで、俺の連れをどうするつもりだったのか聞かせて貰おうか」

「フッ、フハハ、巣に持ち帰リ、喰ウに決まっテイルだロウ」


 グハハハと地面を揺らすような低く不気味な笑い声を上げる豚人族オーク。その様子を見て、柔らかかったカルロスの雰囲気がガラリと変わった。怒気を帯びた魔力が漏れ出ている。ナディアは初めて見る怒れるカルロスにびくりと身を震わせた。


「…色々と聞きたいことはあるが、まずは力づくで捕らえさせて貰おう」


 ゴウっとカルロスの周囲に魔力が溢れ出し、栗色の髪や外套を靡かせている。


「グハハ、やっテみロ!」


 豚人族オークは背負っていた巨大な戦斧を取り出し、カルロス達に向けて大きく振りかぶった。その風圧により空気の衝撃波がカルロス達を襲う。


「《結界バリア》!」


 カルロスが杖を前に掲げて呪文を唱えると、カルロス達の周りに透明な魔力の膜ができ、衝撃波を弾いた。


「す、すげぇ」


 尻餅をつき、圧倒されたように呟くアルトゥロ。


「アルトゥロだったか。ナディアと一緒にこの結界の中にいるんだ。多少攻撃に耐えることができるだろう」

「お、おう。わかった」

「ご主人様、くれぐれもお気をつけて下さい…はっ!もしもの場合は私に願いを!」


 危険な状況にも関わらず、願いの消化の隙を見逃さないナディアの様子に、少しカルロスの緊張感も和らいだ。


「ふ、そうだな。もしもの時は頼むよ」


 程よく肩の力も抜け、カルロスは張ったばかりの結界から出て再度豚人族オークに向き合った。


「今度はこっちの番だ」


 カルロスが杖の先端の魔石に手をかざすと、火球が現れ見る見るうちにその大きさを増してゆく。豚人族オークに向かって杖を突き出すと、人一人を包み込むほどまで巨大化した火球が勢いよく豚人族オークに襲い掛かった。


「グゥゥゥ、ガァァッッ!!」


 炎に飲まれた豚人族オークであったが、戦斧を両手で勢いよく振り回し、砂塵を発生させて炎を打ち消した。


「効かヌ、効かヌわあ!」

「ならばこれはどうだ?」


 今度は天に向かって杖を掲げるカルロス。杖を中心に、モクモクととぐろを巻くように暗雲が空を覆う。バチバチと帯電した稲光が暗雲の上をいくつも走っている。


「食らえ!」


 カルロスが杖を振り下ろすと、豚人族オークの戦斧に巨大な雷が落とされた。ドォンとその衝撃により、豚人族オークの周りの地面がクレーターのようにめり込んだ。


「フゥゥン!」


 地形を変えるほどの雷を受けるも、豚人族オークは両足で踏ん張り、勢いよく両手を広げて全身に迸る雷を弾いた。

 その様子を冷静に観察していたカルロスは、顎に手を当てながら言った。


「ふむ、奴自身が魔力に耐性があるのか、装備に魔力耐性が付与されているのか」


 あるいはその両方かもしれない。カルロスの魔法の威力は火球も雷もどちらも十分過ぎるほどであったが、豚人族オークに決定的なダメージを与えるに至っていない。


「残念だっタナ!俺ニ、魔法は効かナイ!」


 豚人族オークは勝ち誇ったように雄叫びを上げる。


「おい、あの兄ちゃんは魔法使いなんだろ?マズいんじゃないか?」


 結界の中で固唾を飲んでカルロスと豚人族オークの戦いを見ていたアルトゥロがナディアに尋ねる。


「…マズいどころじゃないです。すごくマズいですぅぅ!!!」


 アルトゥロの言う通り、カルロスは魔法使いだ。その得意の魔法が効かない相手となると、非常に分が悪い。分が悪いどころか、決定打に欠ける上に魔法を使えば使うほど魔力を消耗し、疲弊するのが目に見えている。


 あわわわと結界の中で落ち着きなく右往左往するナディア。その一方で、当のカルロスには焦りの色は見えない。


「やはりそうか。魔法が駄目なら…戦い方を変えればいいだけの話だ」


 落ち着いた声でそう言い、杖を手でスッとなぞった。すると、木でできているはずの杖が光を放ちながら姿を変え、煌めく長剣へと変容した。そしてカルロスは手首でくるりと長剣を回転させ、その柄を握り隙のない構えを取った。


「さて、第二ラウンドといこうじゃないか」

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