4.さてここで個人的なはなし。

 ちょいちょいワタシの文章の中ではほのめかしてはいたんですが、ベタにここまで書くのは初めての個人的な関係の話。


 で、何で唐突にここなのか、というと。

 この「陽炎の砂宮」で唐突にLUNA SEAにはまった話をあとがきにしているんですね。

 出たのが1996年11月でした。

 金蓮花さんはその前まではB'zの話をあとがきで思いっきりしてましたし、稲葉氏の歌詞とまっちゃんのギターが好きというのずいぶん書いてました。

 ところがここいらでいきなりこっち側に来ます。


 で、ワタシ自身当時LUNA SEAのFC会員だったんですね。

 いや、B'zの会員だったこともあるんですが。

 ついでに言うとその時期はラルクさんのツアーに走り回っていたんですが。

 そう、もうこの時期は熱意はラルクさんの方にあったんですが、それでもまだぎりぎり会員だったのかな。

 なのでまあ、まだ真面目に派遣とはいえフルタイム働いていた頃だったので…… ともかくライブに東名阪駆け回ったんですよ。はい。

 特にLUNA SEAは。千葉まで行ったことがあるんだから自分的には一番遠征距離長かったし、当時は夜行で帰ってその足で職場に行ったということもありましたよ……

 ただ、売れすぎた時には冷めるんですがね。

 とりあえずワタシは2000番台だったんですよ。会員No.。

 はまった1992年に入ってましたから。 


 で。


 ワタシははまると「作家買い」と同じ「アーティスト買い」するんですよ。

 グッズとかではなく、ひたすら「記事」。

 彼等の記事はXさん(JAPANついていない時の)のために買っていた雑誌流れからもう載っている音楽雑誌、一般雑誌問わず見つけては買って切り抜いて無印の黒いバインダー式のクリアポケットファイルに入れてましたね。

 いや量無茶苦茶でしたよ。

 当時彼等が出ていたと言えば。

 ロッキンオンジャパン、アリーナ37℃、フールズメイト、ショックス、ロックンロールニューズメイカー、B-PASS、パチパチ、……と派生した雑誌、ロッキンオンジャパンから市川さん独立で音楽と人、あとはCDデータとかそういう新譜が出たら記事が載る系。

 これ全部毎月買ってました。

 ですがこの時期は既にラルクさんで同じことを()

 ライヴもがんがんに行ってですね、その中で知り合いも増えて、こっちで聴けるラジオのテープをダビングする代わりに別の地方の番組のテープを、というつながりがありまして。

 今だったらそれをキープできるかどうかは判らないけど、地方の番組でもradikoで聴けますが、当時は無理でしたから!

 埼玉のNACK5とか、もの凄く羨ましかったこと!

 まあその代わり、当時は豊橋に住んでましたから、名古屋系の放送局のものが綺麗に入ったんでね。

 ライヴの密録ってのもありますぜ。

 もう今は当たり前のようにスマホでできるものも当時は無論禁止! 録音できるウォークマンないかチェック!

 あったら没収。

 つかまず預けろ、でしたし。

 それを掻い潜って必死で120分テープという耐久性には欠けるものに入れて集めたわけですよ。

 まずいですがね!

 あとローカル番組のビデオ。

 これも皆、そういう知り合いの間で交換してダビングしてもらうとか、まあ今からすると本当にアナログな世界で必死でしたねえ。

 時期も時期、インターネットが普及する直前でしたし。

 普及したとしてもまだ電話代が滅茶苦茶になる時期でしたもの。

 アナログな時期のぎりぎり終わりに近づく時代でしたね。

 なので、このテのアナログなテープがごまんとありました。


 で、そんな時に「はまってる」というあとがきを見て、「……ファンレター出してみっか」となった訳ですよ。

 ええ、期待アリアリで会員No.書いて。

 すると返事来た訳ですよ。

 いやもう狂喜乱舞。

 そんでその時点では既にあまり見なくなっていたそのファイルとかビデオとかラジオテープとかを「無期限貸し出し」する、ということで遠距離の奇妙なお付き合いが始まった訳です。


 ただ向こうさんからすると「何でこうしてくれるのか判らない」ということを言われたことがあるんですわ。

 が、そりゃファンで、敬愛してる人がそれを好きだから自分の貸せるものは貸すのええんではないか? 

 というのがワタシの性分なんですが、これが結構後になるまで通じなかったという。

「もしかしてこの人自分のこと好きなのか?」

 つかその疑問が出る意味が分からなかったですわ、当時。


 で、電話を時々。

 大阪遠征の時に、ファン友と一緒にお泊まりやっていた向こうさん組に入れてもらって(自分は別のとこ泊まってたんだけど)はも料理を連れの人々と一緒におごってもらったとか。

 いやこんな高い料理おごりでも初めてでしたよ!

 人とわいわいやってライヴに行くのが好きだったのではないかと思いますわ。

 太っ腹でもありましたね。

 経費を使え、の時代でしたから。

 あとたま~にワタシが別件で東京に行った時に、よしながふみの食べログマンガで読んだチョコレート専門店でおごってもらいましたな。

 あとはコミケですか。

 向こうさんが同人サークル3on3で参加してらっさるところに客で行って、こっちの本を渡して驚かしたというのとか。

 いや、当時ワタシもサークル参加してまして。

 そう、当時向こうさんは広辞苑くらいの厚さのハードカバー本、別名「人を殴り殺せる本」を出してらして。

 ワタシはワタシで当時「ジャンプサイズのコピー本」を30部限定で作っていたので進呈した次第ですよ。

 まあきっと読んではいないと思います。

 そういう話は一度もしなかったし。


 と言うのも、ワタシのスタンスが他のお付き合いの人々とは異質だった様なんですね。

 LUNA SEAの同等ファン仲間というではなく、やや隔意のある「師匠」と呼ばれてました。

 時期とか曲の趣味とかもずれてはいましたしね。

 あと投稿する物書き志望だ、というのも「ただのファン」に一つ要素が加わるので、ちょっと異質だったんだと思います。 

 とりあえず最初に貸し出ししたものがでかかったせいか、10年以上一応お付き合いが続いたのかな?


 最後は向こうもだんだん書かなくなってきた頃で、家庭の事情も耳にする様にもなりつつ、こっちはこっちで母親が亡くなった頃で気持ちに余裕が無くなってそれっきりなんですが。

 とは言え、それでも出る本は最後まで買っていましたがね。


 しかしワタシとしては何というか非常に有意義だった訳ですよ。

 「ともかく客観的になること」が一番大きいとか。

 コバルト編集部の裏話とか、小説大賞の一次審査下読みのノルマのこととか。

 そういうのを聞けたのはやっぱりでかいですわ。


 で、何でここでLUNA SEAの話をするか、というと。

 この後続く「竜の眠る海」シリーズ、「月の系譜」のキャラ一部、エタニティ、夏休みはもろそれだからなんですよね。

 あの方は本当にJR好きだったし、まあ実際セルフ同人やってましたしなあ。

 割と同人関係は当時その界隈で有名な話でした。


 今となってはそれこそWikiに載ってる様なことがあってかお引っ越しもなさって電話もメルアドも変わって全く音信不通になってしまいましたし。

 まあ色々周辺事情も大変なんではないかと思います。

 政治的にどうこうもあるし。

 でもまあ、あの頃のワタシ的には有意義なお付き合いさせていただきました、という。 


 でも当時「いつかは書きたい」とある人の伝記のことを聞いていたので、その作品が読める日が来ないかなあ、と思うのですよ。

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