第50話

     ◆


 何体の魔獣を倒したか、俺たちは洞窟の入り口に辿り着いた。

 驚いたのは、その洞窟の入り口で人間の兵士たちが形だけの防波堤となり、魔獣の群れを押し返していたことだった。

 アクロは「全員、突撃!」と声を張り上げる。

 彼に続いていた一〇〇に少し足りない兵士たちが、怒号を上げて魔獣の背後に襲いかかった。

 激しい戦闘の結果、その場にいた魔獣五体は瞬く間に撃破された。

「アクロ様、このようなところにまで」

 進み出てきたのは老境の男で、片足がほとんど動かないようだった。

「リッケル、他のものはどうした」

 そう声をかけるアクロの言葉が、俺はすぐそばにいるためによく聞こえた。

「ここにいるものが動けるもののおおよそ全てです。負傷者を地上へ戻そうとしているものが、また別に奥におります。しかしアクロ様、どうやってここへ」

「別の出入り口があるのだよ」

 それだけ答えたアクロが背後を振り返る。

 既に廃墟と変わろうとしている街。

「とりあえず、アクロ様、奥へ」

 リッケルという名前らしい老人がそう言うのへ、アクロは部下の半数を守備に残し、半数は洞窟へ入るように指示した。これにリッケルは慌てたようだ。

「アクロ様、洞窟の中は狭いのです。とても、五十人なりの余裕はございません」

「何も中で休もうというのではない、負傷者を後送するのだ」

「後送? どちらへです。洞窟の天井の亀裂だけが、道筋ではないのですか」

「だから、別の出入り口があるのだ。私たちがいきなりどこかから湧き出したとでも思うか、間抜けめ」

 アクロは肩で風を切るようにして洞窟へ向かう。俺にも「ついてこい」と声がかかった。アクロの背後には指示を受けた五十名が続く。威風堂々とは、こういうことを言うんだろう。

 洞窟の中は、けが人の悲鳴やうめき声に溢れていた。

 アクロの指示のもと、五十人の兵士がそれぞれ怪我人を運ぶ用意を始めた。こうなってはアクロの計画は明白だ。もう一度、街を横切って、神威の回廊を抜けて地上へ戻る。街を抜けるのは危険であっても、まさか岩の割れ目から少しずつ運び出すよりは、はるかに安全だった。

 しかも何か、急を告げるものを俺も感じたし、アクロが感じないわけがないだろう。兵士たちでさえ、どこか落ち着かない様子だった。

「エクラはどこにいる、リッケル」

 アクロが老人に問いかけると、老人は途端に表情を曇らせた。

「まだお戻りになりません。おそらくどこかで、その、足止めされているのではないかと」

 足止め、という表現の前にあった躊躇いには、もっと深刻な展開の予想の色があったがアクロは全く動じなかった。

「ここへは戻ってきていないのだな?」

「はい、しかしアクロ様がこのように地下にいることをご存知ではないはずです。いずれはここへ戻ってこられるかと」

 きわどいところだった。

 俺たちがやるべきことは二つ。一つは獣の剣を手に入れること。一つは負傷者を無事に逃がすこと。

 後者はめどが立ちつつある。前者は逆に、何の手がかりもなかった。

 そもそもエクラが剣を抜いたとは聞いていても、今もエクラが獣の剣を持ち続けているという確証はない。

「負傷者を運び出そう。それで最低限の成果になる。みんな、外にいるものと組を作り、神威の回廊へ向かえ。お互いに補助し合うんだ!」

 アクロの言葉で、兵士たちが動き出す。

 洞窟の中は生臭さに覆われていた。前は空気は清浄だったはずだが、人が大勢、生活し、血を流したせいか。生命の川はやはり泥のように真っ黒いものが流れて、所々ではそれに火がつき、悪臭を発している。

 俺も負傷者を一人背負って、外へ出た。アクロがすぐそばについている。

 隊列は一本になり、進んでいく。獣の咆哮が遠くで響くことも、今は気にならなかった。恐怖よりも疲労が勝り、使命感がその疲労を拭い去る。

 街はもう街ではない。

 過去に街であったもの。

 滅亡した種族の巨大な墓標か。

 足を送り続ける。魔獣が飛び出してきても、護衛の兵士が無駄のない動きで無力化していく。死を量産し、わずかな命を助けようとする、極端な矛盾。しかし人を一人助けるのに、魔獣が、獣が、何人も犠牲になっていいなどというのは道理が通らないはずなのに、それを考えることは見えない誰かが止めている。

 俺の中の俺が、止めているのか。

 それとも別種の存在が、俺の内に存在するのか。

 神威の回廊に通じる洞窟にたどり着いて、先頭から順番に中に入っていく。俺はアクロと共に最後尾だった。背中に背負っている男は今では涙を流している。

「兄上!」

 不意の声だった。

 アクロが足を止める。俺も足を止める。

 こちらへ駆けてくる一人きりの人間。

 間違いなく、エクラだった。

 その背後に魔獣が迫っている。彼は俺たちしか見ていない。

 声もなく、気配もなく、次の瞬間にはアクロが動き出していた。




(続く)

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