第16話 アルトゥロという男

 翌朝。

 小屋の一つを与えられ、そこで休んでいたナディアは日の出と共に目を覚ました。


「ん…朝?」


 草木もなく、四方を山に囲まれた窪地であるが、どこからか迷い込んできたのだろうか。チュンチュンと小鳥の囀る声が聞こえてくる。眠気まなこで目を瞬いていると、


「ナディア、聞こえるか?」

「っ!!ご主人様〜!!

「しっ!静かに!」


 眠る時に大事に抱きしめていた魔石から、カルロスの声がした。

 丸1日も離れていないが、もう何日も会っていないような心地がする。思わず声を殺すのを忘れて声を上げてしまい、カルロスに嗜められる。慌てて辺りを見回すが、周りの小屋からは煩いイビキが響いているばかりで、誰かが起き上がる気配はない。

 ホッと胸を撫で下ろし、今度は声を顰めて魔石に声を掛ける。


「ご主人様、どちらにいらっしゃるのですか?」

「食糧倉庫の裏手に隠れているよ。ナディアはよく眠れたか?」

「はい!もうぐっすりと!」

「はは、そうか」


 カルロスは苦笑しているようだが、恐らくナディアの思い違いであろう。


「それより、今日はいよいよ山賊の取引先相手に会うが、身の危険を感じたらすぐに逃げるんだぞ。村のために現状を解決したいが、まずはナディアの身の安全が第一だからな」

「ご主人様ぁ〜」


 ナディアの身を案じてくれるカルロスにナディアは思わずウルウルと瞳を潤ませる。

 果たして、歴代の主人達の中に、ナディアのことを気遣ってくれていた者は何人いただろうか。思い出せないということは、そういうことなのだろう。ナディアは改めて今の主人の幸せのために、自分ができることを精一杯しようと密かに誓った。


「その時が来たら俺も戦うから、もうしばらく頑張ってくれ。頼りにしているぞ」


 じゃあな、と言ってカルロスからの通信は切れた。頼りにしていると言われ、ナディアは感無量である。胸がいっぱいで瞳に溜まっていた涙が一筋溢れた。慌てて涙を拭い、鼻を啜る。頼られている、それだけで体の奥深くから力が湧いてくるようだ。


 ふん、と気合を入れ直していると、


「おーす、嬢ちゃん起きてるか?」


 小屋の入り口から、あくび混じりのアルトゥロの間伸びした声がした。


「あ、はい。起きてます」

「おっしゃ、入るぜ」


 アルトゥロは、そう一言断ってから小屋に足を踏み入れた。この男はモラド村を困らせている山賊達の頭。憎むべき相手なのだが、どうも憎み切れない。


「どうだ、昨日はよく眠れたか?」

「はい、ぐっすりと」


 カルロスと同じやり取りを繰り返すと、ガハハとアルトゥロは豪快に笑った。


「本当にアンタは自分の立場が分かってんのかねぇ」


 少し困ったように頭を掻いた。ナディアがキョトンと首を傾げると、


「アンタは今日、俺の取引相手に売られるんだぜ?身売りだ身売り。その後どんな酷い目に遭うか分かったもんじゃねぇのに…緊張感がねぇというか、全然怯えてねぇのな」

「あ…じ、実感が湧かなくて」


 人質らしくなかったかと今更ながら思い至り、バツが悪そうに視線を逸らして誤魔化す。


「ま、一晩中泣かれたり暴れられても困るし、別にいいんだけどよ」


 そう言ってポンポンとナディアの頭を撫でるアルトゥロ。


「…ねぇ、何であなたは私達の村から農作物を奪うの?何で私を売るの?」


 頭を撫でるその手から、何故かカルロスと近しい暖かみを感じ、気付けば呟くようにナディアは疑問を口に出していた。


「何で、ねぇ」


 アルトゥロはナディアの頭を撫でていた手を静かに下ろし、どっこいしょと床に腰掛けた。そして、ポンっと自分の横を叩く。ナディアは少し考えた後、静かにアルトゥロの隣に腰を下ろした。


「嬢ちゃん、アンタから見たら俺達は野蛮な山賊にしか見えねぇだろうが、俺にとっちゃここにいる奴らは大事な家族みてぇなもんなんだ」


 アルトゥロは片膝を立て、小屋の外に視線を向けて微笑んだ。


「今ここにいる奴らは、みんな身寄りが無い奴らでな。俺たちは皆、ここより更に北の僻地出身なんだけどよ。実りも少なくて貧しい町だった。仕事も少なくてな、町全体がどこか疲弊していたんだ。そんな中で俺たちは素行も悪ぃし手癖も悪ぃし、町のあぶれ者でな、遂には居場所を失くして皆して町を出て来たんだ。真面目に仕事につくことも出来なくて、生きてくために盗みをした。この森を拠点にして、周囲の町や村に出向いて色々くすねてるうちに山賊だなんて言われてなぁ。ま、あながち間違っちゃいねぇし、俺達もいつの間にか山賊を名乗るようになったんだ」


 アルトゥロは、時々思い出し笑いをしたり、苦しそうな顔をしたりしながら、淡々と言葉を続ける。

 ナディアも静かに耳を傾ける。カルロスも魔石を通じて聞いているのだろうか、ふとそんなことを考えた。


「これでも人を傷つけない、殺さないって信条はあるんだが、まぁ、盗みも立派な犯罪だからなぁ。そのうちお尋ね者になっちまってな。ここらに駐屯してる警備隊から逃れるために居住地を探していて、たどり着いたのがこの洞窟の先の窪地ってわけだ。そのうち周辺の村や町からも同じような境遇の奴らが集まるようになってな、何やかんやで20人近くの大所帯になっちまった。となると食って行くだけでも大変でよ、狩猟採取だけじゃ食いぶちは安定しねぇ。それで苦肉の策として辺りの村から農作物を恵んで貰ってるってわけさ」

「恵んでって…あなた達は武力を示して恐怖で私達を支配しているだけじゃない」

「ま、そう言うなって。その農作物があるから俺たちは食い繋いでいけてるんだ。確かに強引な手を使ったが、生きていくためには仕方なかった。口も素行も悪い奴ばかりだが…人の恨みは全て俺が買う。俺には、こんな俺を慕って着いてきてくれた奴らを食わせる責任がある…だから旦那とも取引をしたんだ」

「旦那…って言うのが今日の取引相手なのね?」

「ああ、そうさ。正直とんでもない奴と手を組んじまったと思ってはいるんだが…旦那にはこの場所も知れてるしな。裏切るようなことをすれば俺たちだってタダじゃ済まない」

「…そのために私に犠牲になれって言うの?それは余りにも勝手じゃない」

「ははっ、間違いねぇ。そうは見えねぇかもしれねぇが、これでも申し訳ないと思ってるんだぜ…って俺は何を長々と語ってるんだろうな。さてと、朝飯食ってぼちぼち出発するぞ」


 そう言ってアルトゥロは、わしゃっとナディアの頭をひと撫でして立ち上がり、先に小屋を出た。


 この男は…本当は人に害を与えることを好まないのではないか。

 ナディアに触れる手から感じた暖かみ、それは”優しさ”であった。人一倍優しく、人を惹きつけ、人望が厚い。きっとこの男は人が好きなんだ。

 もちろん、実際に彼らが行っていることは犯罪であり、それにより苦汁を飲まされている者達が多数存在するのも事実だ。そのことは決して許されることではない。

 だが、もし彼らが置かれた環境が違っていたら?

 食に困らず豊かな暮らし。仕事もあり、周囲に認められ、虐げられない日常。

 目を閉じると、想像の中のアルトゥロは、仲間達に囲まれ充実した汗を流しながら豪快に笑っている。


 何故だかナディアは、この面倒見がよく、お節介な男を心から恨むことはできなかった。

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