Chapter 3. ハトリ先生の憂鬱

 翌日の放課後、俺たちは職員室に呼び出された。


 もしや夜の学校に入ったことをしかられるのかと思ったが、どうやらそんな感じではないようだ。俺たちを呼び出した羽鳥はとり先生は不安げな様子で穂村ほむらたずねていた。


「……それで、どうだった、穂村さん?」

「そうですね……何かが起こっているのは間違いないと思います。実際、わたしも昨日きのうこの目で見ましたから」

「そう……やっぱり警察に相談したほうが良いのかしら」


 穂村からの報告を聞き、なやましげにほおに手を当てる羽鳥先生。俺たちとそう変わらない年齢である先生のその姿に、俺はみょう色気いろけを感じて視線をらした。色々と危険なんだよな、この先生……どことは言わないけど。


 しかしふたりの会話を聞く限り、どうやら昨日のけんは羽鳥先生からの正式な依頼だったようだ。


「はぁ困ったわねぇ、もうすぐ学園祭だっていうのにこれじゃあ……」

「まさか、中止になるんですか?」


 ため息をく先生に俺は視線をもどたずねた。古難こなん学園の学園祭は別名、鐘秋祭しょうしゅうさいとも呼ばれており、はるに行われる鐘春祭しょうしゅんさいとともにこの学園の名物になっている。俺はまだどちらも経験していないが、大規模で楽しみにしている生徒や地元住民も多いと聞く。もしも中止になれば相当の非難ひなんまぬがれないだろう。


 しかし羽鳥先生は首を横に振って、


「いまのところは大丈夫だけれど、でもこれ以上うわさが広がったらあぶないかもしれないわね。警備を強化するって話も出ているから」

「思ったより深刻しんこくな状況なんですね……」


 俺は呟き、それから穂村にだけ聞こえるようにささやく。


「……おい穂村。やっぱせて問い詰めた方がよかったんじゃねえか?」

「ダメだよ。たとえ犯人を捕まえられたとしても、目的がわからなかったら意味がない。証拠がない以上、いくらでも話をでっげられるからね」

「む……」


 やはり証拠が集まるまでは穂村に犯人をとらえる気はないようだ。


 俺たちの会話を知ってか知らずか、羽鳥先生は意気込いきごんで、


「こうなったらあなたたちが頼りよ。迅速じんそくかつ確実に対処たいしょしてもらいたいの」


 そんな先生に穂村は真面目な顔をして言った。


「ハトリ先生。昨夜さくやの件はわたし個人で引き受けたものでした。しかしこれからは違います。モリタニくんの手も借りる以上、これは推理部わたしたちへの正式な依頼と考えてもよろしいですか?」

「ええ、そうとってくれて構わないわ」


  穂村からの確認に、推理部の顧問でもある羽鳥先生は鷹揚おうよううなずいた。お前昨日も無理やり俺を連れて行かせたじゃねえか、というツッコミを入れるほど俺は空気の読めない男ではなかった。調教ちょうきょう賜物たまものである。


「わかりました」と、推理部の部長は言って、「それでは先生。お手数ですがもういちど今回の事件の経緯けいいを説明していただけますか?」

「わかったわ」


 羽鳥先生は頷くと事件のあらましを語り始めた。


 それによると、はじめてユウレイが目撃されたのは先週の水曜日。夏休みを終えた翌日のことであり、それ以降は昨夜さくやを含め毎夜まいよ目撃されているようだ。


 時間は大体午後八時から九時の間。うちの学校の夏季かき完全下校時間は午後七時だから、事件は誰もいないはずの学校内で起こっていることになる。


「どこかの部の仕業しわざじゃないんですか?」


 話をき終えた俺は羽鳥先生にたずねてみた。古難学園では夜間活動の申請書を提出すれば午後九時までの活動が可能になる。むろん認められるにはいくらかの条件が必要だが、それでも残ることができるのは事実だ。


 だが羽鳥先生は首を振って、


「私も調べてみたんだけど、残念ながらここ一週間のあいだに申請していたのは野球部と、あなたたちが昨夜ゆうべ申請したくらい。だからほとんどの生徒や教職員は帰っていたはずよ」

「そうですか……」


 となると野球部が嘘をいているか、あるいはしのび込んだ何者なにものかの仕業ということになる。後者こうしゃだった場合、忍び込んでいるのがうちの生徒であればまだいいが、部外者だったら大問題だ。やはり張り込んで正体だけでも確かめた方が良いのではと思うが、羽鳥先生から穂村へと依頼されたという事実から考えるに、大事おおごとにはしたくない学校側への忖度そんたくもあるのかもしれない。


「野球部が残っていたということはつまり」と穂村が言った。「れいひかりは彼らが目撃したということですね?」

「ええ」と、羽鳥先生は頷いて、「あとは私ね」

「え、先生も?」俺は思わず声を出した。「そんな時間までなにしてたんですか?」

「先週の水曜日は宿直しゅくちょくだったのよ。夏休みが終わったばかりってことでね」

「へぇ、先生たちの宿直は廃止されたってなにかで見ましたけど、うちの学校はまだやってるんですね」

「——そうなのよ! ひどいと思わない!?」


 何気なにげなく呟いた言葉だったが、羽鳥先生はひどく強い反応をしめした。


「ちょ、先生?」


 困惑する俺をよそに、羽鳥先生はつらつらと、


「夜の校舎は怖いし、この時期は虫がでるしでホント最悪だったわ! 生徒たちや他の先生がたがいるあいだはまだいいんだけれど、真夜中まよなかになると私以外は警備けいびのおばさんだけ! ああ! キミにわかる? この大変さ!?」

「は、はぁ……そ、そうですね……」


 愚痴ぐちの止まらない様子の羽鳥先生に圧倒あっとうされる俺を見かねたのか、穂村がたすぶねを出してくれる。


「それぐらいにしてください、先生。モリタニくんが困ってますよ?」

「あ、ご、ごめんなさい」


 羽鳥先生は恥ずかしかったのか、それとも教師としての威厳いげんそこなっていることに気づいたのか、俺を危険きけん上目遣うわめづかいで見つめながら、


「……誤解ごかいしないでね? 先生頑張がんばったわよ? 生徒のためだもん!」


 それから羽鳥先生は穂村を意味ありげな視線で見つめる。話題を変えてほしいとねがっているねこみたいだった。


「こほん。それでは話を続けましょう先生。くだんの光を先生も目撃されたと言うことですが、どんなふうに見えたか覚えていますか?」

「え、ええ……ぼんやりとした光だったわね。あわい緑色の光が暗い夜の校舎に浮かんでいて、本当にユウレイかと思ったわ」

「緑色の光……」


 俺は穂村に視線を送る。穂村は頷いて、


「どうやらわたしの見た光とおなじようですね。他に何か気になることはありましたか?」

「そうねえ……」と羽鳥先生は考えるそぶりを見せて、「あ、そう言えば……見間違みまちがいかもしれないんだけれど、なんだかその緑の光の周囲しゅうい色付いろづいていた気がするわ。あおだったかむらさきだったかわからないし……もしかするとただ単に光が散乱さんらんしていただけかもしれないけれど……」


 自信なく呟いた羽鳥先生だったが、しかし穂村は笑みを浮かべて言った。


「ありがとうございます先生。知りたかった情報は全てられました。あとはこちらで調しらべてみます」

「う、うん。頼んだわよ、穂村さん。森谷もりたにくんも」


 そうして俺たちは職員室をあとにした。


 部室までの道を歩きながら、俺は先ほどの羽鳥先生の様子を思い出して呟いた。


切実せつじつだったな、羽鳥先生……」

「教師と言ってもまだ二十代だからね。遊びたいのさ」

「ふーん、そんなもんかねぇ」


 俺も社会に出たらあんなふうな大人になるのだろうかと思うと、なんだか無性むしょうに悲しくなってくる。もちろん羽鳥先生は尊敬すべき教師ではあるのだが、その点に限っては反面教師はんめんきょうしとさせて貰おうと俺は思った。


「それはそうと穂村。お前はわかったか? どうしてあんなユウレイみたいな光が現れるのか」

「違うよ、モリタニくん。いま考えるべきはユウレイが出現した理由ではなく、どうしてあの場所にユウレイが出現したのかだよ」


 それからぽつりと付け足した。


「……それに、おそらくアレはユウレイなんかじゃないしね」

「なんだって? じゃあお前には正体がわかっているのか?」


 しかし穂村は答えなかった。あごに左手を当て何事なにごとかを深く考え続けている。こうなるともうお手上げだ。コイツのなかで納得のいくまで反応を示さない。


 部室へ戻ってきても穂村は依然いぜんとして黙考もっこうし続けていたので、俺はそのかんにコーヒーをれることにした。


 大体の場合、穂村の意識がこちらに戻ってくるまで何時間か待つのだが、さいわい今回は早かったようだ。


「——ハトリ先生が言っていただろう?」とちょうどコーヒーを淹れ終えたタイミングで穂村が口をひらいた。「ボクらを含めた生徒たちの目撃証言は全ておなじ場所だったって。だからもしこの事件に犯人、あるいはユウレイがいると仮定すると、その犯人にとってあの場所にしか現れえない理由があるんだ」


 おそらくはさっきの会話の続きからである言葉に対して、俺はコーヒーを差し出しながら訊ねた。


「なんの理由があるっていうんだよ?」

「それはまだボクにもわからない」と言って、穂村はコーヒーをひと口飲んだ。「……にがい」

「ブラックなんだから当たり前だろ。ほら、ミルクだ」

「うぅ助手じょしゅとしてのはたらきがなってないよモリタニくん。ボクのこのみに合わせてから出してしかるべきなんじゃないの?」

「バーカ。俺は助手のつもりはないし、お前の執事しつじになったつもりもない。淹れてやるだけありがたく思え」


 まあ、ささやかな復讐ふくしゅうのつもりではあったがな。感謝しろよ? これで昨日の件はチャラにしてやるんだからさ。


 それから俺はミルクをそそぎながらぶつぶつと不平ふへいをこぼしている探偵にむかって言った。


「それより教えてくれよ、穂村。現時点でお前がわかっていることについてをさ」

「そうだね。キミにもわかりやすいように、いちど整理してみよう」


 口を直したいらしい穂村はキャンディをくわえると、部室のすみにあるホワイトボードまで歩いていく。コーヒーに文句もんくれていたわりにはずいぶん軽い足取りだ。


「楽しそうだな」

「うん、楽しいよ。好奇心こうきしんというどくおぼれてしまいそうなほどにね」

「そりゃよかった」


 どうやら穂村すずの探偵としての本分ほんぶん発揮はっきされているようだ。これなら事件の解決も時間の問題だろう、と俺はコーヒーを飲みながら思うのだった。

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