第6話 山賊の噂

「ご主人様、ご主人様!この花は何と言うのですか?あ!あっちにキノコが生えておりますよ!食べれますか?あーっ!!鹿です!ご主人様!」

「ナディア…ちょっと落ち着け」


 山に入って数刻。

 村まで荷馬車が行き交っていただけあり、人が歩くのに苦労しない程度には山道は整備されており、さほど険しい道のりでは無かったのだが、ナディアは初めて目にする動植物に興奮しっぱなしで、1つ1つに答えていたバルトロにはやや疲労の色が見える。


「この山の生態系を記した図鑑をやるから、調べながら色々探すといい」


 ナディアの様子に苦笑しながら、バルトロが胸の高さで手のひらを上にすると、何もないところから眩い光と共に本が現れた。


「な、何ですか?今のは魔法…?」


 初めて見る魔法にナディアも興味津々のようで、バルトロの手を取り、裏返したり匂いを嗅いだりと目を輝かせて調べ倒している。


「ああ、俺の家の書斎からこの図鑑を空間転移で持ってきたんだ。理屈を覚えてしまえば簡単だし、便利な魔法だよ」


 該当の場所から魔法陣も無しに特定の書物を空間転移で持ち出す、そんな高等な魔法を簡単だと曰うバルトロに、今度はナディアが苦笑した。


 家をポータルに指定してチャンネルを登録することで念じたものを自由に引き寄せるのだとバルトロは解説しているが、ナディアが思うにこんな魔法は規格外である。何とも便利すぎる魔法だ。

こんな高度な魔法を自由自在に操るとなると、願いを何でも叶えると豪語する魔神の面目丸潰れである。


「ほら」


 少しぷくっと頬を膨らませていたナディアの頭に、バルトロはポンっと図鑑を乗せる。


「あ!ありがとうございます!」


 ナディアは気を取り直してパラパラと図鑑を捲る。


「それにしても、図鑑というのは素晴らしいですね。知りたいことが分かりやすく、たくさん詰まっております」


 あ!さっきのキノコは毒キノコだった…と自分が見たものと図鑑の内容を照らし合わせて、ふむふむと頷きながらナディアは言った。


「ふっ、そうだな。先人達の叡智の結晶だからな。後世の者達はその知恵を元に、安全な道や動植物の剪定、更に文明を発展させることができるんだ」

「素晴らしいことです」


 その後しばらく、ナディアはふよふよ浮かびながら楽しそうに図鑑を捲っていた。



◇◇◇


「ところでご主人様。先ほどから気になっていたのですが」


 木々の間から夕陽が差し込み、そろそろ野営の準備が必要な時刻に差し掛かった頃、ナディアはカルロスの横で浮かびながら、未だに図鑑を楽しんでいたが、とあるページで図鑑を捲る手を止め、カルロスに尋ねた。


「ん?なんだ?」

「獣が縄張りを主張するために樹木に爪傷を残すことがあると図鑑に記されておりますが、先ほどから幾つか見当たる樹木の傷は、獣の爪の類ではないかと…もっと鋭利な、そうですね……そう、刀傷のように見えます」

「そうか、ナディアも気が付いていたのか」


 ナディアが図鑑片手にふよふよと森を散策していると、山道から少し外れた位置にある樹木に、鋭利な刃物で切り付けられたような刀傷があるのに気づいたのだ。

 図鑑でそのような事象を調べたところ、獣が縄張りを示すために、樹木に鋭い爪痕を残すと記載されていた。強者の証を残しているのだとか。

 だが、参考資料として掲載されていた挿絵は、ナディアが発見した実際の傷跡と若干異なっていた。獣がつけた傷は、削がれたように樹皮が所々剥がれているが、実際目にした傷は綺麗すぎるのだ。

 カルロスも既に気が付いていたようであるが、歩みを止める様子も、慌てる様子もない。


「ナディア、覚えてるか?町を出るときにバルトロがしていた話を」

「ええと…さ、山賊の噂でございますね」


 カルロスの意味深な問いに、嫌な予感がしてナディアは頬をひくつかせる。動植物に夢中になって気付かなかったが、少し集中すれば、山道から離れた森の深くに不穏な気配を幾つも感じる。

まるで肉食獣が獲物を捕らえるために、息を潜めて様子を窺っているかのように。


「ここしばらくは山賊を警戒して荷馬車が行き交いしていなかったようだしな。恐らく山に人が立ち入るのも久しぶりなんだろう。つまり俺たちは格好の獲物というわけだ」

「ま、まさか〜」


 ナディアは、はははと乾いた笑みで返すが、カルロスは至って真面目な顔をしている。


「ナディアが見つけた刀傷は、荷馬車を襲う前の試し切りだろうな」

「や、やっぱりそうですよねぇ…」


 何でもできるランプの魔神なのに、山賊は怖いのだろうか。ナディアはビクビクと辺りを警戒している。


 或いは。怖いのではなく、万一のことがあったら主人であるカルロスを守らねばならないという責務を感じているのだろうか。


 そうこうしてる間に、殺気を孕んだ気配が徐々にカルロスたちににじり寄ってきていた。

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