第三話 それぞれの原点 相澤友奈 その1
四月も半ばになった。転校生であるために慣れるまでは時間がかかったが、半月もすれば先生たちの名前もクラスメイトの名前も大抵は覚えることができた。自分から誰かと関わるのは苦手だったが、男子ともそこそこ話せるようになってきた。最初は武田千夏と青木遥という二大巨頭と二股をしているクソ野郎みたいな噂が流れていたらしいが、武田と遥がどちらもフリーであること、野球が上手かったのでコーチをしていることを遥に説明してもらい、そもそも俺みたいなやつがあんな二人のどちらとも付き合えるわけないだろうというとても不本意なダメ押しによって男子からの敵対意識が消えたみたいだった。
武田や遥の連絡先を持っていることから情報目当てで近づいてくるやつもいたが、偶然その現場を目撃した遥が「自分から連絡先を訊きに来ないような人とは付き合う気はないよ」とあっさり切り捨てていた。本当に男子からリードされたい派らしい。
「なんだか、私のことを考えていそうな顔をしているね」
「え……、超能力使った……?」
これから帰ろうとまとめていた教科書の束が机の上に散らばった。
待て待て。心が読めるなんて異能力展開なんて困るぞ。
「……本当に私のことを考えていたのかい?」
少し照れていた。冗談だったらしい。
「……忘れてくれ」
俺の方が数億倍恥ずかしかった。耳が熱くなっているのが自分でも分かる。
遥は触れてはいけないものに触れてしまったように少し戸惑い気味で、
「えっと、前にも言ったが、今は野球に専念したいから……」
「そういうのじゃないからもう掘り下げないでもらっていい……?」
ただでさえ恥ずかしいのに、遠回しに振られた気がする。希望がないのは知っていたがショックだった。なんで急にここまでのダメージを負うことになるんだ。
「今日が休みでよかった。帰るよ」
俺が立ち上がると、その話題に触れないように遥が話を変える。
「冬也は部活を休みにすることに関して何も言わないね。全国を目指すなら休む暇なんて一秒もないとか言うと思っていたよ」
「今の時代に休みなしで練習するのは頭が悪いやつだけだよ。休憩も立派な練習だ」
体を酷使し続けても、怪我をしやすくなるだけでメリットなどない。だからといって、何もしなくていいわけではない。日々のストレッチや、ピッチャーなら鏡の前でのフォームチェックなどはやっておくべきだ。だが、家でもできることならわざわざ部活でやるべきではない。
「体の休め方は人それぞれだし、週に一回ちゃんと休む方が練習にもメリハリがつくからな」
まあ、そんなこと言っておいて自分が肩を壊しているから説得力ないんだけどな。
多分、遥もそこは気づいているだろうが、あえて触れずに笑ってくれる。
「それなら、今日は家でゆっくりと過ごすとするよ。冬也も一緒に休憩するかい?」
「あの、本当にそういうこと言うと俺の居場所なくなるから冗談でもやめてもらっていい?」
周りが聞いていなくてよかった。聞かれていたらどうなっていたことか。きっと変な噂が立って俺の席に落書きされて下駄箱に生ごみを詰め込まれて隅に追いやられるんだ。
なんか、部活でいじめられていた記憶が蘇ってきた。帰ろう。
トラウマをこれ以上刺激されないためにも、俺はささっと荷物をまとめて立ち上がる。
「それじゃあ、また」
「うん。気をつけて帰るんだよ」
まるで保護者のようなことを言われた。こんな女子をリードできる男なんているのか。
優しく手を振ってくれる遥へ軽く頭を下げて、俺は肩に荷物をかけて教室のドアへと向かう。
そして、教室のドアに手をかけようとしたところで、誰かがドアを勢いよく開けた。
「中村先輩はどこっすか! ……って、目の前っ!?」
うさぎのように飛び跳ねたのは、相澤だった。女子野球部唯一の一年生で、武田千夏ファンクラブがあれば間違いなく会長をやるぐらい武田が好きらしい。恋愛感情はないらしいが。
一気に距離を取ったために相澤の全体像が視界に収まる。他の生徒よりも短めにスカートをまくり、ふわふわのくせ毛をあえて遊ばせているので肩の上で毛先が楽しそうに踊っているようにも見えた。制服姿を見るだけなら、まさにリア充というオーラを全身から放っていた。
野球が絡まないと、女子だと意識するだけで体が硬くなる。
「そ、それじゃあ、俺は帰るから……」
「待つっすよ中村先輩! ちょっと話があるっす!」
逃げるように横を通り抜けようとした俺の手を、相澤ががっしりと掴んだ。野球をやっているだけあって握力が強い。諦めて振り返ると、相澤は木の実を口に詰め込んだリスのように頬を膨らせてお怒りの様子だった。悪いことをした記憶はないのだが。
「あの、なんでしょう」
三〇センチ以上身長差があるにもかかわらず、思わず敬語が出た。
「単刀直入に聞くっす。はいかいいえで答えてくださいっす。いいっすね?」
「……はい」
ふんす、と相澤は鼻から息を吐いて、
「先週、千夏先輩とデートしたっすよね?」
「……え?」
「デート、したっすよね?」
背伸びをして、顔を俺に近づけてくる。比較的小柄なのに、とてつもない圧を感じた。
というか、デートってなんだ。もしかして、西武ドームに行ったやつか?
「いや、多分誤解だよ。西武ドームには遥もいたし、デートではないだろ」
遥はデートと言っていたが、あれは俺をからかうための冗談だろう。遥とは真面目な話ばっかりだったし、よくいう男女のデートではないはずだ。
「でも、中村先輩とデートしたって千夏先輩が言ってたっす」
まだ相澤の頬はふっくらもちもちだった。相澤の好感度的にも、俺の発言よりも武田の発言の方が信頼できるのだろう。となると、いくら弁明しても無理だと思う。ここは武田と同じくらいのレベルの人に任せるしかないか。
「ほら、後ろに遥がいるから聞いてくれ。そっちなら信じるだろ」
俺が振り返ると、話を聞いていた遥がニッコリと笑って、
「楽しいデートだったね、冬也」
「そういう冗談やめてって数分前に言ったのに……」
思わず頭を抱えてしまった。
ほら、目の前で激おこのリスの頬が破裂しそうになってる。
「……行ったんすね?」
「百歩譲ってそうだとしても、お前が怒るようなことは何もない。というよりそもそもなんで怒ってるのか教えてもらっていい……?」
「分からないんすか、中村先輩」
大きく頷いた。分かるわけがない。
「私を差し置いて千夏先輩と出かけておいて、なぜか分からないと」
「い、一緒に行きたかったとか?」
「当たり前っす! どうしてそんな私を誘ってくれなかったんすか!」
「俺に言われても……」
むしろ俺は誘われた側だし、俺が女子を誘えるわけがないだろ。
どうすれば事態が落ち着くのだろうか。何かいい言葉を探していると、相澤が何かを呟いた。
「……勝負っす」
何やら、不穏な言葉だった。
あえて聞こえなかったふりをして、聞き返してみる。
「ごめん。なんて?」
「勝負っす! 中村先輩のことをけちょんけちょんにして、千夏先輩の隣に立つのにふさわしいのは私だって証明するっす!」
「えーっと……」
どういう展開だこれ。バトルでも始まるのか。これ以上ないくらい困った顔をして遥の方を見る。面白そうだから勝負でもするといいよ、とでもいうような顔だった。
遥は俺を呼んで、相澤に聞こえない程度で囁く。
「こういうときは大抵ある程度付き合えば収まるから、話を合わせておけば大丈夫だよ。一種の嫉妬のようなものだから、友奈が満足すれば落ち着くさ」
「もしかして、遥も経験してるのか?」
「今のところ、二勝一敗だね」
三戦もしていた。まあ、つい半月前まで中学生だったのだ。あの様子からすると、好きな先輩と遊べなかったのが単純に悔しかったのだろう。
親戚の姪っ子に喧嘩を売られたと同じようなものだと思おう。
「ちなみに、何で勝負するんだ?」
「野球っす!」
「参りました。俺の負けです」
俺が唯一誰かに勝っていたことで、今は誰よりも劣っていること。野球部に入って二週間弱。まだボールに触れないし、グラウンドの真ん中にも立ちたくない。バッティングでも、ピッチングでも、何をとっても俺はそもそも勝負という土俵に立てない。相澤の不戦勝だ。
「後輩の女子に即白旗上げるってことは本当に無理なんすね」
「俺もこんなに素早く頭を下げられるものなんだってびっくりしてる」
相澤は小さくため息をついて、
「まあ、素直に野球をさせるほど私も馬鹿じゃないっすよ。あれを見てそれでも野球しようなんて言う人は、この世に千夏先輩しかいないっす」
ということで、と相澤は掴んでいた俺の手を引く。
「妥協案を用意したっす。これからの予定はないっすよね?」
「え? そんなに時間かかるの? 授業の進度が前の学校と違うから復習とかしようと――」
「ない、っすよね?」
「あ、はい……」
また敬語が出てしまった。引っ張られるまま、俺は昇降口へと連れていかれる。幸いなのは、一年生は一階、二年生は二階に下駄箱があるところか。下駄箱の前で、俺は手を離される。
「絶対に逃げないでくださいっすよ」
「分かったから離してくれ。周りの視線が痛い」
こんな大柄の男が相澤のような女子に引っ張られている光景は嫌でも目立つ。
「ちなみに、勝負って何をするんだ?」
「私が確実に中村先輩に勝てるやつっす」
「もしかして、単純に憂さ晴らしするつもり?」
「そうとも言うかもしれないっす」
よっぽど武田と遊びたかったらしい。次に武田に何か言われたら、相澤のことも一度は言っておくことにしよう。そうすれば、もう巻き込まれないだろうし。
手を離してもらい、靴を履き替え、相澤と合流する。どうやら学校の外で何かをするようだが、どこに行くのだろうか。
「そこに着けば分かるっすから。とりあえず来てくださいっす」
「ちなみに、財布には金ないからな」
「別に中村先輩にそういうの期待してないんで大丈夫っす」
「……そっかぁ」
この子、やっぱり俺の心を傷つけるの上手じゃないか?
半ば放心状態で俺は相澤の後ろを飼い犬のようについて行く。さながら、大型犬を散歩する少女のような図だった。武田とは別の意味で、相澤にはずっと勝てない気がする。
だがまあ、ここで勝負とやらを受けておけば、変に粘着されることもないだろう。客観的に見れば、外見の良い後輩の女の子と放課後に出かけるのだ。ラッキーとでも思っておこう。
しかし、三〇分ほどして目的地に着いたその瞬間。ああ、あのときに意地でも逃げておけばよかったな、と俺は猛烈に後悔することになった。
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