第49話
◆
俺はアクロとその部下と共に地下へなだれ込んだ。
野獣の咆哮は俺を不安にせずにはおかない。
どこかに、誰か、獣はいないのか。
視線を巡らせて走るところへ、横手から魔獣が二体、飛び込んでくる。
地下へ潜る前に渡された剣を繰り出そうとして、手が止まった。
野獣。
しかしの姿に見覚えがある。
見る影もないのに、あの目元、口元。
シワが少し多い顔は、今、凶暴そのものだが、以前は穏やかだっただろう。
ラックラの老母。
戻せるか。
元の姿に。
不意にその思いが頭を占領した。
魔獣を、何らかの手段で本来の獣へ戻すことはできるのだろうか。
そうすればまた、あの平和な日々が戻ってくる。
魔獣の咆哮が俺を現実に戻した。
目の前に太い腕、剣を掲げて受け止める。足が滑り、体が舞う。
もし建物の石壁にぶつかっていれば死んでいただろう。運良く俺は植木の一本に衝突し、激痛に息が詰まったものの、気を失うこともなかった。
顔を上げると、兵士たちが魔獣を取り囲み、剣を繰り出して行くところだった。
腕を飛ばされた魔獣の声は、純粋な怒りで構築されている。
殺す。
その一念が魔獣には見える。
やめてくれ。
俺はただ念じた。
あなたたちは、みんな、優しかったはずだ。穏やかな日々を、ひっそりと送っていたはずだ。
それを全部、台無しにするのか。
剣の一撃が魔獣の首を半ばまで断ち割るが、代わりに兵士の一人が振り抜かれた拳に弾き飛ばされ、建物の向こうまですっ飛んで行った。
戦うしかないのか。
ついに兵士の一人が、魔獣の首をはね、その体は崩れるように倒れた。
自然と、涙が浮かんでいた。
「大丈夫か」
兵士の一人が声をかけてくる。俺は頷いて、足に力を込めた。
今は止まっている場合ではない。悲しんでいる場合でも、絶望している場合でもない。
剣。獣の剣。それを探さなくては。
街のそこここで火の手が上がり始めていた。まさか人間が火をつけたわけがないから、事故だろう。すでに魔獣たちの暴走によって、美しい街並みは見る影もない。
見ろ、と誰かが言ったその声が全員の注目を浴びたのは、声の震えに畏怖のようなものが含まれていたからだろう。
地下空間にはるかにそびえる巨大樹は、ここに入った時から見えていた。
しかし今、その緑の枝葉が、徐々に黒く染まっていく。そして端の方から細かい灰のようになり、散り始めた。
「ここはもう終わりかもしれないな」
そっけなくアクロがそう言う。そちらを見ると、いつの間にか距離を詰めていた魔獣が奇襲を仕掛けるところだった。
身をかわしながらの一撃で首を飛ばすことで、なんでもないようにアクロは魔獣を仕留めた。
その裂帛の一撃に、俺は彼の非情を否定するのを、やめてしまった。
魔獣を切るのは決して本意ではない。しかし切るのであれば、苦しませず、一撃で仕留めて楽にしてやる。そんな意思が明確だった。
「スペース!」
アクロの怒声に、俺は彼のそばに駆け寄った。アクロの目はそばで見ると、目をそらしたくなるほど激しい怒りに燃えていた。
「お前が落ちたという洞窟へ、早く案内しろ。どうやら時間もないしな」
「はい! こちらへ!」
俺は先導して駆け出した。安全のためだろう、アクロは四人の兵士を俺の周囲に配置してくれた。
魔獣と遭遇すると、兵士たちは的確にその首をはねていった。倒せば倒すほど、攻撃は最適なものとなり、効率化されていく。死の量産は、あまりにもたやすく現実のものとなった。
枯れていく巨大樹を横目に川を渡ろうとして、思わず息を飲んでしまった。
あの川、生命の川の水が、どす黒く変色している。そして今、そこには火がゆらめていた。
水が燃えている。
その一点が、何よりも地下世界の終焉を意識させた。
魔獣が前方から橋へ向かってくる。俺たちは橋の上で逃げ場はなかった。後続の兵士が加わって壁を作り、押し合いの結果、魔獣は川へ落ちていった。
火の中に落ちた魔獣が絶叫し、暴れ、もうもうと立ち込める煙の中に消える。
見続けることはできない。
あまりにも悲しすぎた。
逃げ出すように、俺は先へ駆けた。
とにかく獣の剣、獣の剣だ。それだけを考えた。
不意に人間の兵士が魔獣と戦っているのに出くわした。アクロ隊は迅速に援護に回り、魔獣を撃退した。
「アクロ様!」
兵士の一人がアクロのそばまで来て片膝をついた。
「獣人の謀により、このようなことに相成りました。これなった以上は、この化け物どもを皆殺しにするよりありません」
兵士が言い終わると、アクロはそれを冷ややかに見つめて一歩、二歩と歩み寄りと、胸を蹴り飛ばした。兵士が転がり、愕然とした顔で主人を見上げた。
「お前は意見を言える立場ではない。エクラはどこにいる、言え!」
「さ、最初の洞窟に向かわれました。アクロ様に援軍を求めると。あ、アクロ様はそのために参られたのでは?」
バカめ、とだけ言って、アクロは兵士を興味の中から除外したようだ。
「スペース、案内せよ」
俺は頷いて、また駆け出した。
煙の匂い、炎の匂い、死の匂い、暴力の匂い、悲しみの匂い。
この自分にまとわりつく空気に漂うものは、あまりにも混沌として、息が詰まった。
(続く)
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