第55話

      ◆


 思わぬ再会があったのは、巨大樹での芽吹きを目の当たりにして洞窟に帰った後だった。

 何か食料で変わったものはないか、人間たちが残した物資を確認する時、巨大な岩に潰された荷箱があった。

 その荷箱の中身を見ようとした時、人の腕が見えたのだ。

 そう、人の腕だ。さすがに驚いたし、短く悲鳴も上げてしまった。

 ナルーも近づいてきて、痛ましげな表情になって祈りのようなものを捧げ始めた。俺も拝むだけ拝んでおく。

 どこかに葬ろうとその手に触れたナルーが、大声を上げた。

「な、なんだ? どうした?」

「こ、こ、この手、暖かい」

 なんだって?

 俺も恐る恐る、触れてみる。確かに暖かい。

 急遽、俺とナルーは協力して巨大な岩を移動させる作業を始めた。生きているのなら、少しでも早く助けるべきだ。

 重なって落ちている岩は一つや二つではなく、棒のようなものを使って全身の力を込めて移動させるのだが、容易ではない。ナルーが野獣化したそうだったが、まだ疲労が残っているだろうし、と回避した。

 結局、深夜になってやっと一つの岩が動かせたのだが、現れた姿に、俺とナルーはやっぱり声を上げてしまった。

 そこに倒れているのは人間ではなく、獣の、ユッカムだった。

 上半身はとりあえず、潰れていない。下半身はまだ岩の陰だった。

「ユッカム、ねぇ、聞こえる?」

 ナルーが呼びかけても反応はない。さすがに丸三日ほど飲まず食わずだとすれば、相当に消耗しそうだ。獣の生命力に頼るしかなかった。

 夜を徹して二人で岩を退け、光を発する岩のその光量が再び最大になる頃、どうにかユッカムを引っ張り出すことができた。

「一応、生命の川に連れて行こう」

 二人で今度は即席の担架を作り、それに呼吸を合わせてユッカムを乗せた。足はどうやら骨折しているようだ。意識は依然として回復しない。

 そっと川岸まで行き、俺とナルーも一緒に担架の上のユッカムと共に、川の水に浸かった。

 助かってくれ。

 意識を取り戻してくれ。

 そう思いながらしばらく川の流れの中で、ユッカムの顔を見ていた。

 頭の獣の耳が、ピクリと動いた。

 俺とナルーが凝視している前で、ゆっくりとユッカムの瞼が持ち上がった。

 視線が最初は焦点が合わないようだったが、まず俺を見て、次にナルーを見て、それから顔をしかめた。

「なんだ? 僕は、いったい、どうしたんだ?」

 どうやら魔獣化のことは記憶にないらしい。

「どこか痛む? ユッカム」

 ナルーの問いかけに、「足。左足がすごく痛い」と彼は答えた。

 俺とナルーで担架の角度を加減して、ナルーの足をしっかりと生命の川に沈めた。

 こうして俺たちは獣の生存者の一人目を見つけた。

 その日はさすがに疲れきっていたので、ほとんどずっと休息に当てたが、翌朝からは二人で協力して獣の生存者がいないか、街の中を見て回った。

 そうしてみると魔獣の暴走による破壊の凄まじさを感じずにはいられない。それはつまり、獣人戦争がどのようなものであったかの再現だった。

 五日ほどかけて、できる限りの場所を確認したが、生存者はほとんど見当たらなかった。大半が魔獣となって人間に討伐されてしまったということだろう。家を構築していた岩石に押しつぶされている男性の獣が一人、女性の獣が二人、見つかっただけだった。

 その三人もやはり意識がなかったので、生命の川に連れて行った。

 こうなると生命の川は都合がいい。獣たちを千年の長きに渡って生き永らえさせたその力は、想像を絶している。

 三人も意識を取り戻し、とりあえずは獣の生き残りはここにいる五人だけとなった。そこに人間として一人だけ、俺が加わっている形だ。

 獣たちはまず街を片付けたい、と話していた。廃墟を廃墟のままにしておくのは忍びない、ということのようだ。男性の一人は、家を一軒か二軒は再建できるだろうとも言ったが、すぐに「人手が無いのを忘れていたよ」と寂しそうに言葉を続けた。

 彼らは誰も、遠い未来について話をしなかった。

 それは先のことについて考えられない、ということなのか、それとも長い時間を生きる存在は、俺には想像もつかないもっと先を考えて生きているのか、そこは想像するしか無い。

 俺自身、どうするべきかを考える必要があった。

 地下で生きるとして、獣たちとどう関わればいいのだろう。

 あの姿無き存在は、俺に生きるように訴えた。

 しかし、どう生きていけるだろう。どう生きればいいのだろう。

 時間だけは無情に過ぎていく。

 やがて家が二軒、再建されて、獣たちは洞窟からその家に戻っていった。俺はといえば、洞窟で暮らし続けていた。昼間に当たる明るい時間帯には、街の一角で洞窟に近い位置を借り受け、そこで畑を作ったりもした。

 何もしなくてもいいわけではないが、何もすることがないのは、俺には不安だった。

 やはりそこは俺は人間で、周りにいるのは獣という存在であるのが、変に食い違っているのだろう。

 洞窟の中にいると季節というものを感じなくなる。乾季も雨季もない。気温の変動さえもほとんどなかった。酷暑に汗が止まらなくなることもないし、寒さに震えることもない。

 俺の中から、自然と時間の流れは失われていった。

 畑で植物が育つ。それが全てだった。

 気づくと、巨大樹はだいぶ緑を大きくしている。

 どれくらいが、過ぎただろう。



(続く)

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