第25話
◆
何だ?
誰もが見ている前で、三つ目の石が川面に落ち、それきり静けさが戻ってきた。
「地震ではないようですね」
トピアの声に、四人の男たちが頷き、天井の割れ目に近い位置まで進み、上を見上げている。
何か、遠くで音がする。
「声のようです」
男の一人がそう言ってこちらを振り返る。その顔は明らかに緊張して強張っていた。
「落ち着きなさい」
そう言ったトピアの声も、緊張の気配がかすかに含まれていた。
「ここの守りを固めます。爪牙隊から一部隊を派遣して」
「人間がやってくるのですか?」
男のうちの一人が言いながらトピアの方を確認する。
カラカラと音を立てて、また小石が落ちてきて水音を上げて川面に落ちた。
全員がそちらをある種、悲壮な顔つきで見ていた。
俺だけが困惑していた。いや、別種の困惑、か。
人間がやってくる。
そう、地面が割れたのは物理的な現象で、例えば俺は、空間を飛び越えたわけじゃない。実際にできた地面の割れ目に落ちたのだ。なら、そこを安全に降りてくれば、人間は自然とこの地下世界へ辿り着ける。
ここが地上からどれだけ下った場所かは知らないけれど、ものすごく長いロープがあれば、それにぶら下がって降りてこられるかもしれない。
不意に男たちが一斉に短剣を抜いた。
「やめなさい!」
叫んだのはトピアだった。従者の少女を振り払うように、足早に俺のそばに来ると、まっすぐに横に立った。
「スペースさんは何も悪くありません。彼が地上と地下を結びつけたわけでもない。わかっているでしょう、あなたたちだって」
男たちは気圧された様子で、それぞれの反応をした後、短剣を鞘へ戻した。
「いいですか、スペースさんを殺したところで何も変わりません。今は、人間とどのように接するか、考えるべきです」
冷静な口調に聞こえるが、トピアが方策を頭の中で探しているのははっきりしていた。
男の一人が声をあげた。
「人間は争いを好むと聞きます。我々を殺戮するかもしれません。それならここで人間どもを皆殺しにするべきです」
「それこそまさに、争いを好む行為でしょう。我々は、人間と友好関係を結べるはずです」
トピアがそう言っても、男たちは納得しきれないようだった。
その彼らに、トピアがどこか今までと違う口調で言った。
「今も、人の剣と獣の剣が、地上と地下を隔てています。あの二つがある限り、私たちは共存できるはずなのです」
人の剣? 獣の剣?
俺の知らない単語だったが、まさか今、ここで解説を頼める感じではない。
「とにかく、ここは封鎖しましょう。それと、スペースさんはこうなっては、ここで獣と人間との橋渡しになってもらうしかありません」
このトピアの発言にも、男の一人が反論した。
「その人間をそこまで信用なさるのですか? その男が我々を罠に嵌める、罠に嵌めるために友好的に振る舞っている、そういうことはないのですが。潜入して工作をするというのが、そもそもの人間の計画かもしれません」
「彼がここに来て長い時間が過ぎています。それまで何の通信もできなければ、安否も確認できないのに、一人だけの間者のようなものを送り込むなど、意味が分かりませんよ。落ち着きなさい。すぐに何かがあるわけではないのですから」
最後までトピアは冷静だった。
男たちは反論を諦め、足早に洞窟を出て行った。トピアもそれに続く。
少しするとさっきの男たちよりわずかに若い男が洞窟に一人で入ってきた。彼は苦笑いという感じで俺の前へ来ると、さっと握手の手を差し出してきた。
「僕はユッカム。実はずっと、きみの見張りをしていた」
スペースです、と名乗って、俺は彼、ユッカムの手を握った。
「困ったことになったなぁ。人間と戦争とは」
「まだ戦争になるとは決まってませんよ、ユッカムさん」
「どうだかな。人間と俺たちは、もう千年近く、顔も合わせていない。あんたが千年ぶりの対面だったわけだが、どうもあまり歓迎もできないらしい。あんたも兵士だったらしいし」
すっとユッカムが頭上を見上げた。
「あそこから兵士がやってきて、僕たちと戦って、それで何が残ると思う? 僕は何も残らない気がするよ」
彼の言葉に俺は何も言えなかった。
戦って何かを勝ち取ることはできる。でもそれまでに多くの者が犠牲になる。それでは何かを勝ち取ったところで、意味はないだろう。
しかし、何も勝ち取れないのでは、つまりは敗北だ。
しばらく二人で静かな空間に佇んでいた。洞窟の入り口の方で足音がする。爪牙隊という獣たちの兵士たちがやってきたのだろう。
不吉なものがまとわりついてくるけれど、俺はそれを無視した。
(続く)
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