第二話 女子野球部の愉快な仲間たち その4 武田千夏

「それじゃあ、中村先輩。次はどうするっすか?」


 あれだけハードな冗談の応酬を行ったはずの相澤は、何事もなかったかのようにケロッとしていた。坂本と水原もなかなかに濃かったけど、相澤は別の何かを感じる。一番怖い。

 俺は気づかれないように一歩だけ距離を取って、


「あ、ああ。そうだ、新しい球種だよ。その話だったな」

「そうだったね! 冬也くん、私の新たなお相手は一体誰かな?」

「……チェンジアップ」


 あのノリに乗ったら本当に女性不審になるかもしれないのでスルーして本筋へ向かう。

 フォークに代わる新たな球種はチェンジアップ。ツーシームと迷ったが、一番初めに習得して武器にするべきなのはチェンジアップだろう。


「チェンジアップとな!?」


 ぴょんと飛び跳ねた武田は、小走りでこちらへとやってくる。


「女子がやる変化球だったら、一番武器になるのはこれだと思うんだよ」

「というと?」


 相澤がコロンと首を傾げた。飼い主に「エサは?」と訴えかける猫みたいに見える。このバッテリー、顔面偏差値高すぎないか。野球が絡んでなかったらまともに話せない気がする。

 俺は咳ばらいをして軽く気持ちを切り替える。


「えっと。まず、投手がやるべきことって自分の武器とは何かをちゃんと把握することなんだ」

「自分の武器とな?」


 武田、お前もコロンと傾げるな。緊張するから。


「……武田の場合は、球が速いんだよ。野球を始めて半年とは思えない。間違いなく、球速がお前の武器だ。だったら、それを生かすしかない」

「それなのに、遅い球を武器にするんすか?」

「分かりやすくいえば、緩急ってやつだな」


 バッティングにおいて重要なのは、タイミングだ。ほとんどのバッターは、大抵はある程度の球種を絞って構える。速い球が来るか、遅い球が来るのか。


「俺がピッチャーをやっていたときは、ストレートとカーブで緩急をつけていた。大体三〇キロぐらいの緩急だ」

「三〇キロ……って言われても実感湧かないっすね」

「じゃあ、実際に見てもらうか」


 俺は内野で守備練習をしている坂本を武田に呼んでもらった。


「おー? どしたの、別の練習?」

「バットは持たずに打席に立ってもらっていいか? 武田の新しい武器を試したくてな」

「新しい武器!? なになに、マウンドから銃でも打つのか!?」

「んな物騒なもんじゃないって」


 俺は武田にチェンジアップの握りを教え、腕の振りはそのままで手から抜けていく感じで真ん中に投げろと教えた。

 早く投げたいとうずうずしているが、先に坂本に確認することがある。


「坂本は武田の球を見たことあるよな?」

「もち! よく打たせてもらってる!」

「ちなみに、何を狙ってるとかあるか?」

「んー、変化球を打つのがあんまり得意じゃないから、ストレートかなぁ。でも速いから打つの難しいんだよなぁ」

「一番欲しい回答だよ。ありがとう」

「なんかよく分かんないけど、どーいたしまして!」


 では、早速実戦だ。坂本にはストレートを狙うつもりで構えてもらっている。

 武田にはど真ん中にチェンジアップを投げるように指示しておいた。それも、自分ができる限り一番遅い球を投げろと言ってある。もちろん、山なりにならない程度で。


「さて、どうなるかな」


 武田はいつも通りに振りかぶり、投球動作に移る。坂本もバットは持っていないが、本当に打つかもしれないというほどに神経を尖らせて白球を待つ。


「ふ――ッ!」


 腕を振った力と勢いで、武田の体の深い位置から短い息が漏れる。腕の振りを強くと言ったおかげで、投げ方はほぼストレートだ。

 チェンジアップは、球速自体は遅いものの軌道がストレートに近いため、実際に打席に立つとまるでボールにブレーキがかかったような錯覚を受ける。

 だから、タイミングをストレートに合わせて足をついた場合、動き出した体は止まらない。


「うぎゃーーー!?」


 ボールがミットに収まる前に空振りをした坂本は、そのまま回りながら体勢を崩してその場に崩れ落ちる。大胆に尻もちをついた坂本は、これでもかと瞠目して、


「すっげー!? 何だ今の!」

「ふっふっふ。チェンジアップなのだぜ、諒!」


 親指を立ててドヤ顔付きの決めポーズ。かなり上機嫌らしい。

 俺は自分のミットに収まっているボールを呆然と見つめている相澤に話しかける。


「今のチェンジアップと武田のストレートの緩急、どれくらいだと思う?」

「二〇ぐらいっすか?」

「いや、三〇だ」

「え! で、でも、中村先輩の緩急もそれくらいなんすよね?」

「ああ。だから武器になるんだ」


 俺はカーブを投げるときもちゃんとした変化をつけるためにそこそこ腕を振り切っていたから、最低速度はそこまで遅くない。どちらかといえば、最高球速との差が大きいというべきだ。


「女子のストレートの最高速度は男子には勝てない。それはもう仕方がないことだ。でも、最低速度だったら、男も女も関係ない」

「中村先輩より最高速度が二〇キロ遅いとしても、最低速度を先輩よりも二〇キロ遅くすれば、実際の球速差は変わらないってことすか」

「その通り。さすが正妻だな」

「え。その言い方、なんかきもいっすね」

「……そっかぁ」


 うわぁ、どうしよう。ここ最近で一番ダメージが大きいんだけど。このまま相澤と話していたら一生女子と会話できなくなるかもしれない。


「冬也くん、冬也くん! これが私の武器ってやつだよね!?」

「ああ、そうだな」


 ダメージが深刻過ぎて上手く返事ができない。

 昨日は野球で、今日は女子に、俺の心の中で穏やかに佇んでいた小屋が台風やら北風やらにボロボロに吹き飛ばされてしまった。もう俺の心を守るものがないため、あと一つ何かあればすぐに折れてしまうかもしれない。


 やはり、女子野球部という俺の苦手なものをすべて詰め込んだ存在は、俺の目からは魑魅魍魎の渦巻く狂気の百鬼夜行とでもいうべきか。

 何を考えてるんだ、俺。疲れているな。


「すまん、武田。ちょっと疲れちゃったからベンチで座ってる」

「それは大変! ささ、ゆっくり休んでくれよ、冬也くん。練習はいつも通りやるから!」

「おう。頑張ってな」


 俺はブルペンの近くにあるベンチに腰掛ける。下校時間もあるから、部活はあとやれて二時間と少しぐらいか。一応、練習自体は見ておいた方がいいかな。


「……はあ」


 流れていく雲の色が白から茜色になっていく。

 その奥では、まるで海を切りとったような水色と紺の水平線の中に浮かぶ太陽がゆっくりと深海へと沈み始めていた。どこか遠くで、金属音や女子たちの声が聞こえる気がする。

 音に引っ張られるように視線が下がる。いつの間にか、グラウンド整備が始まっていた。もう練習が終わっていたらしい。整備くらいは手伝った方がいいのだろうか。

 俺が立ち上がると、ブルペンの整備をしていた武田が俺に向かって手を振っていた。


「冬也くん! この後、甘~い食べ物を食べに行こうぜ!」

「あ、私も行くっす!」

「じゃあ友奈も行こっか! ってことで冬也くん、三人で楽しい食べ歩きだぜ!」

「……なるほどな」


 俺はもう一度座って空を見上げる。

 空に浮かんだ雲たちは、茜色から鼠色に変わっていた。


 *


 気が付いたときには、山伏高校の最寄り駅である川越駅から一キロ以上も続くクレアモールと呼ばれる商店街通りを歩いていた。

 埼玉でも指折りの観光名所である川越で、最も有名である蔵造りの商店が並ぶ小江戸と負けないくらいの人たちがクレアモールを闊歩している。祭りなどやろうものなら、人の流れに合わせて歩くことしかできなくなるほどの人で溢れるほどだ。


「ねえねえ、冬也くん。ここのたい焼き屋さんって、どうしてカスタードが期間限定なんだろうね。普通はあんことカスタードの二つがメインでしょ?」


 はふはふと出来たてのたい焼きを頬張りながら、俺たちは川越駅へと向かって歩く。日も沈み、飲食店の賑わいと社会人や学生たちの帰宅が重なり、肩をぶつけないように歩くのが精いっぱいというほどの群衆。夜にクレアモールに来ることなんて滅多になかった俺にとってはかなり新鮮な感覚だった。まあ、何より新鮮なのは、俺の隣を二人の女子が歩いていることだが。


「ここのたい焼きは金時いもってやつをメインに据えてるみたいだから、なんとなくイメージカラーが被るカスタードは除いたって感じじゃないか?」

「なるほど! さすが冬也くん!」

「いや、勘だから多分間違ってる」


 野球以外だとまともな知識がないせいで思いついたことをただ言うだけになってしまう。俺は金時いもの餡が詰まったたい焼きを頬張る。想像以上に美味しい。


「そっちのたい焼きは美味しい?」

「おう。普通に」

「じゃあちょっともらってもいいかな? 私も食べてみたい!」


 武田がグッと俺に肩を当てて、たい焼きを覗き込んでくる。部活を終えたあとのはずなのに、たい焼きとは違う甘い香りがした。

 一気に武田を女子として見てしまうと同時、食べかけのたい焼きの味見って間接キスじゃね? なんて思考が駆け巡って言葉が出なくなってしまう。

 返事が遅い俺の顔を、相澤がジト目で覗き込んでくる。


「あの、中村先輩。もしかして、間接キスになるとか気にしてるっすか?」

「は、はぁ!? いや、別にそんなことはないけど」

「一応言っておくと、反対側を千切って渡せばいいだけっすよ」

「……あ」

「ちなみに、ここのたい焼きは尻尾までちゃんと餡が詰まってるので気にしなくて大丈夫っす」


 なるほど、俺だけ無意味に緊張していたというわけか。またミスったな。

 ふう、と呼吸を整えた俺は、尻尾の部分を千切って武田に渡す。

 武田は熱々のたい焼きを口の中で泳がせるように転がしながら咀嚼する。


「うまー! 確かにこれならカスタードを期間限定枠にするのも納得だね!」


 ごくりと俺のたい焼きを飲み込んだ武田は「今度は私のカスタードも食べなよ」と自分のたい焼きを千切ろうとして、その手を止めた。

 すると、武田はニヤリと悪だくみをするような笑みを浮かべた。


「冬也くん。女子への免疫を上げたいのなら、私の食べかけを食べてもいいんだぜ?」

「ごほっ!?」


 たい焼きの背びれが喉に引っかかった。

 必死に咳をしてどうにか背びれを胃に落として、大きく深呼吸をする。よし、死んでない。


「間接キスって、女子への免疫とか関係ないだろ。その、そっちだって嫌だろうし」

「別に私は気にしないぜ?」

「なら私が味見してもいいっすか?」


 急に相澤が割り込んできたが、今回ばかりは助かった。俺は一歩引いて相澤を見守る。

 ちなみに、相澤のたい焼きの味もカスタードなので、味見の必要はない。

 それに気づいている武田は、不思議そうな表情で、


「友奈と私って、味一緒だよね?」

「はい。同じです」


 なんとも正直だ。


「それでもこれ、食べたいの?」

「はい。千夏先輩の食べかけが食べたいです」


 気持ち悪いくらい正直だった。普通に引いてる。


「ふふ。あーげない! 今日の私のたい焼きの味を知っているのは、私と冬也くんだけだぜ!」

「そんな……ッ!?」


 これ以上ないくらい落ち込んでいた。頭を垂れてレンガに似たタイルの敷き詰められた道を見つめながら、相澤はとぼとぼと歩く。


「私は冬也くんに女子との免疫をつけるためにもって野球部に誘ったからね。そのために冬也くんがどんな女子とも楽しくお喋りできるモテモテボーイに育てなきゃいけないわけなの」

「ちょっと待て。そのために今日は俺を誘ったのか?」

「それが半分。もう半分は、普通にたい焼きが食べたかったの」

「だからって別に、か……間接キスなんてしなくたって」

「別にそんなことしなくたっていいんだぜ、冬也くん。大事なのは、実際にするかしないかじゃなくて、『間接キスの状況になっても物怖じしないメンタル』でしょ? こんなことでドギマギしていたら、モテモテボーイなんて夢のまた夢だぜ?」


 確かに、今みたいな状況になったときに毎回喉に背びれをひっかけていては、女子への免疫はついたとはいえないだろう。あんな状況でも「別に俺も千切ってもらうから大丈夫だよ」ぐらいの返しができることが及第点ということか。


「なんか、納得した」

「むふふっ。素直な生徒を持って先生は感心であーる!」


 鼻を高くして、武田は弾むように歩いていく。

 歩幅も大きくなって俺よりも前に出たので、俺は相澤の方へ近づいて、


「なあ、武田ってモテるよな?」

「数は分からないっすけど、去年だけで大量の男たちが撃沈しているらしいっす。それでも悪い噂とか流れてないので、人との関わりで千夏先輩の右に出る人はいないっすよ」

「もしかして、俺って凄い人に女子との接し方を教わってる?」

「甲子園で一番注目されて一年生からエースでテレビでも取り上げられたレベルの元野球部がそんなこと言っていいのかなとは思うっすけど、千夏先輩が凄い人なのは変わりないっす」


 相澤は呑気にカスタードのたい焼きを頬張って、


「まあ、千夏先輩や遥先輩と普通に喋れるようになったら、世の中の女子の九割とは普通に喋れるようになると思うっすよ」

「だろうな」

「ちなみに、私も中学のときはなかなかにモテたんで、私とノリノリで喋れるならそこらの女子ならよゆーになるっすよ?」

「……だろうな」

「お、それに頷くってことは。もしかして先輩、私のこと可愛いって言ってくれてるっすか?」


 ニヤニヤしながら距離を詰めてくる相澤。くせ毛をふわりと揺らしながら、トンと体をあてて上目遣いで俺を見上げてくる。


「えっと、こっち見ないでもらっていい?」

「お? ってことは、やっぱり私が可愛いってことっすか? ほらほら、女子にすっと可愛いねって言える男は好感度高いっすよ?」

「……それ、言ったらキモいとか言わないよな?」

「んー、中村先輩ならギリセーフっす」


 やっぱり、女子にサラッと可愛いとか言ってもいいやつってのはイケメンだって相場が決まってるってぐらいは俺でも知っている。……って、俺はギリセーフなの?


「俺が言っても……大丈夫なのか? イケメンしか言えないやつだと思ってた」

「確かに見た目は大事っすけど、顔もまあまあ整っていて背も高くてスポーツできるって、言葉にしてみたら中村先輩って意外とハイスペックじゃないっすか?」

「顔に自信はないんだけどなぁ」

「ずっと坊主だったからじゃないっすか? 世の中の高校生なんて、髪型で誤魔化してるやつがほとんどっすよ。中村先輩もセットとかチャレンジしてみたらどうっすか? 芸能人とまではいかないっすけど、一般人なら充分イケメンの位置に立てると思うっすよ」

「初めて坊主以外の髪になった俺にいきなりそんな難易度求めないでほしい」


 美容室どころか床屋にもいかずに自分で頭を剃っていたんだから、髪型なんて分かるわけがない。最低限清潔感があるようにしようとは思っているが、オシャレが何かが分からない。


「おーい! 遅いと置いていっちゃうぜ?」


 少し先で武田が手を振っている。周りを歩いている人がやたらこっちを見ているのでできればやめてほしい。甲子園のせいで視線を浴びるのも少し苦手になってるんだよ。

 歩く速度を変えようとしない俺の腕を、相澤がつんつんとつつく。


「中村先輩。さっそく千夏先輩に可愛いって言ってあげてくださいっす。絶対喜ぶっすから」

「お前が言えばいいじゃん」

「私はもう今日のうちに三回ぐらい言ってるんで足りてるっす」

「毎回思うけど、お前どうしてそれを真顔で言えるんだ」

「そんなことはどうでもいいっすから。ほら、レッツチャレンジっす!」


 相澤に背中を押されて、転びそうになりながら武田の前に出る。

 振り返ると、いけいけと度胸試しをしている子どもたちのように相澤がこちらを見ていた。

 正面では、クレアモールに並ぶ多くの店と街灯の光が武田の透き通る瞳の中で花火となって咲いていた。真っ直ぐに俺を見つめてくる純粋な瞳に意に反して体が硬直する。


「……武田ってさ」

「うん? 武田千夏は私だけど。どうかしたかい、冬也くん」


 ここまで来たら逃げられない。でも、武田なら相澤がやれと言ったと説明すれば軽く笑い飛ばしてくれるだろう。変に恥ずかしがっても笑われそうだし、真面目に言ってみよう。


「武田って、可愛いよな」

「……おやおや? どうしたの、急に」

「いや、可愛いなって思ったから」

「ほほーう。なるほどなるほど、ふむふむ」


 何かを察したのか、武田は細い目を相澤に向ける。

 当の相澤は、ちょうど隣にあったカラオケ館から流れる最近流行りの曲に合わせて白々しく口笛を吹いていた。


「友奈~? 冬也くんに変なことを教えたのは君かな~?」

「さ、さあ? 私は千夏先輩に思ってることを素直に伝えた方がいいって伝えただけっすよ?」

「おい待て。嘘と事実を巧妙に混ぜ込むな」

「なんのことっすかね~? 千夏先輩のことを可愛いって思ってることは変わりないっすよ。ね、中村先輩?」


 凄まじいキラーパスが来た。野球選手たる者、取りやすい球を投げるのが大事だと思っていたんだが、どうやら会話でのキャッチボールはどれだけ乱暴でもいいらしい。

 なんて答えればいいんだちくしょう。クソガキみたいな目で俺を見てくる相澤の隣で、武田もニヤニヤと俺の答えを待っている。こいつら、これで本当に顔が良いの反則だろ。


「……ま、まあ、そうじゃないか?」


 出来る限り背中を反って、視線は斜め上に新しくできたカレー屋に向けて、小さな声で言う。

 ちらりと視線を正面へ向けると、二人とも満足そうに笑って、


「さて、友奈。冬也くんをからかうのが楽しいのは分かるけど、これ以上はさすがに可哀そうだぜ? もう終わりね」

「はいはーい。充分に楽しんだので今日はこれぐらいで勘弁してやるっす」


 夜空を見上げても、クレアモールを飾る光たちが星々を上書きしていて、干渉に浸ることすらできなかった。女子二人と食べ歩きしながら一緒に帰るなんて言葉にすればいわゆるリア充とやらに違いないが、それは両者が対等にいじりあったりして初めてその上位集団に入ることができるのだろう。俺は所詮、部活を辞めて何も残らなかった空っぽの男。きっと女子に慣れている男なら上手な返しをするのだろうが、俺はただ下を見てタイルの目に沿って人とぶつからないように歩くので精一杯だった。

 そうやって歩いているうちに、JR川越駅の改札前に来た。観光地として落ち着いた色で綺麗に整えられた改札へ、武田と相澤が歩いていく。


「あら? 冬也くんもこないの?」

「俺はあっちだから」


 俺はすぐ隣にある東武東上線の改札を指差した。外見のいい二人はJRの川越線、俺のような庶民感溢れる男は庶民感あふれる東武東上線。実に似合ってる。


「そっか! それじゃあ、また明日ね!」


 そう言って武田は改札に定期券をかざそうとするが、何かを思い出したように立ち止まる。


「そうだ、冬也くん」


 武田は俺の肩を支えにしながら背伸びをして、耳元でそっと囁く。


「実はあのとき、ちょっとだけドキッとしちゃったぜ。この調子で頑張ってね」

「……おう」


 高校を卒業するまで武田には敵わないんだろなと思いながら、俺はホームへと降りていく二人に手を振っていた。

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