第27話
◆
ザラザラという音と、水を繰り返し打つ音。
そして声が聞こえた。
間違いない。
明かりがあるぞ、松明の反射じゃない、水音もする、洞窟か、しかしこの明かりはなんだ。
そんな声が連続するがどうも二人の会話らしい。
また小石が勢いよく川に落ちた。
俺も、獣たちも、黙って声が聞こえる頭上の亀裂を見上げるしかなかった。
ぬっと、そこから突き出てきたものは、細い一本の足だったにも関わらず、巨人の足でも突き出てきたかのように、俺たちに息を飲ませる光景だった。
ぶらぶらと足が揺れ、一度引っ込み、今度は二本の足が出た。どう見ても人間の下半身だった。
足場を探すように窮屈そうに動いたが、そこに足場がないのは俺たちにはわかっても、その誰かには視界の外で見えるわけもない。
結局、足を引っ掛ける場所はないと判断したようで、足は引っ込んだ。
もちろん、その間も会話は続いている。
結構、広そうだ。足を引っ掛けるところがない。洞窟か何かの、天井に出ているらしい。ロープはあるか。ロープで降りるしかない。いや、もう余りが少ない。下はどれくらいだ。
そんなやり取りの後、今度は人の頭が逆さまに亀裂から出てきた。
瞬間、時間が止まった。
誰も何も言わず、誰も反応しない。
獣たちは自分たちとは違う存在との対面に、俺という存在がいたとはいえ、驚いていた。
俺は俺で、本当に人間がやってきたことに驚いていた。
そして頭を見せた男は、地下に明るい空間があり、なぜか大勢の人間のような存在がいることに、愕然としていた。
男が悲鳴をあげるのと、獣の一人が素早く弓を構え、矢を番えたのは同時だった。
そう、いつの間にか弓兵が配置されていたのだ。
「やめろ!」
俺は叫んだが、遅い。
天井に頭を見せた男はその首が鋭すぎる矢の一撃ですっ飛ぶことで、この未知との遭遇の最初の一人であったはずが、それ故に生命を失うことになった。
首が飛ぶのと同時に、体がずるりと亀裂から落ち、あっけないほど簡単に生命の川に落ちた。
獣たちはまだ無言だった。
俺はといえば、川に飛び込み、水を掻き分けて流れていこうとする首なし死体を掴み止めた。頭の方はどこへ行ってしまったのか、もうわからない。
いかに生命の川といえども、絶命した存在を生かすことはできない。
びしょ濡れになって岸に死体を引き上げた俺を、何の会話も交わしていないのに、獣たちが取り囲んだ。俺も萎縮などしていなかった。睨み返し、怒鳴っていた。
「なぜいきなり、命を奪うようなことをした!」
「こいつは侵入者だ! ここに立ち入っていい存在ではない!」
「馬鹿な!」
俺は立ち上がり、反論した獣に掴みかかっていた。獣はさすがにそこまでやられると思っていないのか、やや怯んだようだった。
「侵入者なら、皆殺しにするのか! 彼は侵入者じゃない。ただ調べに来ただけだ!」
「人間だ! ここのは俺たちの世界だ!」
怒鳴り返されても、俺も構わず怒鳴り返した。
「一人殺して、それでもう誰も来ないと思うか! この一人の人間の上に立つものは、少なくとも探しにくるぞ。それも一人や二人じゃない、十人、二十人、どんどん増える。それをお前たちが、皆殺しにできるのか!」
獣たちは何も言わない。
それは、負けを認める気配ではなく、やってやろうじゃないか、とでもいうような、好戦的なものだった。
俺はそんな彼らに腹が立ち、しかし冷静になるしかなかった。
とにかく、一人を殺してしまった。上では会話があったということは、もう一人は確実に同行者がいた。その誰かは、仲間が亀裂の下に落ちたのを知っている。
俺は頭上を振り仰いだ。亀裂からこちらを伺うものはいないが、俺たちの怒鳴り合いも聞こえただろう。
くそ、失敗だった。何もかも、しくじりすぎている。
今頃、地上へ必死に戻って行っているだろう。ロープが足りないと言っていた。逆に言えば、ここまで届くロープはあるのだ。どれだけの長さかは知らないが、長い長い、常識はずれに長いロープを用意したのか。
「もうどうしようもない」
俺は言いながら、掴んだままだった獣の襟首を放してやり、足元の死体を検めることにした。
見たところ、兵士ではないように見える。やや痩せすぎている、奴隷だろうか。所属を示すものを持つのは兵士になれば絶対で、それは奴隷でも変わらないはずだ。
簡単な具足を剥いだ時、その胸当ての裏に紋章が見えた。
エッセルマルクの、アガロン騎士家の紋章だった。
なんてことだ。
俺が絶句していると、報告がいつ間にか行ったのだろう、ラックラが足早にやってくるのが視界に入った。彼は渋面を作り、自分の部下を睨みつけながら俺の前までやってきた。
「どうなった?」
「殺してしまいました」
簡単な俺の言葉に、ラックラは不機嫌そうに一度、頷いた。
もう頭上は静けさを取り戻していた。
しかしそこが人間の世界、地上世界に通じるのはもはや疑いの余地はなく、その上、後続の人間がやってくるのもまた、疑いの余地はないのだった。
(続く)
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