第48話

      ◆


 くそ! くそ! くそ!

 エクラは襲いかかってきた魔獣の腕を切り飛ばしたが、その腕は断面からすぐに回復していく。生命の常識的な回復力ではない。

「エクラ様! エクラ様!」

 周囲にいるのは今は八人、いや、七人になった。

 あの狭い洞窟の中で剣を抜いた直後、二人の異種族が唐突に異形の化け物に変化したのは予想外だった。しかも襲ってくるその体力は、やはり常軌を逸していた。

 最初の犠牲者となった兵士は反撃どころか防御もできず、太い腕の直撃を食らって変な声を上げ、次には壁面に衝突していた。体のどこかが破裂して壁面は赤く染まり、しばらくそこに張り付いていた。

 十九人の兵士を二つに割ったのはとっさのことだった。

 片方には魔獣を抑えさせ、自分はもう一方とともに出発地点の洞窟へ戻る。そこへ行けばまだ人間の兵士がおり、魔獣を倒すこと、もしくは地上へ逃げ出す時間を稼げるかもしれなかった。

 しかしそれは、儚い願望に過ぎず、現実とはかけ離れていた。

 洞窟を飛び出した直後、魔獣が二体、突っ込んできた。

 対応の遅れた一人が弾き飛ばされた。

 あとはもはや、乱戦だ。切って、切って、切り続ける。一体に対し五人で、ほとんどバラバラにするように斬り殺した。

 ただ、それで終わりではなかった。

 どうなっているんだ。

 そう呟いたのはエクラだったか、他の誰かだったか。

 地下の巨大空洞に築かれた街には、魔獣の咆哮が響き渡り、それと同時にありとあらゆるものが破砕される音が重なり合って響いていた。

 魔獣が姿を現わす。まず一体、もう一体。

 数えるのは無駄だ、とエクラは叫んでいた。

「何も構うな! 斬り殺せ!」

 そのエクラの声は、エクラ自身を叱咤する声でもあった。

 とにかく洞窟へ帰ること。そして地上へ戻ること。それでどうとでもなる。仮にこの魔獣どもが地上に現れても、エッセルマルクだけでも人の数は膨大だ。何万という男たちが武器を取れば、一〇〇や二〇〇の魔獣など容易に殲滅できる。

 エクラは自分が持っている剣を一瞥した。

 美しい剣だ。この剣が何かのきっかけだとすれば、普通の剣ではないのだろう。

 これは自分を象徴する、何かになるのではないか。

 例えば、魔獣を征服したものが持つ宝剣、というように。

 この妄想はとめどなく心の奥から溢れ出たが、しかし今を生き延びなければ、その妄想は本当の妄想で終わってしまう。

 男たちが魔獣の轟く吠え声に負けない絶叫とともに、エクラを守って駆け出した。

 剣が肉を引き裂き、骨を断つ。

 魔獣は腕や足、胸や腹を引き裂かれても、瞬く間に回復する。

 誰かが、首をはねろ! と叫んだ。

 どす黒い血飛沫が、全てを染めていく。

 街はもはや街の様相を呈していない。まるで自由を謳歌するように数え切れない魔獣が、街のそこらじゅうで暴れまわっていた。建物は屋根を跳ね飛ばされ、壁を押しつぶされ、中にあった家具も何もかもが粉砕された。

 秩序はなく、本能のまま、衝動のままに全てが壊し尽くされている。

 あの獣人どもが魔獣の正体だ。

 そう理解するよりなかった。

 この地下空間にいた異種族どもは、一人残らず化け物になって人間を破滅させようとしている。

 現実を目の当たりにして理解が進んだとしても、エクラが考えたのは生き残ることだった。生き残る道は二つ。安全地帯に逃げ出すか、ここにいる魔獣を皆殺しにするかだ。

 魔獣を皆殺しにするにせよ、まずは洞窟の部隊と合流しなくては。おそらく向こうも攻撃を受けているだろうが、地上と通信するためにも最初の洞窟へ戻らなくてはならない。

 耳がおかしくなったのか、もう魔獣の吠える声は気にならない。

 鼻もおかしくなったのだろうか、血の生臭さも感じない。

 目の前を煙が漂う。

 火だ、と兵士の一人が呻く。

 魔獣が建物を破壊した結果だろうか、街の一角が火を吹き上げていた。煙の逃げ場はほとんどない。これで時間の制限はより一層、厳しくなった。

 兵士の一人が野獣に捕獲され、引き裂かれて無残な死体へと変わった。

「洞窟だ! 洞窟へ戻るぞ! ついてこい!」

 エクラは叫んだ。

 走る。走る。走る。

 空気が熱を帯びているのか、エクラの体が熱を発しているのか、何もわからない。

 魔獣が現れる。

 物理的な圧力さえ感じる咆哮に張り合うようにエクラも声を発し、剣を繰り出す。

 肉を引き裂く手応えも、今は少しも不快ではない。

 叫び続け、剣を振り続け、走り続けた。

 戦いは終わらない。

 虐殺は、暴走は、終わらない。



(続く)

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