第4話 カルロスという男

「そう、でしょうか…」


 カルロスの言葉に、ナディアは素直に頷くことができない。

 なぜなら、誰しも強大な力の前には欲望を剥き出しにし、利己的になってしまうのは仕方がないことだと、どこかで納得しているからだ。


「さっき丘の上でナディアが幾つか挙げた願いは、これまでの主人達に求められて叶えてきたものなんだろう?強大な力や、時の権力、容姿なんかを魔法の力で手に入れたところで虚しいだけだと俺は思うがなあ」

「…虚しい、ですか?叶えた主人達は皆心から嬉しそうにしておりましたが…」


 カルロスの言葉に、ナディアは怪訝な顔をして首を傾げる。


「願いが叶ったあとの様子は確認したことがあるのか?」

「いえ…願いを叶い終えると私はランプの中に戻って、また新たな主人を求めて別の遠方の地へと飛ばされてしまいますので…」

「そうか…なら不確定なことを言うのは軽率だな。すまない、聞かなかったことにしてくれ」


 カルロスは口元に手を当てて少し思案した様子だったが、小さく首を振り、ナディアに侘びた。


 願いを叶えた後の主人…ナディアはこれまで過去に仕えた主人のその後の様子のことなんて考えもしなかった。願いを叶えたのだから勿論幸せに違いないと思い込んでいたのだ。


ーーー願いが叶ったのに、虚しい…?


 カルロスは聞かなかったことにしてくれと言うが、その言葉はナディアの心に小さな引っ掛かりを残した。


「それより、さっきから全然食べてないじゃないか。苦手なものばかりだったか?どれもこれも美味いぞ」

「あ…申し訳ありません。食事自体も、味わうことも可能なのですが、私は魔神ですので食事が不要な身体でして…これまでこのようなまともな食事をしたことがなく…」


 ナディアの話の途中であったが、カシャン、とフォークとナイフが皿に落ちて特有の金属音を立てた。ナディアは吃驚して、俯いていた顔をパッと上げてカルロスを見た。幸い皿は割れていないようだが、食器を落とした当人であるカルロスはポカンと口を開けて目を見開いている。


「な、なんて言った?今…これまで食事をしたことが、ない…?」


 わなわなと肩を震わせながら、信じられないと手で口を覆うカルロス。


「…食べろ!今すぐ!さあ!口を開けて!あーんだ!」

「えっ!?あ、はい!あ、あーん?」


 カルロスの勢いに圧倒されて、ナディアは少し引きつつも言われるがままに口を開けた。


「むぐっ!?」


 すると、カルロスになにかを口の中に放り込まれた。もぐもぐ、と顎を動かすと、これは…何かの肉だろうか?噛むほどに肉汁が口内を満たし、遅れてハーブの香りがふわりと鼻腔をくすぐった。


 ごくん、と喉を鳴らして飲み込むと、カルロスは、どうだ?と目で問いかけて来た。


「お、おいひい、です。とても」


 ナディアは素直な感想を述べた。

 美味しい。食べずとも生きていけるのだから、敢えて食事をする必要性を感じてこなかったが、ナディアはこの時初めて食事の喜びを知った。


 そんなナディアを見て、カルロスは嬉しそうに頬を上気させている。本当にこの主人は食へのこだわりが強いのだな、とナディアは苦笑する。


「そうだろう!?こんな美味しいものが世界には溢れているんだぞ!それを味わわないなんて…勿体無い!勿体なさすぎる!俺と一緒にいる間は腹一杯美味しいものを食べさせてやるからな!」


 ふんふんと鼻息荒く食い気味にカルロスは言った。第一印象は知的でクールな好青年だったのだが、案外気安い男なのかもしれない。ナディアの中で密かにカルロスへの印象が変化した。


「ありがとうございます。食事というのは、こうも素晴らしいものだったのですね」


 感謝の意を伝えるため、言葉とともに頭を下げてお礼を言うナディア。それに対してカルロスは嬉しそうに微笑み、ナディアにとって想定外の提案をした。


「ああ、だから提案なんだが、俺と一緒にこの世界を旅しないか?各地を回って色んな人と出会って、綺麗な景色を目にして、美味いものを食べて…きっと楽しいぞ」

「た、旅ですか…?私がご主人様と?」


 思いがけない言葉に、暫し思考が停止するナディア。ハッと我に帰り、数秒思案してから口を開いた。


「私はご主人様の忠実なる僕でございますので、願いを叶えるまでは貴方様のお側を離れることは出来ません。ですので、ご主人様が旅に出られるのであれば、私は責務を果たすまで付き従うのみでございます」


 言葉尻では自分の自由意志ではなく、あくまでランプの魔神の使命があるからと、冷静な返答をしたナディアであったが、その鼓動はドクドクと大きく脈打っていた。

 これまでの主人は比較的すぐに願いを叶え切ったため、ナディアはこの世界の一部にしか見たことも触れたこともない。ましてや長期間顕現したこともなく、殆どランプの中で過ごしていた。だからこそ、カルロスの提案はナディアにとって、彼が思う以上に特別なものであった。

魔神は元来知的好奇心が旺盛である。にも関わらず、自由がない契約の元生き続けてきたため、知識は積もれど経験が非常に乏しかったのだ。


「ふむ、願いを叶えない限り、ナディアは俺についてこざるを得ないということか。なら決まりだな!俺には今叶えて欲しい願いはないし、願い探しのついでにナディアにこの世界を見せて回ることにしよう」


 提案者であるカルロスはと言うと、旅の同行者が出来てどこか嬉しそうにしている。その様子にナディアも自然と頬が緩んでしまう。


 こんなにもナディア自身のことを思ってくれる主人はこれまでいなかった。


 ランプの魔神の存在意義は、主人の願いを叶えること。その責務を果たせていないことに多少の焦燥感はあるものの、ナディアはもう少しカルロスという男のことを知りたいと思い始めていた。


「不束者ではございますが、このナディア。ご主人様に同行させて頂きます!」


 ナディアが満面の笑顔で答えたちょうどその時、店の中心辺りでガシャーンと皿が割れる音がした。


「く、食い逃げだー!!そいつを捕まえろー!」


 カルロス達の席は店内でも他の席から死角になる隅に位置しており、その奥には店の勝手口があった。犯人と思しき男は、人の多い正面ではなく、店の奥にあり、人の出入りが少ない勝手口からの逃走を図ろうとしているようだ。


「ったく、人が大事な話をしているというのに。ましてや食い逃げなど言語道断だな」


 男がカルロスの真横を駆け抜けようとしたタイミングで、カルロスは杖をひょいっと男の足元に伸ばした。


「ぐわぁあ!!ぶべらっ」


 すると男は見事に杖に足を取られて、全力で駆けていた分勢いよく床に顔面を擦り付けながら転んだ。


「…っにすんだテメェ!」


 起き上がった男はすぐに杖の存在に気付き、自身に起こったことを理解したようで、額に血管を浮き上がらせながら、杖の持ち主であるカルロスに殴りかかった。


「ご主人様!!危ないーーッ!」


 ナディアは咄嗟に主人であるカルロスを庇おうと立ち上がったが、それより早くカルロスは男の拳を掴み、その手を捻り上げたかと思うと、くんっと男の体が宙に浮き、一回転してドスンと大きな音を立てて仰向けに倒れた。


 天を仰いだ男は何が起きたのか理解できない様子で目をパチクリと瞬かせているが、ハッと我に帰ると何とか身体を起き上がらせてカルロスを睨みつける。


「テメェ…何しやがった…!?」

「ん?ちょっと力の流れを誘導してひっくり返らせただけだが?」

「ふ、ふざけやがって…おらぁぁ!」


 涼しい顔で答えるカルロスに、男は怒り浸透である。が、そうこうしている間に店員が慌てた様子で駆けつけて来ようとしている。男は舌打ちをし、カルロスを一瞥すると、再度殴りかかるフリをして勝手口に踵を返して逃走を図った。


「ふはは!ざまあみやがれ!逃げたもん勝ちだ!!」


 勝手口のドアノブに手をかけた男は勝ち誇ったように下品な笑い声を上げるが、一向にドアを開ける気配がない。


「ぐ…な、何しやがった…!?」

「《拘束魔法》だ。動けないだろう?お前は今見えない縄に縛られているようなものだ。観念して本物のお縄につくんだな」


 いつの間にやら魔法を発動させていたカルロスは、赤い魔石が光る杖を男に突きつける。


「く、くそぉ…!」

「食べ物とその作り手には最大の敬意を払わないとダメだぞ。食い逃げなんて馬鹿な真似は二度とするんじゃない」


 食い逃げ犯の男は、その後すぐに駆け付けた警備隊に拘束され、連行されていった。



『こう見えて意外と強いんだ』

『魔術の腕もこの国随一だと自負している』



 確かに…ナディアは一連のやり取りから、カルロスが力を求めない理由を目の当たりにし、一人納得していた。


…本当にこの方はお強いんだ。


 当のカルロスはというと、犯人を受け渡すと何事もなかったかのようにいくつも並ぶデザートに手をつけ始めた。

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