第36話

      ◆


 翌日の昼間、木立を自然と抜けていた。イナンホテプの平地のはずれに出たことになる。

 平地と言ってもどこまでも平坦ではなく、緩やかな起伏の丘がいくつも連なっている。そのために崖の上から見えた陣地も、ここからは見えない。

 行こう、と二人で歩いていく。

 しばらく行くと、騎馬が駆けてくるのが目に入った。ナルーが唾を飲む音がした。

 騎馬隊は五人組で、俺たちが彼らを見つけたように、彼らも俺たちを見つけたようだ。

 すぐに五騎が俺たちを取り囲む。指揮官らしい男が朗々とした響きの声で言った。

「どこから来た! 奇妙な服装をしているが、エッセルマルクのものではないな!」

 五人のうちの二人が剣を抜いており、逃げることはもちろんできないし、今は言葉しか使える武器がない。

「俺はエッセルマルクのアガロン家にいた奴隷で、スペースというものです。ぜひ、アクロ様にお話ししたいことがあります」

「アガロン家の奴隷?」

 指揮官は露骨に眉をひそめた。

「奴隷ごときが大きな口を叩くものだ。それが、アクロ様と面談が許されると、本当に思うのか」

 その男が言葉と同時に剣を抜いたことで、今まで様子を見てた二人も剣を抜き、結果、五人ともが俺とナルーに切っ先を向けることになった。

 ナルーが何か言おうとしたが、俺はそれを身振りで制止した。

「俺は地下から帰ってきたものです。アクロ様は地下のことについて、ご存知のはずだ」

 推測からの指摘だったが、この言葉は、効果覿面だった。

 騎馬の男たちが視線を交わし合う。そして指揮官も、今までにない困惑を見せた。

「お前のようなものが、なぜ、地下について知っている? どこでその話を聞いた?」

「俺はその地下から来たのです。ぜひ、アクロ様に、お話ししたいことがあるのです」

 指揮官は舌打ちして、何事かを考え始めた。

 沈黙の後、連れて来い、と一人の部下が指名され、四騎は駆け去って言った。

 残された騎兵は馬をおり、それから俺たちを先導して歩き出した。

 しばらく三人ともが喋らなかったが、騎兵の男が沈黙に居心地の悪さを感じたか、話し始めた。

「よく知らんが、地下に何かがあるらしい。今、大規模な調査隊が潜っているんだが、あんたたちは何か知っているのか?」

 答えなかったのではなく、答えられなかった。

 俺とナルーは視線を交わして、不穏なものがお互いの心中にあるのを理解した。

 大規模な調査隊、というのがどれほどかは不明としても、あの途方もなく深い亀裂から地下世界へ人間が押し寄せると、大混乱が起こるのは必定だった。

 獣に闘いの意思がなくとも、人間はどうだろう。

「おい、質問しているんだぞ」

 促されてやっと「何も知らないんです」と答えたものの、これは誤解を生んだ。

 騎兵の男が足を止めて振り返る。

「地下から来たのに何も知らないのか。どういうことだ?」

「いえ、現状を知らないということで、地下のことは、知っています」

「地下に何がある? 誰がいるんだ? 誰かがいるんだよな?」

 繰り返される質問は、答えるべきではない質問で、いよいよ答えるのが難しかった。

 下手なことを言えば、人間と獣の衝突を誘発しそうだった。すでに人間は一人とはいえ、獣によって殺されている。それに対する報復を行うのは、一部の人間にとっては当然のことになる。

 争いは一度でも火がついてしまえば、容易には消化できずに、ありとあらゆるものを焼き払ってしまう。

 それこど、獣人戦争の再来すら、起こり得るのだ。

「アクロ様に申し上げますので、どうか、ご容赦を」

 俺が深く頭を下げ、ナルーも頭を下げたようだ。

 騎兵の攻撃的な視線を感じたが、彼は最後には諦めた。その辺りはいかにも軍人らしい。助かった。

 丘をいくつも越えていくと、そこに複数の幕舎が見えた。のんびりとした雰囲気を想像していたが、意外に空気は張り詰めていた。まるで平常ではなく、俺とナルーの存在を意識した状態でもない。もっと重大な事態が起こっているような、そんな気配が濃厚に漂っていた。

 出迎えるように槍を持ち腰に剣を下げた男たちがやってきて、俺とナルーを騎兵から引き継いだ。彼らは数人で俺たちを取り囲んだ状態で一つの幕舎へ連行していった。もちろん、俺とナルーは剣を没収された。これで丸腰ということになる。

 幕舎に入ると、従者を一人従えたアクロ・アガロンが待ち構えていた。従者はすぐに遠ざけられ、幕舎を追い出された。

 三人きりになり、しばらくアクロは膝を折って頭を垂れる俺とナルーを見ていた。

「どこかで見た顔だ」

 それがアクロの最初の言葉で「奴隷として使っていただきました」と俺が答えると、わずかに顎が引かれた。

「逃げ出すでもなく、死ぬでもなく、それでどうして私の元へ戻ってきた」

「お願いしたいことがあるからでございます」

「地下のことを知っていると聞いている。どこから聞いたのだ? 口伝てでも伝わらぬように、配慮したはずだ」

 俺は思い切って顔を上げ、アクロの目をまっすぐに見た。

 奴隷に許されることではないが、俺はきっと、もう奴隷ではない。

 そう、一度、死んだのだ。

「俺は、先の戦闘の折、地面の裂け目に落ち、地下世界を知ったのです」

 ピクリとアクロの目元が動き、舌打ちが漏れた。

「地下には何がある?」

「その前に」

 俺は思い切って言葉にした。

「地割れの裂け目から地下を探ることを、中止していただけますか。それが地下の世界から、アクロ様へ是非、お頼みしたいことです」

 アクロが顔をしかめる。

「悪いが、すでに地下へ隊を送り出し、橋頭堡はできているのだ」

 橋頭堡?



(続く)

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