鶴宮杏

(つまり、死ぬ以外のことが起こると)

 香輔は遠い目をした。

 鳴滝の言った通り観客は大勢来た。フィーリネという珍味を一目見ようと野次馬は確かにいたのだが、とうに午後の授業の準備で誰もいなくなっている。これだけ焦らされて飽きられるのも当たり前だ。

(ホント、どうしようコレ)

 いくら見つめても状況が変わる訳がない。

 鳴滝が最後の言葉がどうしても気になる。あの『死にはしない』というキーワードがさらに不安を積もらせるのだ(しかも悪そうな顔で)。

 やはり、人間は見た目で判断するものだなと、香輔は思った。外的視点における判断で脳が邪魔をする一方、精神に及ぼす誘惑。これがフィーリネの豊穣術。

 グロテスクなのに案外美味なんじゃないのか、だけれども見るからに悪魔の能力者になれそうな禍々しい威圧感を放っているのだから生理的に受けつけなかったというこのモヤモヤ。

「うーん」

 また、香輔は唸る。これで何回目だろうか。

(こうなったら、でこいつを解析するしか……)

 そう思った後、香輔の体に淡い翡翠色のオーラを纏う。全身エメラルドグリーンに照らしたような彼は果実を触れようとしたところで、

「お待ちなさい」

 凛とした声が制した。

 ビクッ、とまるでイタズラがバレた子供のように肩を震わす香輔は女の子に目を向ける。

 緑を強調した制服という点では香輔と変わらないだろう。ただ、この学校では一点違うとすれば、スカートではなくショートパンツであること。制服とジャージを組み合わせたようなこの学校の制服は、いついかなる時も動きやすさが特徴だ。勿論、これとは別に農作業服も用意してある。

 そして、もう一つ。彼女個人には他とは違う特徴を持っていた。

「貴方。分からないから検索エンジンで調べるみたいな感覚をやめなさい。わたくしが目を離したらすぐにこれですわ」

「……、」

 腕を組みながら香輔を睨む少女は、ロングヘアーを豪快に縦巻きロールをしていた。その姿は高慢なお嬢様を表していたが、今の制服とはあまりにもミスマッチであった。

 全体的にアンバランスな少女はため息をつきながら、

「いいですこと? 香輔の『自然能力』は確かに便利ですが、その能力には対価が必要なのをお忘れではなくて?」

「これぐらいの力なら大差ないって。ホントなんでお前が僕の世話係なんだ……」

「そうはいきませんわ。わたくしには香輔をサポートするよう星雪家に任されているのです。貴方の能力は未知数ですのよ」

 彼だけが特別ではない。

 自然能力は希少な特殊能力。『世界樹』の恩恵によって保有するとされている。

 そして、星雪香輔の能力は『アナライズ』。

 植物に触れたものなら、その生態と特徴の情報を得られる。例えるなら、魔豊植物の取扱説明書を一文一句丸々暗記できるニュアンスに近い。

 そんな彼が能力を使い、フィーリネの豊穣術を解析しようとしたところに彼女が怒りつけたのだ。

 香輔にとってこのやり取りは億劫であった。

「だから分かってるよ。力を抑えて最小限にしてるから。ネチネチうるさいなぁ」

 こうなってくると香輔は、拗ねた子供のような態度になるパターンが多い。

 豪快に縦巻きロールにしたジャージぽい姿のお嬢様はやれやれ、といった様子で。

「やっぱりわたくしがいないとダメですわね。下手をしたら落ちていたものを拾い食いしそうですし、そういう態度も昔と変わらないですし。今の状況をはたから見ると小学生ですわよ」

「お前だってはたから見ると残念お嬢様だぞ。ていうかまだそのキャラかよ。いい加減本当に友達なくすぞ」

「う、うるさい。残念とかゆうな! そもそもうちは現在進行形でお嬢様やし! あと友達ぐらいおるわ!」

 一瞬でキャラが崩壊したことにより本性を現した(実際はお嬢様)。残念が地雷キーワードなのか、一息でツッコミを言い終えた縦巻きロール少女は紅潮しながらも息を整える。

 香輔はいつものイタズラ心で調子に乗り、

「無理するなって。お前、自己紹介で『わたくしは鶴宮家の一人娘。鶴宮杏と申しますわ!』って決まった顔してたけど、みんなの無表情に心が折れかけただろ? 高校デビュー失敗だな」

「………………………………」

「分かった! 僕が悪かった! こんな所で豊穣術を使うな! お前の場合危なっかしい!」

 今度は半泣きになってしまった鶴宮杏は、いつの間にか一本の光る小枝を呼び出していた。先端が光を灯す小枝を杖のように構える様はまるで魔法を唱えるように見える。

 とはいえ、杏が魔法使いというわけではない。そもそもの源は植物だ。

 手にするのは梅の小枝。これも魔豊植物の一種である。

 人が豊穣術を使うのに精神力とか魔力など必要ない。それはお伽話の世界。言ってしまえば引き金を引くのと同じ、扱いさえ正しければ誰でも使役できる。

「鶴宮杏ていう登場人物はもっとおしとやかお嬢様だったろ? 今でもそのキャラ貫き通すにも意味がな―――」

「あの人は関係ありません」

 言い終わる前にぴしゃりとかぶされる。

 しまった。と、香輔は焦った。

「今のわたくしは、個人の気持ちでこうなることを望んでいるのです。あの人がいないことも分かっていますわ。それに、昔のわたくしは嫌いです」

 彼女は本当に変わってしまった。

 あの人の為に努力しようと。それが無意味だったのかは分からない。それでも彼女は今の自分自身を無理やり納得しているのかもしれない。

 これも全部世界樹が悪い。と香輔は子供のように思う。

「その……。ごめん」

 素直に謝る香輔だが、心の淵は自分に苛立ちを覚えいた。

 だから、それを紛らわすために。

「お詫びにこの果実を」

「さりげなくゲテモノを押し付けるな」

 心底嫌そうな顔をされた。

「そう言うなって、鶴宮が食べてみろよ」

「香輔がゴム人間になるところを見届けたいのよ、それに貴方が見つけたのだから責任を取りなさい」

「いや、本当にありそうだからマジでやめろ」と、香輔が言いながらも財宝を求めて海賊になるところを想像してしまう自分がいた。

(もし僕が、そんな主人公みたいなことがあっても、資格は無いだろうな)

 彼は自然能力がなければただの少年だ。それに魔豊学校もいなかっただろう。

(そもそも、農業に関係のなかったはずの僕なんかよりよっぽどあの人が……)

「早くしないと午後の授業始まりますわよ」

 想いにふけっていたのを中断する。

 よほど杏が待ちきれなくなったのか急かされてしまった。

「……分かってるよ」

 何はともあれ杏の言う通り、何も始まらない。

 香輔はついに決死の覚悟でこのゲテモノに挑む。

「ええい! ままよっ!」

 ひとつまみに持ち、口を開けて運び込む。ちょうど一口サイズに収まるゲテモノがついに舌の上へ置いた。

「ど、どうですの?」

 感想を聞くが、香輔は黙ったままだ。モグモグと咀嚼して、まるでソムリエのように目を閉じながら珍味しいる。

 そして急にカッ、と見開き。

「激あまっ!」

「ええっ!」

 素っ頓狂な声を出してしまった杏。

「甘いのですの?」

「何だこれ。歯が溶けるぐらい甘いぞ……いや、ちょっと待て」

 

「硬っ! か、噛み切れねぇ……え? 今度は味が苦く……。ちょ、な。ぼ、僕の口の中はどうなってぃぃぃぃぎゃゃゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ‼」

「コウちゃん!」

 あ、その愛称久しぶりに聞いたな。と香輔の思考を最後にぶっ倒れた。

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