第二話 女子野球部の愉快な仲間たち その2 水原蛍、坂本諒

 さすがに制服とローファーでグラウンドに入るわけにもいかないので、トイレでジャージに着替えてスニーカーに履き替える。

 武田と遥は、野球部の部室で着替えている。一緒に着替えるかい、なんて遥の冗談が言い終わる前に、俺はトイレに逃げ込んだ。

 野球道具は持っていないため、バッグに制服を詰め込んで背負ったまま俺はグラウンドに入る。部活をやっていたときは一礼してからグラウンドに入っていたが、今は敬意なんてこれっぽっちもないのでそのまま進んでいく。


 まだ放課後になったばかりで、遠くに見えるサッカー部や陸上部も道具の準備などをしている段階だった。まだ部活が始まっているところは見当たらない。

 しかし、グラウンドからは既に野球をしている音が聞こえた。一定のリズムでバットとボールとグローブが連続して鳴り、シュルルとネットが擦れる音が響く。ノックの音だった。

 見ると、すでに練習着に着替えて自主練を始めている二人がいた。

 一応、部員になったわけだし、挨拶ぐらいはした方がいいよな。


 ノックをしている二人に近づいてみる。まあ話しかける勇気はないので、ノックを見守る。

 見た限り、二人とも下手ではない。半年前にできた部活と聞いて全員初心者まで覚悟していたが、もしかしたら、一番下手なのは武田なのかもしれない。


「んお? 蛍(けい)、ストップストップ!」

「なんですか急に……って、なるほど。そういうことですか」


 ノックをしていた二人が俺に気づいたようで、こちらへと歩いてきた。

 先ほどのノックや使っているグラブからして、内野手のようだ。


「おっすー! 昨日は大変だったなぁ、中村!」

「諒(りょう)、女子が苦手って千夏が言ってたじゃないですか。ほら、困ってます」


 まず小走りで俺の前に来たのは、栗色でくせ毛のショートカットをした、小学校の頃は休み時間に男子とドッチボールをやっていましたというような印象をうけるボーイッシュな女子。頭のてっぺんからぴょこんと伸びるアホ毛が特徴的なその子は、右手をよっと挙げて、


「どもども! 私、二年B組の坂本諒! よろしくね!」

「よ、よろしく」


 軽く会釈をすると、今度は隣の子が丁寧に頭を下げた。


「初めまして。同じく二年A組水原蛍といいます。よろしくお願いします」

「こちらこそ、よろしくお願いします」


 形式的な挨拶なら、逆にやりやすい。

 なのに、水原は不思議そうな顔をして、


「……? 同い年なので敬語は大丈夫ですよ?」

「あれ。じゃあなんでそっちは敬語……?」

「私のは癖のようなものなので気にしないでください。むしろタメ口です」


 むしろってなんだ。逆に敬語じゃない方が敬語ってことか?

 考えていたら頭がごちゃついてきた。気にしないことにしよう。


「えっと、坂本さんと水原さんでいいんだよな?」

「タメなんだし諒って名前で呼んでもいいからな!」

「……間を取って坂本でもいい?」

「どこの間かよく分からないけどおっけー!」


 無邪気な笑顔でオーケーサインを作った坂本。


「私も間を取って水原と呼んでもらって構いませんよ」

「……どこの間かよく分かんないけど、水原で」


 とりあえずの自己紹介が終わった途端、坂本が一気に距離を詰めてきた。


「なあなあ、中村って内野も出来るのか!?」

「あ、いや。別に得意ってわけじゃないけど、交代した後は外野かサードだったから、ある程度は分かると思う」

「おー! あのな、私がショートで蛍がセカンドなんだ! 見てくれよ!」


 少年野球みたいな元気の良さに圧倒されてしまっていると、水原が諒の首根っこを掴んで俺から引き離す。水原は黒髪で肩に触れるか触れないか程度の長さのセミロングで、前髪も重めなので第一印象は文化部にいそうという感じだ。その割には自分と同じ体格の坂本を用意に引っ張っているので、筋力自体はあるように見える。


「昨日のやつ、見てましたよね。無理に迫っても中村さんを困らせるだけです」

「うぎゃー! でもここに来てくれたってことは教えてくれるってことだろ!? だったら遠慮してる時間だって勿体ねーじゃん! 練習させろー!」


 ジタバタと暴れる坂本と、それを片手で摘まむ水原。

 さすがに可哀そうだ。何か言っておくべきか。


「あれぐらいなら別に大丈夫だから気にしないでくれ」

「そうですか。なら見てもらいましょう」

「意外と切り替え早いんだな」

「昨日、夜にあなたの動画を改めて観ました。間違いなく、今まで出会ってきた人の中で一番上手いです。本職が内野でないとしても、教わる価値は大いにありますから」


 二人とも、練習する気は満々だった。

 遥といい武田といい、部員が少ない割には意欲が多い人ばかりだ。となると、この二人にもあの質問をしておくべきか。


「二人とも、全国優勝を目指すんだよな?」

「当然!」

「当然です」


 同時だった。即答した二人は、すぐにノックの準備を始める。

 先にノックを受けるのは、坂本のようだ。


「お願いしまーす!」


 グラブをはめた左手を上げると同時、水原がゴロを打つ。

 滑らかな動きで捕球をすると、一つステップを入れて送球。一塁ベースの位置に置かれたネットにボールが吸い込まれていく。

 そのあとも、同じように五球ほどノックを捌く。

 全てをミスなく終わらせた坂本は、ふうと息を吐いて、


「中村! どーだった!?」

「……うーん」


 そこそこできているからこそ、指摘が難しい。武田のように全部ダメというのも難しいが、可もなく不可もない相手に対しても、即座にアドバイスをするのは難易度が高いのだ。

 だが、あれだけ輝いた目で見られている以上は何か言わなければならない。


「坂本ってさ、基礎練習とかサボってる?」

「うげ。なんでバレた!? 今日初めてあったばっかりなのに!」

「見た限り、全然下手じゃなかったんだけど、少し捕球姿勢が気になってな」


 動き自体は滑らかで、送球も悪くない。だが、コンマ数秒、歩数にして数歩のタイミングでアウトかセーフかが変わる内野手なら、基礎が最も重要になる。


「ゴロを取るときに腰が高いときや、右手が添えられていないときが数回あった。基礎練習が染みついている人なら、おそらくそれはない」

「で、でも、アウトにはなるぞ!」

「草野球なら問題ない。だが、目指すのが日本一の場合は、コンマ数秒をいかに削れるかで勝負所の結果が決まる。なにせ相手も本気だ。一歩の差でセーフなんて山ほどある」

「ぐぅ……」


 ぐうの音が出ていた。ご飯をお預けにされた犬のようにしょんぼりしている。


「あ、諒は寝れば大抵のことは忘れるのでズバズバお願いします」


 どうやら脳みそもペット並みらしい。ということなら、遠慮なく。


「まず前提として、内野や外野問わず素早くアウトを取るのに大切なことはなんだと思う?」

「すぐにボールを取って、速い球を投げる!」


 おそらく坂本ならこんな回答をするのだろうな、と思ってこの問題を出した。

 素早くボールに到着するのも、速い送球をするのも確かに大事だ。しかし、不正解。


「それはもっと先の話だ。一番削らなきゃいけないのは、取ってから投げるまでの時間。これが遅いと、話にならない」


 送球が速いに越したことはないが、実はそこまで速さというのは関係ない。特別速いのなら武器にはなるが、プロ野球で守備が上手いと言われている選手たちで投手のような剛速球を投げている人は意外と少ないのだ。プロの技というのは、身体能力とは別の位置にある。


「極端に送球が遅くない限りは、そこを削った分だけアウトが取れる。男と違って矢のような送球が少ない女子野球ならなおさらだ」

「じゃあ、どうやってすぐ投げるんだ? 別にゆっくり投げてるつもりはないぞ!」

「だから言ったろ。削るんだよ。取ってから投げるまでに必要な動作の中で、0.1秒ずつ削っていく。積み重ねれば、届かなかったあと数歩に簡単に届く」


 俺は坂本に指示をして、捕球の基本姿勢を取らせる。中腰だが背中は曲げず、左足の隣にグラブを置いて、右手を添える。

 当然、普段からやっていないとかなりしんどい。

 案の定、数秒ほどで坂本の太ももが生まれたての小鹿のように震え始めた。


「うぅ~。キツイ……」

「サボっていたツケだな」

「中村が想像の何倍も鬼教官だったぞー!」


 涙目でうぎゃーと叫ぶ坂本。それを見て水原がくすくすと笑いながら冷やかしていた。

 昨日の夜に武田と話しても思ったが、どうやら野球が絡むと女子とすらすら喋れるらしい。意外と、俺が女子と普通に話せるようになる日も近いのかもしれない。

 ボールに触れない俺は、水原に頼んで坂本が構えているグラブに向かってボールを転がしてもらう。非常に簡単なゴロを震えながら坂本はグラブに納める。


「その体勢から、投げる直前までやってみてくれ」


 坂本はその体勢から直接顔の横までボールを運ぶ。先ほどの動きを見てもそうだったが、やはり運動神経と基礎身体能力は充分にあるようだ。


「どう!?」

「悪くないけど、良くもない」

「全然嬉しくない!」


 漫画だったらずーんとでも効果音がつきそうな顔だった。


「今は勢いのないボールだから簡単だけど、実際の打球を取ったときにその動きだとボールをちゃんと握る時間がなくて、グローブごと持ち上げてすっぽ抜けるってことが多発する」

「……? どゆこと?」

「改めて言うが、握り替えは大事なんだよ。即座に縫い目に指をかけるのはいい送球に繋がるし、無理にそこは削るべきじゃない。そこは削らなくていい0.1秒だ」


 指がかからないと回転が上手くかからなくて球が変な動きをしたり、伸びずにショートバウンドになる可能性もある。ファーストが取って初めてアウトなのだ。そこは削れない。


「捕球の直後、グローブと一緒に胸元に両手をひいて、そこで握り替えて右手だけ引く」

「む、胸に!?」

「ごぶぅ!?」


 野球のことを考えていたせいで、説明していた相手が女子だってことを忘れていた。

 そうだよな。今日会ったばっかの男に胸とか言われたびっくりするよな、ごめん。

 意識すると急に言葉が出なくなってきた。ああ、どうしよう。帰りたい。


「中村さん。諒のこういう反応は大抵冗談なので無視していいですよ?」

「え、そうなの?」


 よく見てみれば、坂本は顔も赤らめてないし空き地で遊んでいる悪ガキのような笑顔だった。


「むふふぅ。ハニートラップってやつ!」

「ザ、埼玉みたいな平地の胸に仕掛ける罠ってなんですか。あ、分かりました。自分の胸が小さすぎて可愛いブラが選べないという店側の罠にかかったということですね」

「うぎゃー! それはさすがに恥ずかしいぞーっ!」


 今度こそ顔を真っ赤にして坂本は水原に飛びかかった。しかし、水原は慣れた挙動で坂本の攻撃を避けて嘲笑している。確かに、水原は練習着を着ていてもそこそこ大きいと分かるぐらいの胸が……って、何を見てるんだ俺。

 胸がコンプレックスだったのか、坂本は半べそかきながら水原とじゃれ合っていた。泣いたり笑ったり忙しい子だな。本当に同い年なのか?


「おー? 何か楽しそうなことやってるなー!? 私も混ぜろー!」


 急にやってきて二人の間に飛び込んだのは、結び目を低くして少しサイド気味に長い髪をまとめた武田だった。しかし、坂本は敵を見つけたかのような表情で、


「Eは黙ってろー!」

「な、なんの話!?」

「千夏、あなたがやってきてしまうと一つ階級が下の私が諒にマウントを取れなくなるので黙っていてください」

「なになに!? 一体何の話をしてるの!?」


 武田は助けを求める目をなんと俺にむけていた。

 ちょっと待て武田。それを俺に訊くのか。答えられるわけないだろう。

 案の定、俺の口は酸素を求める金魚のようにパクパク開くだけで言葉を紡がない。


「ほら、千夏。冬也が困っているじゃないか」


 遅れて遥がやってきた。真っ白な練習着と練習帽のはずなのに、まるで純白のタキシードでも着ているのかと思うほどの立ち振る舞い。野球部特有のむさ苦しさを一切感じなかった。


「そろそろみんなも揃ってくる。アップを始めるから二人も準備をしようか」

「もうそんな時間か! 中村、また教えてくれよな!」

「お、おう。とりあえず、基礎練と握り替えの動きを反復してくれ」

「もち! ありがとな、中村!」


 坂本の身長は女子の中でも比較的低めのため、無邪気な笑いは飼い主と遊んでいる子犬のようだった。トラウマがなかったらボールを投げて取ってこーいと遊んでいたかもしれない。

 水原は子犬の坂本をノックの片づけから逃がさないように首根っこを掴みながら、


「また時間があるときに私にも教えてくださいね、中村さん」

「あ、ああ」


 ボールに触れないために片付けには参加できないので、俺は小さく頷いて後ろに下がる。

 坂本は気持ちを押し出していくタイプなのでどんな性格なのかは大体分かったが、水原はどこか掴みどころがない。眼鏡でもかけて教室で本を読んでいたら、何も知らない人は野球部だなんて夢にも思わないだろう。基本的に敬語だし、休日は家で過ごす感じだろうか。個人的には、武田や坂本のようなエネルギー放射系女子よりも、水原のような落ち着いた子の方が話しやすい。活発な女子は苦手というより、怖いと感じてしまうのだ。

 と、片づけをしていた水原がふと顔を上げて、


「そういえば、千夏。さっき話していたの、おっぱいのことですよ」

「おっぱいの話だったの!?」


 ……前言撤回。この部活の女子たち、みんな怖い。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る