第31話
◆
早朝にナルーがやってきて、打ち合わせが終わるのに時間がかかり、結局、朝ではなく昼前に街を出た。
俺が生活していた洞窟の他にも似たような空間がいくつかあるというが、そのうちの一つに立ち入りが普段は禁じられている洞窟がある。
俺とナルーはラックラに先導されてそこへ行き、ラックラの権限で封鎖されていた柵の奥へ入った。柵は俺たちの背後ですぐに閉ざされた。ラックラはそこに残った。
別れにしては、あまりにも淡々としたものだった。
先へ進む。足音が反響する。
「昨日、お父さんもお母さんも、泣いちゃってね」
光を発する岩が少ないので周囲はよく見えないが、ナルーの声はよく聞こえた。
「ちゃんと戻ってくる、平和を連れてくる、って私も繰り返し言うしかなくて、どこか寂しかったな」
ナルーの背中は俺の目と鼻の先に影としてある。彼女は闇でも目が利くようだ。確かな足取りで先へ進んでいく。
「ナルー、縄をくれ」
はいはい、と一度立ち止まって、ナルーが縄を俺に手渡してくる。片端をナルーが持ち、片端を俺が持つ。これではぐれることはない。元々、道筋は限られるから、はぐれるようなことはないだろうけど。
俺は何度か、腰の後ろにくくりつけた短剣を意識した。
これを抜くことがなければいい。
もっとも抜いたところで、俺一人では何もできない。それは動かしがたい事実、決して覆せない事実。
しばらく進むと、「ここだ」とナルーが声にして立ち止まった。
洞窟は行き止まりになっている。
しかし岩壁が遮っているわけではない。巨大な岩が転がり、道を塞いでいるのだ。
奇妙なのは、岩の一つに剣が突き立っていることである。
「これが、獣の剣か」
俺は少し離れて、その剣を見た。情報は聞いている。
古びているもののはずだが、たった今、ここに突き立てられたように綺麗な刃をしている。飾りは質素だが、手が込んでいる。いや、よく観察すれば、想像を絶する精緻が細工が施されているな。
「触れないようにね。何が起こるかわからないから」
「わかっているよ」
これは打ち合わせで念入りに確認されていた。決して獣の剣には触れないこと。
かつて精霊王が人間の世界と獣の世界を別けた時、二つの世界を結ぶ回廊、神威の回廊なるものを二つの剣で封印した。
一つが人の剣であり、一つが獣の剣。
人の剣は獣しか抜けず、獣の剣は人でしか抜けないという。
そして人の剣は人の側に、獣の剣は獣の側にあり、つまり抜こうと思っても抜ける存在はいない。
そのはずが今、俺がこうして獣の側にいるのだ。
精霊王の目論見は、すでに意味を持たないようだ。
「この辺りに割れ目があって……」
ナルーが壁際に行って、何かを確認している。俺はまだ獣の剣を見ていた。
「あった!」
大きな声が空洞に幾重にも反響する。
歩み寄ってみると、人が一人、通り抜けられそうなほどの亀裂が、岩肌が剥き出しの壁にできている。
行くよ、といったときには体を横向きにして、ナルーはそこへ体を押し込んでいた。意外に彼女がすんなりと入ってしまい、俺は一度、息を吐いてからそれに続いた。緊張しても意味はない。
隙間はだいぶ窮屈だけど、通れないわけじゃない。
胸も背中も腰も、岩に擦れていく。少し引っかかりそうになっても、力を込めて押し通る。
どれだけ進んだか、急に広い空間に出た。ナルーも足を止めて、そして彼女は頭上を見上げている。
俺もそうせずにはいられなかった。
何故なら、亀裂を抜けて出た先の空間は、明らかに人の手の入った空間だった。
上へと続いていく空間の壁に、階段が作られている。岩が整えられて作られた階段だ。
「本当にあるんだねぇ。さすがにトピア様も嘘を言ったりはしないか」
そんなことを言うナルーの声には、それでも賛嘆、驚嘆の響きがあった。俺もやっぱり、心を打たれて何も言えなかった。
事前の話では、千年前の戦争の時、人間たちが地下へ侵攻するために掘った遺跡があり、当時、この計画は途中で頓挫して、目的を達成する前に放棄されたということだ。それがそのままになっていたのが何十年か前、大地震が起きた折に、洞窟の一つに割れ目ができ、その割れ目が放置された遺跡に通じたようだ。
精霊王とやらは人間と獣の境界線の管理については、無関心でいるようだ。
行きましょう、とナルーが歩き始める。俺もそれに続いて、二人で階段を進んでいく。起伏が激しい通路だが、意外に足場はしっかりしている。崩落しているところもないし、やっぱりつい最近、作られたような美しさだった。
右へ左へ折り返しを続けながら、上がっていく。いっぺんに上へは進めないが、折り返す度に着実に地上へ向かっていく感覚があった。
汗が自然と流れる。腰に小さな水筒をつけている。それだけあれば乾くことはない、というラックラの言葉を思い出した。食料としては干した果物が入った小さな巾着を渡されている。
頼りないことだが、大荷物は必要ないと言われてしまったので、俺としては反論する論拠がなかった。
歩き続ける。周囲からは徐々に光を放つ岩は消えていき、薄暗くなっていく。もう地下世界の夕方程度の明かりしかない。
闇が深くなる中、さらなる闇へ踏み込むように、俺たちは歩を進めた。
お互いの息と足音だけが世界の音の全てだった。
(続く)
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