第二話 女子野球部の愉快な仲間たち その3 相澤友奈

 そのあとも、他の部員たちが来て武田を先頭にしてアップが始まった。遊び半分でやっていたら口を出そうと思っていたが、想像以上に全員が丁寧にストレッチなどもやっているので普通にベンチに座ってそれを見ていた。

 一つ気になっているのは、まだ一人部員が来ていないことだった。武田曰く、クラス委員か何かの仕事があって遅れているんだとか。その子は部員の中でも唯一の一年生らしい。

 同学年の女子との接し方すら分からないのに、後輩の女子なんてどう話せばいいんだろう。


 先に何か話題を考えておいた方がいいか……いや、考えれば考えるほど野球のことしか頭に浮かばない。一番嫌いなくせに、話題は野球しかないって本当に空っぽだな、俺。

 なんてことを考えているうちに、アップが終わって次の練習に移っているところだった。

 まずは守備練習を始めるらしい。内野と外野に分かれてノックを行っているが、顧問は未経験だし、コーチもいないので部員たちが交代でノックバットを振っていた。

 坂本の様子を見ると、俺が言ったことは意識してやっているらしい。この調子なら、一ヶ月もせずに体に染みついて基礎は固まるだろう。


「冬也くーん……」


 消えりそうな声で武田がちょこちょことこっちに歩いてきた。


「守備練習じゃないのか?」

「別々でやってるときは、いつもブルペンに入ってるんだけど今日は友奈が遅れてるから……」


 多分、後輩の友奈って子がキャッチャーなのだろう。てか、武田ってピッチャーだったのか。

 しかし、やたらもじもじを上目遣いで俺を見上げてきていることに、ラブコメであるようなドキドキではない恐怖に近いものを感じていた。


「出来れば、ボールを受けてもらったり……」

「絶対に嫌だ。それなら部活辞める」

「だ、だよね! 嘘だからね! 距離を縮めようとする粋な冗談だからね!」

「そ、そうか」


 昨日のことがあったからか、トラウマの刺激に関してはかなり敏感になっているらしい。実際、マウンドとボールという要素がなければ普通に嫌、というぐらいなのであそこまでメンタルが削れることはないから、そこまで気にしなくてもいいのだが、言わない方が嫌なときに逃げる理由になりそうなので黙っておこう。


「キャッチャーの子って、一年生なんだろ?」

「うん。でもね、基本的になんでもできる天才ってやつなんだぜ!」

「……身体能力は高いけど野球自体はヘタクソみたいなオチはもうやめてくれよ」

「相変わらずの剛速球に困っちゃうぜ!?」


 とはいえ、キャッチャーがいないのなら、ここで話しているよりも内野に混じってフィールディングを少しでも磨いたほうがいいだろう。


「ちなみに、武田は守備の方はどうなんだ?」

「……聞いちゃう?」

「あー、いや、やめておく」


 昨日のスイング並みの酷さを覚悟して、武田の練習を見ることになりそうだ。

 今まで少し辛辣にしすぎてしまったからか、心なしか武田がしゅんとしていた。もうちょっと、言い方を考えるべきか。


「まあ、ピッチングと守備のどっちが大事かと言われたら、ピッチングであることには間違いないからな。まずは見てやるよ」

「本当!? やったやった!」

「とは言っても、一年生の子が来ない限りは厳しいんだけど……」

「ああ、それは大丈夫! ほら、もう来たから」


 武田は俺の後方を指差した。引っ張られるように振り返ると、こちらへ全力疾走している練習着姿の女子がいた。そして、そのままのスピードで武田の元にまで来て、


「千夏先輩~っ! お待たせしたっす!」


 仕事に行った飼い主を玄関先でずっと待っている犬が帰宅した飼い主に飛びつくような勢いで、その子は武田の胸に飛び込んだ。

 またまた俺の苦手なタイプの子が来たかもしれないと、俺は少しだけ身構える。

 黒髪のショートカットだが、遥とは違ってふわふわとしたくせ毛で、女子の髪型はよく知らないが、ボブ……といった名前だったか。武田にじゃれつくその姿と、まんまるの瞳と未発達な身体はいかにも小動物ですと言わんばかりだった。学校の先輩と後輩というよりも、姉妹ですと言われた方が納得できそうだった。


「こ、こんにちは」


 向こうのペースに飲み込まれないように、今回は俺から挨拶を試みる。


「あ、どもっす。こんにちは」


 想像の数億倍軽いノリで返された。

 しかも、俺のことなど眼中にないのかその子は武田にくっついて甘え続けている。


「遅れてしまって申し訳ないっす。もう守備練始まってるっすよね。さあ、さっそくブルペンに行きましょう、千夏先輩」


 武田は手を掴まれ、引っ張られそうになるが、


「待って、友奈。これからお世話になるんだから、ちゃんと挨拶してね」

 脇を持ってその子を持ち上げた武田は、俺の前にちょこんと置く。

「え、えっと。よろしく」

「はいっす。相澤友奈っす。よろしくっす」


 ペコリと頭を下げた。礼儀正しい……んだよな?


「相澤さん、でいいんだよね?」

「後輩なんで、相澤でいいっすよ」

「あ、はい」


 思わず俺が敬語を使ってしまった。物怖じしない相澤の雰囲気に俺が気圧されてしまう。

 間違いなく、俺の苦手なタイプの女子だ。

 挨拶を終えて踵を返した相澤は、武田の手を握りながら少しだけ振り返って


「そうだ、中村先輩。私、あなたに負ける気はないっすから」

「……はい?」


 俺は生まれて初めて、年下の女の子に因縁をつけられた……気がする。


 *


 ブルペンと言えば、投球練習を行うための、分かりやすく言えばサブマウンドとでも呼ぶべきものだろうか。俺のトラウマが蘇るスイッチは、どうやら実際にグラウンドの中心のマウンドに立つことらしいので、俺は武田の投球練習を横から見ていた。

 その奥では、まだ守備練習が続いている。見た限り、特別下手な人はいない。全国にいけるかどうかと聞かれたら今の段階では不可能だと思うが、そこは練習次第だ。

 そして、高校野球で勝ち上がっていく中で最も重要な要素といえば。


「武田千夏、行きます!」

「おう。お前の出来次第で全国で優勝できるか決まるから。ちゃんと見てやるよ」

「たった一言でそこまでの重圧をかけるなんてさすが冬也くんだぜ!?」


 野球で注目を浴びる存在がなぜピッチャーなのか。それは単純に、ピッチャーの強さがチームの強さに繋がるからだ。もちろんプロでは話が違うが、高校野球に関してはほぼ間違いない。


「本当のことだぞ。高校野球ってのは、九人全員が強打者なんてことはほぼない。いても数人だ。その数少ない強打者からすべての打席でヒットを打たれたとしても、他をすべて抑えられれば点は取られない」


 俺は去年の府予選ではほとんどの試合を無失点で切り抜けているが、ヒットを打たれていないわけではない。打たれるときは、どんなに調子が良くても打たれる。


「攻撃は全員の力で一点を絞り出すが、守備は個の力で一点を守りぬく。だから、たった一人の化け物投手によって負けるなんて、高校野球ではいくらでもあることだ」

「な、なるほど……!」


 頬をすぼめて、素直に感心していた。近くで見ると、やっぱりめちゃくちゃ顔が整ってるんだよな、武田って。そんな整った顔が、太陽が現れたと錯覚するぐらいぱあっと俺の説明で明るくなるのだ。教えるのが好きだというやつの気持ちがちょっとだけ分かった気がする。

 俺は防具を身に着けた相澤が立つホームベースの方へと歩く。


「あれ、こっちで見るんすか?」

「細かなフォームよりも、まずは現状の球を見ておきたいからな」

「なるほどっす」


 もうすでに肩は出来上がっているようなので、早速座ってもらう。

 まずは基本中の基本、外角低めのストレート。これが良いか悪いかで、話が変わる。


「では、いっきまーす!」


 武田はゆっくりと振りかぶった。昨日のスイングを見て、投げるのも滅茶苦茶なんてことを覚悟していたが、フォーム自体に違和感はなかった。というより、俺に似ている。


「ふ――ッ!」


 スパンッ! と快音が響く。

 自らのミットに吸い込まれてきたボールを眺めて、相澤は得意げに笑った。


「どうっすか、千夏先輩の球」

「うん。よかったな、普通に」

「え! 本当!? やったぁー!」


 マウンドの上で武田はぴょんぴょんと跳ねていた。


「あ、でも。思ってたよりよかったってぐらいだな」

「もっと褒めてくれてもいいんだぜ冬也くん!?」


 また言い方がよくなかったかもしれない。最高とは言えないが、かなり可能性を感じた。フォームも悪くないし、球速に関しては女子野球の中ではかなりいいのではないだろうか。

 武田みたいなやつはちゃんと褒めたほうが伸びそうだし、何か言った方がいいよな。


「現状はまだ改善の余地があるけど、夏の大会に間に合いそうだったなって思った」

「……? というと?」

「ワンチャン、上手く伸びればかなり良くなる」

「ってことは、全国大会も……っ!?」

「ピッチングだけなら、通用するかもしれないな」

「さ、さすがっす千夏先輩っ!」


 満面の笑みで相澤は武田にボールを投げ返す。

 その後も一〇球ほどストレートを投げたが、球の回転や伸びも悪くない。近くでフォームを見ていないからどうなるか分からないが、俺の感覚だともっと伸びる。


「ちなみに変化球って投げられるか?」

「もちろん! 何がお望みで?」

「まずは何があるのか教えてくれ」

「カーブとスライダーとフォーク!」

「普通にすげえじゃん」


 俺もその三球種だったから教えるのが楽そうだな。だが、女子がフォークか。どうだろう。

 まあ、見てみないと分からないか。


「じゃあ、それぞれ投げてみてくれ」

「りょーかいだぜ!」


 頑張って褒めたからか、ノリノリで武田は投げ始める。

 カーブとスライダーは、ちゃんと曲がっていた。キレも変化量も、どちらも夏の大会までにならある程度は仕上がるだろう。ただ、問題は……


「どうかな、冬也くん!」

「武田。もうフォーク投げるな」

「ええ!? ちゃんと落ちてるのに!」

「落ちてるというより、回転と球威が落ちて球が垂れてるだけだ」


 回転が甘く緩い球というのは、一番長打が出やすい球だ。やはり、女子にフォークは向いていない、というより役割上いらない。


「フォークってのは、誰でも投げられるものじゃない。手や指の大きさとか、握力とか、投げるための前提条件が女子に向いてない」

「じゃあ、私はフォークくんとはお別れしなきゃいけないってこと……?」

「まあ、前提条件が整うまでは遠距離恋愛だな」

「寂しいけど、私は君のこと忘れないぜ。バイバイ、フォークくん……」


 武田はぎゅっとボールを抱きしめた。

 ピッチャーをやるにあたってフォークに憧れを持つ人は多いし、この別れは申し訳ないとは思う。だが、切り替えも大事ってことで。


「ってことで、新しい球種覚えろ」

「想い人が遠くに行った瞬間に浮気なんて最高なゲス野郎だぜ冬也くん!?」

「千夏先輩。寂しさだったら私が埋めるっすよ」

「一体お前はどういう立場から言ってるんだ……?」


 そもそも高校一年生が言うセリフじゃないだろ。


「中村先輩、知ってるっすか。キャッチャーって、女房役っていうらしいっすよ」

「お、おう。そうだな」

「ってことは、私と千夏先輩って、入籍してるも同然じゃないっすか?」

「嘘だろ。そんなこと真顔で言うのかお前」


 なになに。女子怖い。


「ごめんよ、友奈。私には心に決めたやつがいるんだ。別の女には手を出せねえ」

「ちなみに、キャッチャーには正妻役って名前もあるらしいぞ」

「なんですと!?」


 ノリよく相澤に合わせた武田の設定が一気に崩壊する。

 俺の隣ではやたら相澤がニヤニヤしているし。正妻って言葉、嬉しいのか……?


「千夏先輩。私、あなたから愛してもらえればどんなやつと関係を持ったって構わないっすからね……?」

「もしかして、それ本気で言ってる……?」

「ふふっ。女って生き物は、寂しさを埋めるための虚しい関係に依存してしまうものなんすよ」


 ええ、なにそれ。女子、怖い。

 俺が明らかに引いた顔をしてると、相澤はケロっと笑って、


「あ、全部嘘なんで間に受けないでくださいっす。普通の女は不倫とか浮気とかしないっす。するのはどっかで性格歪んだアホだけなんで」

「女子……こわい」


 トラウマに向き合うためにやってきたこの部活で、新たなトラウマが生まれそうだった。

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