第五話 快晴、快音、咆哮 その2
部員全員が守備へと向かうため、ベンチの中は俺と金子先生だけになる。さすがに隣に座るのも気まずいので、俺はフェンスに身体を預けて武田たちを見守る。
てっきりマウンドに大興奮してはしゃぐかと思っていたが、そんなことはなかった。ふわふわとした雰囲気などどこにもなく、突き刺すような視線と集中力を相澤へと向ける。
ブルペンで肩を作っている武田を相手チームは当然見ているはずだが、実際に打席に立ってその球を見たときの反応が楽しみだ。
最初の投球練習も終わり、相手バッターが打席に入り、プレイボールの声がかかる。
意識的に肩の力を抜くためにふっと短く息を吐いてから、武田はゆっくりと動き始める。何度も何度も横で見てきたそのままの動きを、完璧にマウンドの上で行う。
ズバンッ!
さながら弾丸を撃ち込んだかのような破裂音が球場に響く。普段はあまり練習を見に来ない金子先生は、武田が想像以上の速球を投げ込んで瞠目していた。
「めっちゃ速いな」
「多分、埼玉県にはあいつより速い球を投げるやつはいないですよ」
もう一度弾丸が放たれ、バッターは手を出すことができずにツーストライク。
こうやって追い込んでしまえばあとは簡単だ。一度外角ギリギリのボール球を投げ、打者の体がピクリと動く。本当ならストライクの可能性もあるのでカットしなければならない球だ。おそらく次はないと、打者の意識にスイングをしようという気持ちが増える。
そこに、外角少し甘めから外に逃げていくスライダーを投げ込めば、手も足も出ない。
模範的な、四球での空振り三振。
続くバッターも、カーブでカウントを取りつつストレートで押し込んで空振り三振。
九球投げて、未だ相手は武田の球にバットを当てることすら出来ていない。この調子なら、0点で抑えきることもできるだろう。
と、次のバッターの名前がアナウンスされる。
『三番、ショート、荒畑さん』
因縁の相手のお出ましだ。前の二人が連続三振しているところを見ているからか、荒畑の顔はかなり強張っていた。
まあ、半年前に野球を始めたやつが県内最速ってのは驚かない方がおかしいか。
対して、武田の表情に変わりはない。今まで通りの動きを繰り返そうという意識が伝わる。
「……ん?」
武田が、相澤のサインに首を振った。
基本的に、ピッチャーが何の球を投げるかは、キャッチャーが決めてサインでそれを伝える。しかし、全てをキャッチャーの言う通りに投げるわけではない。そのときの感覚によっては、別の球が最適だと思って首を振り、別のサインを出してもらうことも少なくない。
だが、武田は野球初心者で試合も未経験のため、配球に関しての知識があまりなく、普段の練習でサインに首を振ったところを見たことがなかった。
武田が投げた球は、ストレート。それも、今まで見た中でも抜群に良い球だ。
どうやら、想像していたより武田はあの日のことが悔しかったらしい。
続く球も、その次もストレート。
さすがに荒畑も振り遅れながらもなんとかバットに当て、ファールで粘っている。
ここでチェンジアップやカーブを投げれば、打ち取ることは容易だろう。しかし、武田はそれをせずに再びサインに首を振り、意地のストレート勝負。
その意味が、なんとなくだが分かる。
あの夜、武田が悔しかった理由は一つ。自分たちの努力を、否定されたからだ。
だが、武田は、荒畑たちの努力を否定しようとはしていない。そのつもりなら、変化球などを駆使して巧みに勝てばいいだけだ。それでもストレートを投げ続けるということは、理由はたった一つ。
これが自分の努力だと。誰にも恥じない全身全霊を積み重ねてきたのだと。
荒畑に否定された努力を、肯定させるための全力投球での力押し。
そして聞こえてきたのは、バットが空を切る音とミットにボールが吸い込まれる音。
三者連続三振。これ以上ないほどに、完璧な立ち上がり。
小さなガッツポーズをして、武田がベンチまで走って戻ってくる。
「冬也くん! 見ててくれたかい!?」
「おう、いいピッチングだった」
「えへへ、それほどでもないよ」
「まあ、それでもでもなかったかもな」
「なんですと!?」
ぎゅむっとしていた。
「冗談だよ。完璧な立ち上がりだった。少し私情が入ってる気もしたけどな」
「う、バレちゃった?」
申し訳なさそうにグラブで顔を隠す武田。
俺は笑って、
「ありがとな。気持ちのいいストレートだった」
勝ちたいならそんなことしている場合ではないと言われると思っていたのだろう。武田はコンパスで描いたかのような丸い目をしていた。
そして、はっと我に返って、
「うんっ! さいこーだぜ!」
満面の笑みでピースをして、武田は楽しそうに攻撃の準備に移った。
後攻の山伏の先頭バッターは坂本だ。今回の試合は、打順も俺が決めた。
ソフト経験者でミート力があり、持ち前のすばしっこさは一番に向いているだろう。
「諒ーっ! ホームラン打っていいからねー!」
「任せとけー!」
おい。バッターボックスから返事するなって。向こうの選手もちょっと困ってるし。バットを構え始めてもニコニコしている坂本を見ると少し不安だったが、どうやら何でも楽しむ坂本にとってはあの表情がデフォルトのようだ。
ピッチャーの投げた最初の一球から、坂本は積極的に手を出していく。一番バッターは初球を見るのがセオリーだが、ここは気にせず振っていい。
ピッチャーを実際にやると分かるが、よく振るチームというのは得体の知れない恐怖がある。多く振るということはそれだけ空振りや打ち損じが増えるということだが、逆に運よく当たって遠くへ飛んでしまうことだってある。それが脳裏にあるかどうかで、安心感が違う。
案の定、その後も振ってくる坂本にわずかながら動揺したらしい。
カンッ! とわずかに芯を外れた打球が、ふわりと宙へ上がるが、普段から強く振っている坂本の押し込みが功を奏し、内野と外野の間にポテンと落ちる。
練習だったらいうことは多いが、試合中には結果以外は見なくていい。
俺は素直に拍手して、フェンスの前まで出る。
「さあ、ここからだな」
次のバッターは水原だ。基本に忠実で、なんでも器用にこなす万能型。金子先生がそれっぽい動きをしている横で、俺は遥と水原に初球は待てと指示を出した。
そしてバッティンググローブをはめようとしていた武田を呼ぶ。
「およ? どうしたの、冬也くん」
「武田。お前が今みたいに遥に綺麗なヒットを打たれたら、どんなことを考える」
「うーん。打たれちゃったけど、切り替えていつも通り頑張ろー! かな?」
「なら、よく見ておけ。次の一球は、間違いなくあのピッチャーのいつも通りだ」
相手のピッチャーはへその前でセットポジションを作った。そして、ランナーを確認するために首を一度動かしてから、キャッチャーへ視線を移して、二秒。ここから動き出した。
投げられた球は外のボール球。おそらく盗塁かバントか、こちらの出方を見るために外したのだろう。ただ、今の一球は大きな価値がある。
「……行けそうか?」
「うん。あれなら盗塁できそう」
「癖を利用できるのは基本的に一回だけだ。勝負所まで何度も確認しておけよ」
とは言っても、武田の様子なら大丈夫だろう。俺は改めてバントのサインを出す。
初球はボール。ランナーもいるし、またボールは投げたくないだろう。ならば、少し甘めのストライクボールがくるはずだ。
コン、と案の定甘いコースに来たボールを水原が完璧に三塁線ギリギリに転がす。
しかし、相手もよく練習しているようだ。セーフなってもおかしくないレベルの絶妙なバントをサードが完璧にさばいてワンアウトになる。
惜しいとは思うが、送りバントとしては一〇〇点だ。俺は軽く拍手をしながら水原を迎える。
「完璧だ。坂本よりも上手かったぞ」
「当然です。あと、私が諒より上手いのはバントじゃありません。全部です」
聞こえていないはずなのに、俺たちの会話の内容を察した坂本がベースの上で跳ねていた。
さて、ワンアウト一塁でバッターは相澤だ。相澤は運動センスに関しては部内でもずば抜けいる。しかし体格が小さく力が足りないため、四番ではなく三番にした。
ここでヒットを打ってくれれば、場所によっては一点が取れる。
サインはもちろん『打て』だ。それに相澤にはこのサインを出したら後のことは考えずにいつでも好きな球を打っていいと言ってある。前にゲームをしたときに思ったが、相澤はおそらく俺の想像よりもいろいろなことを考えて、自分なりの正しいに地力でたどり着けるやつだ。なら、俺から余計なことを言って無駄な思考を増やすよりも任せた方がいい。
今のところ、ピッチャーが投げてきているのはストレートとスライダーだ。しかし、おそらく他の変化球もある。相澤は三番だ。上位打線の最初の入りは、まだ見せていない球でストライクを取りに来るはず。
でも、相澤なら相手の投球練習を見て、どんな球を持っているか確認しているはずだ。そして、あいつのセンスだったら、最初の球から合わせることなど容易だろう。
投げられたのは、おそらくツーシームだ。初めて見たなら、基本は見逃す球だが――
カキン!
快音が鳴り、矢のような低い打球が飛ぶ。
しかし、飛んだ先は荒畑の守っているショートの真正面。あと一メートル左右のどちらかに逸れていれば、間違いなく一点が入る打球だったが、不幸にも荒畑がそれを捕球する。
ランナーが基礎に忠実な水原だったおかげで、併殺にはならずにツーアウト。
相澤は悔しそうに天を仰いでいた。
「ちくしょー! 打てなかったっすぅー!!」
ギリギリと歯を噛みしめて戻ってくる相澤へ、俺は嘲るように鼻を鳴らす。
「まだまだヘタクソだな、相澤」
「かっっちーん!! 中村先輩、てめぇは私を怒らせたっす……!」
おい待て。さすがにバットで殴られると体格の違いとか関係ないぞ。
俺はバッターボックスの方を慌てて指差す。
「ほら、次は武田だぞ。応援しなくていいのか?」
「あ、そうでした! 千夏せんぱーい! かっとばせっすー!」
ぐっと親指を立てて武田は返事をする。
武田は四番にした。やはりパワーとスイングスピードが部内でも飛びぬけている以上、ランナーがいる状態で回ってくる方がいい。それに、細かいことは考えずにとにかく打てという指示のほうが武田には合っている。最初に出会った頃に比べてスイングもかなり良くなった。今の武田なら、ある程度の期待を持って見れる……が。
「ストライク! バッターアウト!」
一分も経たないうちに、三球三振した武田が帰ってきた。
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