第51話

      ◆



 肉薄という言葉で表現するより、飛翔、というべきかもしれない。

 長い距離を低い姿勢で駆け抜けたアクロの剣が、斜めに走り、切っ先が天を向く。

 魔獣の片腕が飛び、首にパックリと切れ目ができる。

 吹き出すどす黒い血飛沫の向こうに、まだ骨がある。

 傷が塞がるのは早すぎるほど。

 しかしそれよりもアクロが早かった。

 一瞬の停滞もなく、体を回転させながらの強烈な横薙ぎの一撃が、ついに魔獣の首をはね、その巨体はゆっくりと仰向けに倒れた。

 すぐそばには剣を構えたエクラがいるが、出番はなかった。

 アクロとエクラの兄弟がこちらへやってくる。魔獣のおおよそは振り切った形だ。

 人間の兵士一〇〇名以上が、洞窟を進む。殿はアクロとエクラが受け持っていたが、俺の興味はやはり獣の剣だった。

 エクラが剣を持っていた。あれがそうだろうか。よく見ている間もなかった。

 洞窟の奥の、見えない境界線の向こうに、ナルーの姿が見えた。人間の兵士がそのすぐ背後に十人ほど、控えている。さらにその向こうには三十人ほどの兵士もいる。彼らは正確にはナルーの見張りだろうが、補給と後詰が確保されている、外部につながっている証拠のようで、見るだけで安心感が湧いてくる。

 次々と負傷兵を背負った兵士が境界を超え、そこで負傷者を下ろすと、待ち構えていた兵士が配る水で一息ついた。負傷者たちは後方へ送られるものは待っていた兵士たちが背負い直し、地上へ向かう。この場で治療が必要なものは治療が施されたが、死者が出るのは確実だろう。

 俺は不思議と無傷で、幸運に感謝し、しかし自分が何もしていないことを責められているようでもあった。傷の一つでもあれば、戦場にいた理由、戦場に立つ価値があったような気がするのは、ちぐはぐだが、そう思わずにはいられない。

 俺も負傷者を兵士に預け、最後に境界線を超えたアクロの方へ行った。

 エクラはまだ洞窟の向こう、街があった方を見ている。二人のすぐそばにナルーがいた。

 俺が声をかけようとした瞬間だった。

 ナルーの剣が翻り、エクラに切りつけた。

 エクラは慌てた様子で転げるように距離を取り、剣を構え直す。

 俺は、どうすればいいか、判断できなかった。

 ナルーとエクラは剣を向け合い、そのすぐそばでアクロは抜き身の剣を下げているものの、何も言わずに、二人を見ている。

「よくも! よくも、私たちの世界を壊したな! この人間め!」

 ナルーが怒鳴る。殺意と怒気だけで構成された声だ。

 エクラの目元が険しくなり、しかし彼は淡々と言葉を口にした。

「トピアとかいう女が、俺にこの剣を抜かせたのだ。それで奴らは揃って化け物に変わった。俺が悪くないとは言わないが、あの破滅は、お前たちの決断だ、小娘」

 ジリジリと二人が間合いを測る。

 俺には考えるべきことが多くあった。

 トピアがエクラに剣を抜かせた。あることだろうか。しかし獣の剣のことを知っているのは、獣たちだけだ。俺だって最初から知っていたわけではない。そもそも獣の剣を抜いて何が起こるかは、俺も知らなかった。

 当然、エクラが知っているわけもないし、獣たちからその話を聞き出そうにも、最初のきっかけがない。

 剣の存在、意味、そして場所さえも知らないエクラが剣を抜いたとすれば、トピアがエクラを誘導したのは、ありそうなことだ。

 獣の世界、地下の世界の破滅を前に、何を考えただろう。

 獣たちはいっそ本当の獣に戻り、まさに魔獣と化して全てを破壊して滅びることを選んだのか。

 全ての仲間を道連れにして?

 すっとエクラが間合いを潰すのに、ほとんど同時にナルーも反応する。

 剣と剣が火花を散らし、青年と少女が交錯する。

 激しい応酬が始まった。

 アクロは何をしているかと見れば、少し離れたところにただ立っている。位置的に俺からは決闘を始めた二人を挟んだ向こう側に彼はいる。

 止めるようでもなく、加勢するようでもない。

 エクラが勝つと確信している? それとも、ナルーを死なせようとしている?

 ひときわ甲高い音が響き渡る。

 ナルーが弾き返された剣にひきづられ、姿勢を乱す。

 ここぞとばかりにエクラが深く踏み込み、上段に剣を振り上げた。

 落雷のように光が天から地へ落ちる。

 しかし、何ものにも当たらなかった。

 身を捻って紙一重で斬撃を避けたナルーの突きが、エクラの肩に突き立った。

 その瞬間、甲高い音ともにも、剣が折れた。

 人の剣が、折れたのである。

 エクラが倒れこみ、ナルーはよろめき、アクロは無反応で、俺は息を飲んだ。

 エクラがうなるような声を上げるのだけが、洞窟に響いた。

 ナルーの手から刃の折れた剣が滑り落ち、少女は脱力したように座り込んだ。

 殺意、というものをこれほど意識したことはない。

 まるでこの場の全てを吹き飛ばすような、純粋な殺意。

 しかしその巨大な殺意は今、どこかに吹き抜けて、消えていた。

 俺は動き出そうとした。

 でも間に合わなかった。

 エクラがまだ持っていた獣の剣を投擲していた。

 切っ先は過たず、ナルーの胸に突き立った。




(続く)

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