第45話

      ◆


 エクラは交渉役であるトピアという女をよく観察した。

 美しい顔の作りをしているが、瞳には何か陰りがある。それがこの異種族に特有のものなのかと思い、他のものの様子も観察したが、よくわからなかった。

「まずは酒などどうですか」

 少し訛りがあるが、人間と同じ言語を使っている。不思議な現象だ。

 少なくともエクラは地下に異種族が住んでいるなど、聞いたことはなかった。伝承の上ではあるにしても、事実の記録ではなく、何かしらを象徴する物語と見ていたのだ。まったくの作り話だと。

 しかし異種族は実際におり、こうして言葉を交わしている。

 千年の間、決して交わらなかったはずの相手が、同じような言葉を使うのは、気味が悪い。

 その上、酒などどうかといってくるのだ。

 何も言わずにいるエクラに、トピアという女が微笑む。妖艶と言ってもいい笑みだ。気にくわないことに。

「毒を入れるとでもお思いですか? エクラ様」

「どうだろうな」

 二人はゆっくりと歩いていた。トピアが言うには、是非とも見せたいものがあるというのだった。いったい何を見せるのか。

 油断などしていなかったが、自分たちの力を見せるために、兵の中から体格が立派なもの、あるいは凶相なものを選んで、エクラはそばに控えさせていた。全部で二十人である。

 あまり多くを引き連れると、洞窟の方が手薄になる。あるいはそういう作戦で今、この獣の耳の生えたい種族どもは、エクラを連れ歩いているのかもしれない。

 そうは思っても、エクラには自信もあるのだ。

 何せすぐそばにトピアという女がおり、彼女は丸腰で、護衛も一人しか連れていない。エクラはいつでも腰の剣を抜けるように身構えていた。

 護衛の異種族は他より一回り体が大きい。力は強そうだが、さすがに一人で二十人は相手にできないだろうし、何も倒さずとも、トピアを人質にとればよい。

 しかし、とエクラはさりげなく周囲を見た。

 地下に築かれた街は、どういう技術が使われたのだろう。どの家も石でできているが、継ぎ目が直線で、ピタリとはめ込まれている。地上では見たことのない技術である。

 もう一点、気になるのは、生き物の気配がないことだ。息を潜めているのだろうが、まるで無人のように街は静まり返っている。それだけ自分たちは恐れられている、とエクラは解釈することにした。

 伝説では、人間は地上からこの獣人たちを追い出したのだ。今また、地下の世界を奪われ、今度こそ滅ぼされると勘違いし、心底から怯えてもおかしくはない。

 トピアとその護衛、エクラ、その護衛の二十人は大通りを抜けていく。

 ふと、エクラが足を止めたのは、巨大すぎる木の生い茂る巨大な枝葉の下を抜ける時だった。

「川が濁っているな」

 何気ない言葉に、トピアは反応しなかったが、トピアの護衛は反応した。わずかに肩を震わせる程度だが、反応は反応だ。

 地下を流れる川は、やはり岸に石が積まれていて、どういう石なのか、不思議な光の反射をする石が多用されている。

 それなのに、流れている川は灰色よりもさらに濁ったような色をしている。

 例の洞窟を流れていた川だろうか、とエクラは思ったが、しかし、川を真剣には見ていなかった。地下に流れる水をいきなり飲むのは危険と判断し、エクラたちは水も地上から運ばせたのだ。

 地下を制圧したとなれば、いずれは地下の水を飲まなくてはいけないかもしれない。

 しかしこの川の様子では、容易に飲み水は確保できないだろうとエクラは他人事のように考えて先へ進んだ。

 一行は足を止めずに進み続けた。

 トピアはエクラたちを洞窟の一つに案内していった。途中、柵のようなものがあったが、解放されていた。何のための柵か、エクラはトピアに問いかけたが、トピアは「入るものを選ぶ場所なのです」と答えた。

 自分が選ばれたのか、とエクラは確認しようとして、できなかった。

 何か不穏なものを感じたからだ。

 視線で部下に臨戦態勢をとらせる。二十対二でも油断は禁物である。

 そんな様子を知ってか知らずか、トピアはしずしずと足を進め、岩が崩落している行き止まりでその歩みを止めた。

「なんだ……?」

 エクラは進み出て、地面に突き立っている剣を見た。

 美しい剣だ。いったい、いつの時代のものだろう。たった今、突き立てられたように美しく光を反射している。切れ味を想像すると知らずに唾を飲んでいた。

 手が伸びる。

 何かが警告している。

 しかし、この時、エクラの手は剣の柄を握っていた。

 軽い音ともに剣が地面から抜ける。

「お許しを」

 そう言ったのは、トピアだったか。

 振り返ったエクラが見たのは、ブルブルと震えているトピアと、その護衛だった。

 二人の体が膨張した。

 二倍以上になり、もはや人間に似ているのは一つの頭に一つの胴、二本の腕、二本の足というだけであった。

 魔獣そのものといった姿になった二人は、咆哮をあげると、まだ何が起こったか把握できず混乱をきたしているエクラの護衛たちに、躊躇なく襲いかかった。

 まるで野獣が襲い掛かるように。

 無数の吠え声が、地下空間の空気を激しく震わせた。



(続く)

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