第3話 戸惑う魔神
「さぁ、好きに食べて良いんだぞ。特別に俺の奢りだ」
テーブルを埋め尽くさんばかりに並ぶ料理たちを目前に、魔神はパチクリと目を瞬かせる。
「こ、こんなにお召し上がりになるのですか…」
呆気に取られる魔神の前の料理が、みるみるうちにカルロスの口の中に消えていく。
「ん?ああ、自分ではそうは思わないが大食いだとはよく言われる」
ごくっとお茶を飲んで一息つくカルロスに対し、魔神は口元をひくつかせる。
「それより、そろそろそのターバンを取って素顔を見せてくれないか?食事もそのままだと難しいだろう。目立たないように一番人目につきにくい席に通してもらったから気にすることはない」
組んだ手の上に顎を乗せて、カルロスはニコリと微笑む。
「はっ!ターバンを外せと言う願いですか!?…いや、そんなことは願いのうちに含まれませんね」
魔神は一瞬パァッと顔を明るくするが、すぐに首を振り嘆息した。願いを叶えることに過敏になっている魔神は逐一カルロスの要望に反応してしまうようだ。
「まあ、焦らなくても願いはそのうち見つかるだろう。のんびりいこう」
カルロスの言葉に、魔神は長期戦を覚悟し観念したようだ。また一つ溜息をつき、ターバンに手をかけた。するすると淡い水色のターバンがぱさりと肩に落ち、隠されていた魔神の素顔が露わになった。
そして、外されたターバンと、羽織っていた外套が、シュンッと空間に吸い込まれるように消えた。魔神の魔法で自由に出し入れできるようだ。
膝の裏ほどまで伸びた長い髪は、腰のあたりで緩く金の髪留めで束ねられている。頭の上には中央に青い宝石をはめ込んだ、髪留めと同じく金の髪当てを付けている。そんな髪色は濃い藍色であるが、店内の照明を浴びて、透き通るような透明感もある不思議な輝きを放っている。
煌めくサファイアの瞳とよく調和が取れていて、カルロスは素直に綺麗だな、と感嘆した。背格好と声音からおおよそ予測はついていたが、魔神は女性のようだ。顔つきは大人びているような、どこか幼いような大人と子供の間といった様相であった。カルロスも色白な方だが、魔神は白磁のような肌で、桃色の薄い唇がよく映える。
外套の中の服装はというと、肩の露出されたデザインで、肘の上から手の甲までゆったりとした腕貫を付けている。胸元から臍の上まで胸当てをしており、臍下から足首までダボっとした下穿きを履いている。瑠璃色で統一されており、上質な布であつらえてあるようだ。
胸元は…やや寂しい感じがするが、愛嬌のあるサイズ感である。
「あ、あの…素顔を出すのは久々なもので…あまりまじまじ見ないでください」
もじもじと恥ずかしそうにする姿は、年頃の女性のそれである。
「いや、すまない。あまりに美しいのでな、つい見入ってしまった」
カルロスという男はなにぶん素直なもので、ストレートな言葉を魔神にぶつける。
「ぐはっ、ご主人様…なんて破壊力…」
それなりに色男であるカルロスの微笑みに、うっかり鼻血を吹きそうになる魔神であった。
「ところで、自己紹介がまだだったな。俺の名前はカルロス。のんびり各地を回る旅人だ。お前は?」
鼻血が出ていないかと鼻を押さえていた魔神に名乗り、手を差し出すカルロス。
差し出された手の意味を、魔神はすぐに理解できなかった。
なぜなら、握手を求められたのは生まれて初めてだったからーーー
「…あ、私の名前は…ナディア…でございます。えと、その…よ、よろしくお願いします」
おずおずと差し出された手に触れると、カルロスは微笑みを深くし、強くその手を握りしめた。
「ああ、よろしく頼む」
「…ご主人様と自己紹介し合うなんて、初めてです」
戸惑いながらも嬉しそうに頭を掻きながら魔神ーーーナディアははにかんだ。
「それに、名前を聞かれたのも初めてです」
「そうなのか?名前を知らないと呼ぶときに困るじゃないか」
カルロスはきょとんと首を傾げる。そして握った手を解き、再びフォークとナイフを手に取り食事を再開する。
「今までの主人は、『願いを叶える魔神』としてしか私を見ていませんでしたから。彼らにとって私はただの道具に過ぎないのです」
ナディアは自嘲気味に視線を下げる。昔はランプから登場した際の定型文に名乗りの文言を入れていたナディア。だが、その名を呼ばれることはなく、次第に名乗る必要性を感じなくなっていった。思えば、願いの問答以外に主人と会話をしたのも数える程である。皆が見ているのは願いが叶った豊かな未来の自分達であり、目の前のナディアではなかった。
落とした視線の先に、先程までカルロスに握られていた手が目に入る。その手にはまだ僅かに彼の温もりが残っていた。その初めての温もりを閉じ込めるように、ナディアはギュッと手を握りしめる。
「ましてや共に食卓を囲むことなんて、初めての経験です」
「そうか、それは主人に恵まれなかったんだな」
黙々と食事を口に運びながら、ナディアの話に耳を傾けていたカルロスが、静かな声で言った。
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