姫神正誓
魔豊学校は、学生寮を含めての施設なので、学校本館と学生寮は目と鼻の先だ。香輔は歩いても数分でたどり着くヤギ小屋へ世界が終わりそうな形相で走っている。フルマラソンを完走したわけでもないのに身体中から嫌な汗が吹き出していた。
この学校のヤギは一匹だけ飼育している。一年生が週代わりで世話をする係だ。とはいえ、朝と夕の小屋の清掃と餌やりを行うだけの特に重労働ほどではない。
テニスコート一つ分の広さを持つ牧場は外側から餌を与えるように餌台が設置してある。昨日、その為の雑草を刈り集めたはずだが、今朝の分のストックが揃えていなかったのだ。
ヤギ小屋に近づくにつれて、餌場には他にも人がいるのが見えた。ここに来る理由など当番以外ほぼ居ない訳だが。しかも早朝から。
緑を強調とした制服のようでジャージのような服を着た彼は香輔のよく知る人物だ。というかクラスメイトである。
彼は香輔に気づき「おはよう」と挨拶をして、
「どうしたの? 凄い汗だけど。地球一周でも完走した?」
「……」
分かりやすい冗談かもしれないが、こちらとしては息が荒く返す言葉もない。
正直、香輔は少し面倒くさいと思ってしまった。彼、姫神正誓は真面目なところがある。香輔が状況を思索する限り、遅れてやってきた自分の代わりに餌をやってくれたのかもしれない。
と、そう顔に書いていたのか、把握したようで、
「俺が来た時にはもう誰かが終わっていたよ。この学校を守れて良かったね」
「……おぉ」
もはや人語すら怪しくなった香輔は少し前を思い出し、顔を青ざめた。
それは、一人の生徒が行うはずの餌やりをサボったことが全ての始まりだ。腹を空かせ怒りに任せて暴れ出したヤギは、危うく学校が比喩表現とかではなく本気で壊滅状態になりかけたのだ。
そのヤギこそが、香輔と姫神の前でモサモサと雑草を食べている。
体長一メートルを超え、片方の角が折れておりもう一本が変則的なねじれ一本角となっている。シルエットにすると架空の生物、ユニコーンに見えなくもない。
ちなみに、このヤギにはアルゲティという立派な名がある。
香輔は息を整えながら、
「助かります。こいつに殺されかけるところでした」
メェーと、ヤギ――アルゲティ――は低く鳴く。『命拾いしたな』と言いたげなようだ。
「……なんでこんなヤツの為に命懸けなんだ」
「まあ、俺たちはこの角のおかげで農作物を育てやすくしてくれるからなぁ。感謝するべきなんだろうけど」
「『豊作の守り』でしたっけ? コレのおかげで感謝するにも、僕らには全く懐かないじゃないですか」
片方の変則的なねじれ一本角。『豊作の守り』と揶揄する角は植物の再生を司る豊穣術だ。『豊作の守り』とは農耕において豊作の願いを形にした貴重な角である。
豊穣術は扱いさえ正しければ誰でも使える。アルゲティも例外ではない。
ただ、アルゲティは気性が荒く、扱いが難しいのだ。そう、腹を空かせ暴れたとしても。
「ていうか、こいつの気分で学校を壊滅されてたら、もう核兵器と変わんないんじゃ………」
「アルゲティは高貴な生き物だから、余程の失礼なことがない限り暴れないらしい」
姫神は苦笑気味に、
「とはいえ、確かにアレはトラウマものだよね。学農長がいなかったらどうなっていたことやら」
後の、『豊穣の怒り』と呼ぶ事件は学農長によって治まった。生物兵器と変わらないアルゲティを手懐けるのは学農長しかいないのだ。
香輔はその時の惨劇をまた思い出したのか、悪寒を感じながら。
「ホント……、どうやってこの暴れヤギを手懐けたんでしょう?」
「残念ながら、本人に聞いたけど教えてくれなかったよ。でも、『豊作の守り』は魔豊植物環境省の公認を得て使用を許可してあるとは言ってた」
「いいんですかねその『豊作の守り』ってやつ。なんかウチだけ独占してるみたいで」
「そこは学農長しか懐かないわけだし、個人ではなくこの魔豊学校の為に豊穣術を活かしてるから問題ないって。でも、魔豊協会やら戦術魔豊会への報告はめんどくさいってボヤいていたよ」
魔豊植物の中には危険を伴う豊穣術もある。料理に使う包丁を子供が笑顔で振り回すような、間違った使い方など望んでいないのと同じ、アルゲティには選別が必要だ。
脅威となり得るか否か。
それを見極める為に報告は欠かせないのだ。
「ふーん」
しかし、そこんトコロよく分からない香輔は生返事だった。
ここで、変な沈黙が訪れる。
アルゲティのお食事をボーっと眺める二人。むしゃむしゃと、その音だけがこの沈黙に響く。
………………………………………………………………………………………………………………。
会話終了。
(いやもう用事ないのだしここから帰ったらいいけどなんか他にもおしゃべりをした方がいいのかけどけどいい天気ですねなんて話の始まり的におかしいし)
アレコレ考えるコミュ障野郎、星雪香輔は頭の中でフルスロットルのご様子。
二人が会話をするのはこれが初めてではない。香輔の性格というのもあるが、姫神のことを苦手意識があるのだ。
別段。姫神正誓はイヤな奴とかではない。
むしろ逆。
姫神正誓はパーフェクトな人物だ。
容姿端麗。運動神経、成績ともに抜群。誰からも優しく頼りになれる男。
自分としては他人と比べてしまうコミュ障と優等生では何とも言えない心の壁を張るものだ。
会話という会話は義務的なことだけ。
「星雪くんは何で魔豊学に来たの?」
ところで、ご趣味は何ですか? と香輔が話しかけようとしたが、沈黙を破ったのは姫神の方だった。
しかし、
(いきなりの質問だな)
面接かよ。とも思ったが、『しりとりでもしようか』と香輔が考案した第二作戦よりよっぽどマシかと思い直す。
「僕は……」
だから、ごく当たり前の質問に答えようとしたところで、ふと、止まった。
なぜ自分はここに来たのか、自問自答したからだ。
–−勿論。農業、魔豊植物ともに基礎技術の習得。それらを学ぶ為に魔豊学に–−
「まぁ、あの星雪家だから当然か」
「……、」
あの星雪家。
そう言われて香輔は、グッと感情を表に出すのを堪える。
「『世界樹』が誕生してから、俺達のような後継者はあまり居ない。むしろ、農業者は時代遅れだと言われている世の中だ。それでも、ここにいる人達は世界の豊穣を願っている」
淡々と言う優しい口調とは裏腹に、どこか訴え掛けるような言葉だった。
「君も鶴宮さんも、世界の豊穣を背負う『梅社』としてこの魔豊学校に来た……。それは分かっているんだ」
病害虫を退ける『世界樹』は、枝で代用できる。
その枝を挿し木として使う事で結界樹を完成する。しかし、結界樹は『梅社』五家系にしか生産できないのだ。
数少ない後継者だからこそ、香輔と杏はこの魔豊学に足を踏み入れたのだろう。
姫神はそれを分かったうえでこう言った。
「でも……星雪くん自身には何も感じられないんだ」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます