第三話 それぞれの原点 青木遥 その1

「冬也くん、デートしようぜ!」


 野球部に入って一週間が過ぎた頃。昼休みの食堂で一人のんびりとから揚げカレーの大盛りを食べていた俺の前に突然現れた武田は、開口一番そんなことを言った。

 体育館の横にあるこの食堂には、当然一年生から三年生まで多くの生徒が利用する。まだ始業して間もないため、高校生活に慣れていない一年生はあまりいないが、それでも二年生と三年生でほとんどの席が埋まっていた。


 この外見と溌溂とした性格、そして一人でゼロから野球部を作り上げた行動力もあってか、二年生だけでなく三年生からも武田は周知されているらしい。小走りで食堂に入ってきた武田を見た瞬間に口についた米粒を慌てて取って姿勢を正したやつが二人ほどいたのが見えた。どうやら、本当にすこぶるモテるらしい。にも拘わらず、だ。

 元々野球以外の人脈がなかったために自分から話題を作ることができず、一年生のうちにある程度形成されたグループに入り込めないためにこんな隅っこで黙々とカレーを食べている男に、そんな女子がデートをしようと言っているのだ。穏やかなわけがない。


 ほら。そこら中からあいつは誰だとか、武田って彼氏いたのかとか、少なからず武田に好意を寄せていた男たちが騒ぎ始めている。これ以上肩身狭くなったら本気で男の友達を作れないまま卒業することになるぞ。勘弁してくれ。


「武田。頼むから誤解を生むような言い方はやめてくれ。明日は部活が休みだけど、練習に付き合ってくれとかそんなオチだろ?」

「え? 普通に一緒に放課後に出かけようと思ってたんだけど」

「……マジか」


 さて。誤解を解こうとしてさらに墓穴を掘ったわけだが。てか、本当にデートじゃんか。一気に顔が赤くなるのが分かった。少しでも顔を隠そうと、カレーの器を持ち上げて残っていたカレーを口の中にかき込む。


「あははっ。相変わらず冬也の反応は見ていて可愛いね」


 いつの間にか、武田の隣に遥がやってきていた。さらなる美女の登場に食堂がざわつく。

 噂で耳にしたが、二年生の男子人気は武田と遥が圧倒的ツートップらしい。スクールカーストなる存在がこの学校にもあるとするのなら、文句なくこの二人が頂点だろう。一年の頃は二人を妬む女子もいたらしいが、武田のコミュ力と遥の色気で懐柔されて敵という概念が消えたらしい。どうやら、俺の敵は大量に増えそうだが。


「食べ終わったみたいだし、少し場所を移そうか。みんなも動揺しているようだからね」


 遥は爽やかな笑顔で周囲を見渡して、


「千夏が騒ぎ立てて済まないね。彼には野球部の手伝いを頼んでいるんだ。千夏の彼氏というわけではないから安心してくれ。ちなみに、千夏は募集こそしていないものの彼氏はいないよ」

「は、遥!? ちょっと余計なことまで言わなくてもいいんじゃないかな!?」

「こうでもしないと冬也に迷惑がかかるだろう? どうせ何をしてても千夏は男子たちから告白され続ける運命だ。腹を括るといい」

「私、そんなに魅力的じゃないと思うんだけどなぁ」

「そういうところだよ、千夏」


 恥ずかしそうに顔を赤らめる武田を、遥は優しく撫でる。騒いでいた男子たちも、何か見てはいけないものを見たかのような顔で昼食へ向かう手を進め始めていた。


「さあ、行こうか冬也。出かけるというのは本当だからね」

「あ、ああ」


 手早く食器を片して、俺は武田と遥の後に続く。山伏高校は、食堂から校舎への連絡通路を反対側へと歩くと図書館に着く。俺たちは図書館の入り口の近くにある小さなベンチに腰かけていた。部活が関わっていないと武田も遥もただの美少女なので、やけに緊張する。


「それにしても、たった一週間で随分と女子に慣れたんじゃないかい? 普通に私や千夏と話せている気がするけれど」

「多分、武田の距離感が近すぎて感覚が麻痺してるんだと思う。ちなみに、今も緊張してる」

「それでも、初めて話したときよりはずっといいじゃないか。これなら、本当にデートをしてみてもそこまで段階の飛んだ話にはならなそうだね」

「いや、飛んでる飛んでる。俺、女の子と出かけたことないから」


 おそらく、武田や遥と話せているのは、野球部という前提があるからだ。俺と誰かを繋ぐ唯一のものが野球だから、それで繋がっている二人とはあまり苦手意識がないのだろう。しかし、デートとなると別だ。そこには野球も部活も何もない。ただ可愛い女の子が隣で歩いているだけだ。何を話せばいいのかも、どうエスコートすればいいのかも分からない。


「私の予想だと、野球という要素が絡むとある程度話しやすくなると考えているのだけれど、合っているかな? これを確認しないと話が始まらなくてね」

「あ、はい。そうです」


 大正解だった。モテる人種というのはこういう観察眼があるから会話でミスをしないのだろうか。相手が踏み込んでほしくないラインの直前で正しく止まる力というか。


「え、そうだったの!?」


 ……まあ、そんなラインを問答無用で踏み越えてくるアホもモテる人種みたいだが。


「千夏は放っておいて、とりあえずデートの話に戻そうか」

「デートじゃないんじゃなかった?」

「せっかくだからデートにした方が楽しいと思ってね」

「遥なら相手には困らなそうだけど」

「残念ながら、本当に私のことを分かってくれる男子はまだ見つかっていないんだ」

「彼氏とかいると思ってた」

「全国優勝を目指すのに、男子と遊んでいる時間なんてないからね」


 俺の肩に手を置いて、遥が俺の顔を覗き込んでくる。


「あの……近い」

「それに慣れるためにデートに行くんじゃないか」


 さすがにどんな経験を積んでもこの距離間に慣れることはないと思うのですが。

 遥は「まあ、それだけじゃないんだけどね」と普通の距離に戻る。


「まずは中村冬也という人間と知る必要があるんだ。野球部に誘った部長と副部長としてね」

「俺のことを?」

「君が野球を嫌いになってしまった原因の根幹には、イップスが絡んでいるのだろう?」


 マウンドに立つと気分が悪くなり、人に投げようとすると手が震えてボールが落ちる。それが治らずに部内でのいじめが酷くなり、俺は野球部を辞めた。言葉にすると簡潔だが、あまりにも野球部の汚い部分を見すぎたこともある。だが、その根幹には確かにイップスがあった。


「千夏からは直接聞いたと思うが、私たちは全国優勝だけでなく、君に野球を楽しんでもらいたいという気持ちがあるんだ。だから、君のイップス克服のために君を知る必要がある」

「そもそも治したいとも思ってないけど……」

「私たちが見たいんだよ。君が楽しんで野球をしているところを」


 その真っ直ぐな言葉に、俺は言葉を返せなかった。武田も遥も、どうしてここまで俺に手を差し伸べようとするのだろう。つい先週に初めて会ったばかりなのに。


「そんなことしても誰も得しないと思うけどな」

「千夏が損得で動くような人間に見えるかい?」


 隣に座っている武田が「そうだぜ、冬也くん!」と笑っていた。確かに、こいつが得をするから俺を野球部に入れたわけじゃないことぐらいは分かる。


「まあ、訊きたいことがあるならデートに来てくれ。なんでも訊いてくれていいぞ?」

「もう少し俺みたいな男が動揺しないような言葉を使ってくれると助かる」

「別にやましい意味なんてないはずなんだけどね」


 顔がからかう気満々なんだっての。顔がやたらいいのが余計に困る。

 くしゃっと笑う遥は、武田に何かを告げた。すると、武田が懐からあるものを差し出した。


「はい、チケット! 五時半に現地集合だから、急いで準備してね!」


 出してきたのは、何かのチケット。言葉だけでもデートというのだから、何かしらの施設に行くつもりなのだろう。後でお金、渡さないとな。

 それにしても、どこへ行くのだろうか。チケットが必要だということは、水族館や動物園、武田と遥のことだから遊園地にでも連れていかれるのかもしれない。実は俺、遊園地に言ったことないんだよね。水族館と動物園も、五歳くらいのときに行ったきりだし。

 チケットを受け取ると、武田は遠足の前日の小学生のように内側から溢れる好奇心を押さえきれずにグッと距離を近づける、


「楽しみにしてるぜ、冬也くん!」


 そんな輝いた目で見ないでくれ。女の子と出かけたことないんだってば。

 ……まともな私服、持ってたかな。


 *


 結論から言えば、まともな私服など必要なかった。むしろ、変に気取った服を持っていなくてよかったと思う。電車から降りて目の前に映る景色を見て、俺はそう思った。

 時刻はもうすぐ午後五時半を迎えようとするところだった。俺は改札から続く人の流れに沿って先に進んでいく。もうチケットは持っているため、当日券の購入の必要はない。すぐ先のグッズ販売店とロコモコやらケバブやらを売っている辺りまで進むと、周囲の視線をがっつりと浴びる美少女が二人いた。そのうちの一人が俺を見つけるやいなや、持っていた青く細長いメガホンを振りながら飛び跳ねる。


「あ! 冬也くん! こっちこっちー!」

「視線が多いのも苦手だから、できれば目立たないでもらっていいか?」


 周囲の「え? あんな可愛い子たちが待ってる男があれ?」みたいな視線にメンタルを削られながら、俺は武田と遥の元へ歩く。


「まさかとは思ったが、本当に西武ドームでデートするのか?」

「ふっふっふ。今はメットライフドームだぜ、冬也くん!」

「とてもどうでもいい訂正をありがとう」


 俺は視線を奥へと向ける。皆さんご存じ西武ライオンズが拠点を置く、埼玉県所沢市にある雨天中止になるドームでおなじみ西武ドームが、これでもかと存在感を放っていた。辺りは暗くなり始めているが、ドームから洩れる明かりが周囲を照らしていた。

 そして、目の前にいる二人も頭からつま先までライオンズ一色だった。武田も遥もライオンズのキャップを被り、武田は紺、遥は白のユニフォームを着ていて、今すぐにでも応援を始められる格好だ。


「もしかして、その格好のまま来たのか?」

「この時間の所沢はむしろこの格好じゃないと浮いちまうぜ、冬也くん!」

「そんなことはないし、そもそもお前は川越市民だろうが」


 かなりテンションが上がっていることはわかった。それにしても、武田がノリノリなのは分かるが、遥も完全装備なのが驚きだ。


「遥もそういう格好するんだな」

「ふふ。似合ってるだろう?」


 そう言って遥はモデルのようにポーズを取った。少し大きめのユニフォームを着ているためにぶかぶかだが、それがオシャレなのだとこちらが思わざるを得ないほどの美しさ。下は濃いめの色をしたジーンズを履いているだけなのに、スタイルが良いからか他にも同じような格好をしている人とは明らかに格が違う。


「正直、ライオンズのユニフォームを着てる人をオシャレって思う日が来るとは思わなかった」

「だろう? 普通は千夏のようになるからね」

「は、遥!? それって私が似合ってないってこと!?」


 慌ててスマホを取り出して自分の格好をカメラで見直す武田。別に武田がおかしいわけではない。確かに片手にメガホンを持って首にタオルをかけていることにはツッコミたいところだが、俺の前にはちゃんと美人が二人映っている。いうなれば、遥が着こなしすぎなのだ。武田の場合は可愛い子がユニフォームを着ているというだけで、着こなしているわけではない。自分の可愛さを失わないようにしているだけだ。しかし遥はもうファッションとして成立しているような力強さがあった。ライオンズの雑誌があるなら間違いなく表紙だろう。


「私はちゃんと自分のことを知っているからね。千夏みたいな生まれついての天使というわけじゃないんだ。そうだろう、冬也」

「何言っているのかよく分からないけど、多分そう」


 おそらく、武田は天然の可愛さがあって、遥は磨き上げた人工の可愛さなんだろう。どちらがいいというわけではないだろうが、今回は遥に軍配が上がったというところか。


「とにかく、六時から試合始まるから早く行くよ! 場所も取れないし!」

「あれ、指定席じゃないの?」

「よくチケットを見ろやい冬也くん! 私たちの戦場は外野自由席だぜ!」

「……マジか」


 のんびりと雑談でもしながら野球観戦をすると思っていたのに、どうやらこの二人は本気で応援に参加するらしい。本気で言ってるのか。開幕してすぐとはいえ、そこそこたくさんの人来てるはずだぞ。


「ほらほら、遥も早く行くよ!」

「ああ。私も心待ちにしていたんだ。楽しむとしよう」


 柄でもなく遥も弾むような足取りで武田と入場ゲートに向かっていく。

 少し気が進まない俺の手を掴んだ武田は、いつものように笑って、


「さあさあ、楽しい時間にしようぜ、冬也くん!」


 武田に引っ張られて、俺は三塁側の入場口へと連れていかれる。と、武田が背負っているリュックがやけに膨らんでいるのが見えた。おいおい、まさかな。


「なあ、武田。もしかしてだけど、グローブ持ってきたか?」

「もちろん! 私はいつだってホームランボールを取るつもりで来てるからね!」

「それでヒートアップして怪我したら部に迷惑かかるから、それ使うの禁止な」

「そんなぁ!」


 がっくりと肩を落とす武田を見て、遥は今度外野ノックを打ってあげるから安心してくれとあえて武田の練習量を増やす方向でフォローしていた。

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