第17話 豚人族

 食事を済ませると、ナディアはアルトゥロに連れられてアジトを出た。

 取引先へ行くのはいつもアルトゥロ一人ということで、他の山賊達は着いて行きたそうにしつつも、アルトゥロを見送った。ナディアが素直に着いて行くので、手枷はつけられていない。

 来た道と同じく、ひんやりと底冷えする洞窟を抜けて森に出る。そして、洞窟を迂回するように山を抜け、更に北を目指す。


「ほらよ、足場が悪いから気をつけな」

「ど、どうも…」


 岩場を登る際、その都度アルトゥロはナディアに手を差し伸べた。高いところから降りる際には、ひょいと腰を抱えて優しく降ろしてくれる。

 ただ商品を丁寧に扱っているだけなのか、それとも単に彼の優しさからなのか。アルトゥロの人となりを垣間見たナディアは、どうしても前者であるとは考えられなかったし、考えたくなかった。


 半刻ほど、山道というより崖に近いような道を進む。流石のナディアも息が切れてきた頃、眼下が急に開けた。


「わあ……綺麗」


 眼下に広がるのは、巨大な渓谷だった。谷底には川が流れている。川辺には、山賊のアジトよりは幾分か緑が生い茂っている。


「綺麗だよなァ、俺もここの景色は気に入ってる。さ、この川を下った先が目的地だ」


 アルトゥロもしばし雄大な自然を眺めていたが、ナディアの手を取り、川岸へ向かう。上からは分からなかったが、川には木のボートが浮かんでいた。川岸に突き立てられた杭に縄がかけられている。いつもこのボートを使って川を下っているのだろう。慣れた手つきで縄を外すと、ナディアを抱えてアルトゥロはボートに飛び乗った。

 その時、「ギャッ!?」とナディアが小さな悲鳴を上げたのだが、「色気のねぇ声だな」とアルトゥロに呆れられ、ナディアは川下りの間、そっぽを向いて不貞腐れていた。


 しばらく水流に任せて川を下ると、流れが穏やかな水域に出た。アルトゥロはそこでボートを川岸に寄せて軽快に飛び降りると、その場所にも突き立ててあった杭に縄を結んだ。


 アルトゥロに促され、ナディアもボートを降りる。すぐ近くに谷と同化するように大木が生えていた。その木の太く立派な根が地面から隆起しており、根の間が谷を抜ける道となっていた。ナディアは、こんな狭いところ、体格の良いアルトゥロが通れるのかと眉を顰めたが、当の本人は巨躯を折り曲げて器用に木の根を潜っていく。ナディアも慌てて後を追うと、辺りを木に囲まれた広場に出た。


「ここが引き渡し場所だ」


 キョロキョロ辺りを見回していると、アルトゥロがゆっくりとナディアの方を振り向いて言った。


「約束の時間はちょうど真昼。そろそろ日が真上に登るな」


 腰に手を当て手庇を作って天を仰ぐアルトゥロ。その表情は逆光で見えない。


 と、その時。


 ……ズーン


 …ズーン


 ズーン


 地を揺らすほどの足音がナディアの鼓膜を揺らした。


「おいでなすったぜ」


 アルトゥロが言うと同時に、広場の木をミシミシと掻き分けながら現れた巨大な塊はーーー豚人族オークであった。


豚人族オーク…やっぱりそうだったのね」


 しゅうぅぅ…と深い息を吐き出す豚人族オーク。胸当てと兜により武装されており、兜から覗くその目は赤く獰猛な光を放っている。

 豚人族オークはナディアを視認すると、がさりと懐から薄汚れた巾着袋を取り出した。そしてゆっくりと腕を突き出し、アルトゥロの目の前に巾着袋を落とした。チャリンと硬貨が重なる音が聞こえた。

 アルトゥロは、ゆっくりと巾着を拾うと、その中身を確認した。そして満足そうに笑みを浮かべると、


「旦那ァ!確かに金はいただいた。代わりにその女をあんたに差し出す。また取引があったら伝書鳩を飛ばす。気長に待っててくれや」


 豚人族オークに向かって大きな声でそう言った。


「あァ…」


 豚人族オークの返事を聞き、アルトゥロはナディアを一瞥してから渓谷に戻る木の根へ向かった。気のせいだろうか、ナディアにはその表情に少し悔しさや苦しさが滲んでいるように見えた。


「待、テ」


 アルトゥロが木の根に手をかけたその時、豚人族オークがアルトゥロを呼び止めた。


「…どうかしたかい?」

「もっト、女ヲ連れテ来イ…全然足りナイ。もっトだ…」

「なっ…!何を言ってるんだ旦那ァ!最近は俺たちの悪評が広がって山に立ち入る女は少ねぇ。そう簡単に何人も連れて来れねぇ!」


 豚人族オークの言葉に、アルトゥロは勢いよく振り返り、決死の表情でそう訴えた。


「か、関係なイ…連れテ来イ」


 だが、豚人族オークに聞き入れる様子はなく、同じ言葉を繰り返した。


「連れテ来なケレバ、お、お前達ヲ、喰ウ」

「そんな…俺の仲間には手を出さない約束だっただろう!?だから、だから俺は…」


 アルトゥロは絶句した。よろりと後退りをし、その大きな手で顔を覆った。


 彼らは双方に利益関係であると思っていたが、もしかするとアルトゥロは、仲間を守るために、この豚人族オークに従っているのかもしれない。


「アルトゥロ…!」


 咄嗟にナディアはアルトゥロの元へ駆け寄ろうとしたが、体に強い衝撃を感じたと思った時には体が宙に浮いていた。


 しまった、と思った時には遅かった。ナディアは豚人族オークの強固な蹄に掴まれ、担ぎ上げられてしまっていた。


「ちょ、離して!離しなさいよ!」


 ナディアはジタバタと手足を動かすが、びくともしない。


「黙レ…大人しク、しろ」


 豚人族オークは、ミシミシとナディアを締め上げる。


「あああぁぁっぁあ!!」

「くっそ…!嬢ちゃんを離せぇぇ!!」


 叫び声を上げるナディアを見たアルトゥロは、血相を変えて豚人族オークに突進して行った。

 が、空いている手で呆気なく振り払われてしまい、勢いよく背中から木に衝突してしまった。


「ガハッ」


 吐血をし、ズルズルと木を背に地面にずり落ちるも、鋭い眼光で豚人族オークを睨みつける。


「俺の仲間を、家族を傷つけると言うなら、旦那との関係もこれまでだ!その嬢ちゃんも返して貰う!ゲホッ」


 強がってはいるが、先ほどの一撃で既にアルトゥロの体は傷だらけになっている。よろよろと立ち上がり、手の甲で口元の血を拭うアルトゥロ。

 豚人族オークは無言でアルトゥロを見やるが、ナディアにはその表情に何の感情も宿っていないように見え、ぞくりと背筋が凍るような悪寒を覚えた。


 このままだと、アルトゥロが危ない。ナディアは身じろぎして豚人族オークの手から逃れようと試みるが、びくりともしない。逆に締め付けが強くなり、ナディアは声にならない悲鳴をあげた。


「っ、に、げて…!」


 ずしんずしんと地を揺らしながら、豚人族オークは肩で息をするアルトゥロに向かって行く。

 苦しい、痛い、どうすればいいのか。自分の無力さに涙が溢れそうになる。


 助けて…ご主人様ーーーっ!


 救いを求め、大切な主人を思い描いた時、懐に入れていた魔石が一瞬光った気がした。

 痛みで意識が朦朧と……


「…ん?痛く…ない?あれ?」


 そこでようやくナディアは痛みを感じていない・・・・・・・・・ことに気づいた。締め付けられる苦しさはあるが、体には傷一つついていない。痛いと思い込んでいたが、全くもって痛くない。


「村を出る時に防護魔法をかけておいたからな」


 流石におかしいと思い始めたその時、待ち焦がれていた声がした。


 勢いよく顔を上げて声の方を見ると、涙で視界がぼやける中、ナディアの視線の先には杖を構えるカルロスの姿があった。カルロスを視認した瞬間、瞳いっぱいに溜まっていた涙が溢れた。


「ご、ご主人様ぁぁ〜〜〜!!」


 いつの間にか広場に到着していたカルロスは、アルトゥロを背に庇い豚人族オークに向かい合う形で直立していた。


「すまん。遅くなった」


 その時、突風が吹き、木の葉を空高く巻き上げ、カルロスの外套をぶわりと旗めかせた。


「さてと、まずは大切な仲間を返してもらおうか」


 カルロスは不敵な笑みを浮かべると、高々と杖を掲げた。

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