第一章 魔豊学校の日常

魔豊植物フィーリネ

「……うーん」

 ある昼食頃。

 星雪香輔は、目の前の果実をにらみつけて悩んでいた。

 緑を強調とした、制服とジャージを混合したようなこの魔農学校の学生服を香輔は身を包み、他に誰もいない食堂で一人目立っていた。その服の長所は? と、質門すると生徒たちは口をそろえて『動きやすさがモットー』だと答えるだろう。彼もその着心地にはお気に入りだ。

 午前の実技、農作業を終えてお昼ご飯。さっきまで騒がしかった食堂は、他の学生たちはとうに食事を終え、香輔一人がポツリと腕を組みながら果実とお見合いをしている。一見すると献立に嫌いな食べ物があるので時間最後まで居残りの小学生の図である。もしかしたら、まだ少しの幼さの残る彼ならそう映るかもしれない。

 彼は飛び級で進学した高校生。歳は一五だが立派な大人だ。

 だから香輔としては、特に偏食がある方ではないと自負する。その反面、低身長なのがコンプレックスなのだが……。

 しかし、一個の果実にこれだけの時間が経ち、口にしていないのだ。

 『果実』と聞くと甘いもので色鮮やかだと連想するだろうが、今の状況は違う。

 というか、果実うんぬんの問題より。

 そもそもの本題として。

 

 ビー玉ぐらいの一口サイズだと想像すればいい。赤紫の組み合わせの色彩がいかにも毒はいってますよーと、主張しているようだ。しかも、目玉のようなまだら模様の柄をしていて、心なしか動いているような気がする。

 勿論、毒がはいっているわけでも腐っているわけでもない。

 これが正常。

 そう、これが正常であり、れっきとした果実だ。

 名はフィーリネという。

 あいにくと、香輔にはそういう愛好家ではないし、どんなものでも美味しく頂ける舌を持ち合わせてはいない。

「いや、でもこれ……何だろうなこの感じ」

 何とも言えないように呟く理由として。

「実はうまそうに感じるんだよな」



 ことの発端は午前の農業実技。香輔が鎌でせっせと草刈りをしていた時だった。

「何だこれ?」

 そう口に出して見つけたのは奇怪なものであった。ちょうどしゃがんでいたあたりに柄が特殊……というか悪趣味な柄をしたものが目に映ったのだ。

「……」

 改めて観察する。

 ビー玉ぐらいの大きさに、赤紫色のまだら模様をしたグロテスクな柄だった。さらに、雑草で紛れて分からなかったが、よく見ると草本性の植物だと香輔は気づく。

「……」

 そもそも、植物なのか怪しいところだが、これはおそらく『一般』のものではない。

 魔豊植物だ。

 世界樹により植物を進化させたものを魔豊植物という。

「……」

 と、ここまで香輔が黙っているのは、このゲテモノを凝視しているからであって、このままスルーをして作業を続行することが出来なかったのだ。

 なぜなら、

(なんだろう、コレに心が惹かれる気がする)

 まるで魅力的な異性から目が離せないような感覚だった。

 思わず手に取り、口に放り込む欲望が駆り立てる。

 だからそれを必死で抑える香輔には、背後からの気配に気が付くのが遅れた。

 とっさに振り向く。

 サングラスをかけたスキンヘッドの大男が見下ろしていた。

「ひっ!」

 冗談抜きで巨人かと思った。

 二メートル近い身長の男は全身黒のオーバーオールの格好をしている。服越しからでもわかるその隆起した筋肉がさらに存在感を放つ。屈んでいた香輔が壁だと錯覚するぐらいの人物だ。

 いきなりすぐ後ろからこのコワモテが声をかけようものなら、すいません返済はまだなんですぅ‼‼ と返される人は少なくはないんじゃなかろうか。

 だが、落ち着きを取り戻した香輔は気づく。

「え……あ、せ、先生。ビックリさせないで下さい!」

 そう、この男こう見えても教師である。

 果樹専門教師、鳴滝義機

 しかし、鳴滝は特に詫びることなく、むしろ愉快な声で。

「いや、ビックリさせるつもりは毛頭ないんだが。俺の頭だけにってか。HAHAHA!」

「………………………………」

 全っ然笑えなかった。

 鳴滝は片手で自分の頭をさすりながら大笑いをしたが、あの黒い奥は多分目は笑っていない。

「そんな見た目で自傷されても……」

 低身長である香輔が立ち上がっても、幾分高い巨人には聞こえない程度にボソッと呟く。

 どの表情が正解なのか、対処に困る香輔の反応をおいて鳴滝は聞いてもいないのにしみじみと語りだした。

「まぁ、俺に怖がられるのは毎年の新入生恒例なんだ。慣れてるとはいえ、避けられるのはちょっと寂しいな」

「……あ~」

 そういえば、入学式の日にもサングラスをかけていたと香輔は記憶する。その時は『ヤベェ奴がいる』と生徒たちが怖がっていたものだ。というか、黒いスーツ姿なのだから全体的に……『アレ』である。

 そんな彼だが、顔に似合わずとても苦悩しているようで。

「この際だから聞かせてくれ。どうやったらフレンドリーに話しかけれる? 俺だって生徒の悩みや恋バナを聞きたいんだ。お前の価値観でいいからさ」

「僕の個人的な意見ですか?」

「ああ。何でも言ってくれ」

 香輔は足の爪先から頭のてっぺんの順に鳴滝の全身を観察して、そうですねぇー。と思考してから。

「できれば背後から声をかけないで下さいい。……あと、前からも」

「冷静な顔でひどいことを言うな」

 もはや話しかけないで下さいと言ってるようなものだ。鳴滝はさすがに傷ついた。

「冗談はさておき」

「今の本当に冗談なの? 心の底の願いじゃないの?」

 香輔はそれを無視して、

「んー。じゃあサングラスをどうにかしませんか? それだと威圧感がありますよ」

 そのアドバイスに鳴滝は、すぐに首を横に振った。

「や。これだけは無理だ。俺、視覚過敏症だから太陽とか明るいのは基本直視できない」

「え? そうなんですか?」

 これは新たな発見だな、と香輔は思った。まさかそんな秘密があったとは。てっきり『ヤ』の付くお方かと思ったが、鳴滝義機の印象が少し変わったかもしれない。

 とはいえ、見た目をどうにかしないとやはり怖いものはしょうがない。

 鳴滝は落ち込んだ様子で。

「やっぱり無理なのかなぁ。ハァ……。整形したいな」

「そ、そこまでしなくても。ほ、ほら! 視覚過敏症だって伝えたらちょっとはみんなの接し方がちが……あ、そっか。そもそも話しかけられないんだ」

 悲しいことに、どうやら詰んでしまったようだ。

 もう、どうアドバイスしたらいいのか分からず香輔はワタワタとしながら、

「あの、えっと。き、気にしなくてもいいと思います。人見知りの僕にでもこうやって話しかけてくれたじゃないですか」

「べ、別に……きにし、気にしてなんか……ないし……」

(めちゃくちゃ気にしてる)

 意外と豆腐メンタルだった。

 そんな見た目でしおらしいことを言うと、変なギャップが生んでしまった鳴滝を、なんだかちょっとだけ親近感が湧いてしまった。なので、ここはこれ以上傷つかないように無理やりにでも話題を変えた方が良さそうだ。

「あ! そうそう! よく分からない植物を見つけました。何ですかこれ? 悪趣味な色してますよ」

「グスッ……ん? ああ。それはフィーリネって果実だ」

「フィーリネ?」

 一般果実では聞きなれない名だ。やはり、魔豊植物だろう。

 この学校では農業の基礎はもちろん、魔豊植物の農作物を取り扱っている。今、香輔たちがいる圃場ほじょうはそれらの設備に特化した場所だ。

 だが、フィーリネなどという果実はここでは栽培されていない。

「またの名を『野良果実』。そうか、お前。こいつの豊穣術にかかっちまったな」

「は? 豊穣術?」

 香輔は豊穣術を知らないから聞き返した訳じゃない。

 豊穣術を放たれた動作に覚えがなかったからだ。

 「でも、そんなことは……あ」

 いや、あった。

 正確には心の状態。

「もしかして、『この果実を食べたい欲求』なのが豊穣術?」

「さらに細かく説明すると、フィーリネの誘惑と食欲の精神干渉系豊穣術。その色は環境に反してより目立つ為に偶然そんなグロくなったんだな」

「?」

 鳴滝の説明にはピンとこないようだ。これを豊穣術というカテゴリーになるのか。

 世界の恵みを司る超常現象、『豊穣術』。

 それは、世界の秩序を象徴する巨大樹、『世界樹』により植物が進化をなした奇跡である。

「つまりお前は、野性的本能が解放しているてこと」

「人を原始人みたいに……」

 とはいえ、心理的には間違っていないかもしれない。

 そもそも、野生の実とは繁殖戦略を持っており、目立つ色彩と甘い匂いを放つことで動物に食べられ、種が体内に通じて種子散布を行う。

 このフィーリネはそれに『進化』した果実ということだ。

 つまり、星雪香輔は誘惑に負けた原始人なのだ。

「まぁ、そう悲観するな。中々面白い果実なんだぞ。見た目も独特だが味は……、そうだな、星雪。試しに食ってみろ」

「へっ?」

 なぜか、言いかけた言葉が突然こちらに振る。鳴滝が今思いついたような提案を持ち掛けたのだ。

「今すぐにとは言わない。俺だけ独占は面白くないからな。観客は多い方がいい。もうすぐ昼飯時だし、会場は学食で行うとしよう。……クック、面白くなりそうだ」

「え、でもこれ……物凄く危険な―――」

「大丈夫、大丈夫。死にはしないから」

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