第23話
◆
トピアが来たのは、ラックラの訪問の二日後だった。
しかし、服装は以前と違い、どこか神秘的な文様が描かれ、裾が長い。引きずるほどの長さのそれを、背の低い少女の獣が持ち上げている。ついでに四人の男性が付いてきている。この四人は視線の配り方、体の動かし方から武人を連想させる。腰には俺とナルーが稽古で使ったものよりさらに短い剣があった。儀礼用にも見えるけど、戦闘力としては十分だろう。
この日、俺はナルーを待っていたのだが、彼女はなかなか来ず、ちょっと不安になっていた時にトピアたちがやってきたのだった。
「お久しぶりですね、スペースさん」
トピアが軽く頭を下げる。それさえも優雅で、いかにも神に仕える、という気配だ。男たちは揃って無言。もちろん少女もだ。
ナルーはどうしたのだろう、ということをまず聞こうとした。しかしそれはトピアには露骨だったようだ。
「今日はナルーに来ないように伝えました。ここにいるものは、秘密を守れるものです」
ナルーが秘密を守れない、というより、俺を街へ連れ出したことがラックラからトピアに伝わったのだろう。
「スペースさんを、一度、街へお連れすることに決まりました」
どうやら本当に、ラックラの言ったことは現実になったようだ。
「俺が、その、街のことを知ってしまったからですか?」
こちらから問いを向けてみると、トピアが微笑む。慈愛に満ちていると言ってもいい、穏やかなものだ。
「いえ、それは関係ありません。あなたがここに来た以上、何らかの対応をしなくてはいけないのは避けては通れないことです。まさかあなたはここにずっといたいのですか?」
洞窟で、毛布にくるまり、川で体を洗い、そうして日々を過ごしてきたけれど、それが俺には異邦人としてふさわしい生活ではないか、と思えていた。
「ここにいたいと言われても、逆に困るのですが」
トピアが首を傾げる。
「いえ、その……」
「スペースさん、何も遠慮はいりません。私も遠慮しないつもりですから」
「今は今で、自由でいいかな、と」
「地上にいるより、という意味ですね?」
そうか、そういうことも伝わっているのか。
言い聞かせるように、トピアが言葉を続ける。
「ナルーから伝え聞いていますが、あなたは奴隷という立場で生きていたそうですね。私たちは概念としての奴隷を知っていますが、奴隷という立場の者はこの世界にはいません。ですから、あなたがどういう生活をしていたのかも、はっきりとは思い描けないし、想像するしかありません。もし、あなたが地上にいるより地下にいる方が満たされる、と考えても、それを私たちは頭ごなしに否定したりはできません」
「いや、そこまでは……」
地下にいる方が満たされる。
この言葉、この部分だけでも否定するべきだろう。
そのはずなのに、俺は地上より地下の方が……。
「いいのですよ、スペースさん。言いたいことを言ってください」
「俺は、何も、言えない」
やっと言葉が出た。トピアは表情を少しも変えず、視線で先を促してきた。それも強制するような感じは少しもない。自然と俺の口から言葉を引き出すような、そんな眼差しだった。
「俺は、地上ではきっと、生きていなかった。生きていたけど、ただ流されているようなものだった。地下に落ちて、それがどう変わったかはわからないけど、俺はちょっとだけ、自分の生を生きているような気がした」
誰も何も言わない。
俺は思い切って、問いをぶつけた。
「俺は間違っているかな。勘違いしていると思うかな」
そうは思いません、とトピアが頷いた。
「どの世界にいるか、ということはきっと、あまり意味がないのでしょう。地上にいようと地下にいようと、生き方を選べない人もいれば、生き方を選べる人もいます。生活に満足する人もいれば、それに不満を感じる人もいますし、より良くしようと必死になる人もいれば、諦めて脱力したまま生きる人もいるはずです」
なるほど、この女性は、思慮深いと言えそうだった。
ただ、何故だろう、すべてから距離を取っているような気がする。
「すみません、スペースさん、私の言葉は空虚そのものです。何故ならそれは、私たちがこの閉じられた世界で、閉じた生活を閉じた時間の中で営んでいるからです。あなたたち人間とは、きっとそれはまるで違う価値観、違う人生観のようなものを作ったはずです」
そこに答えがあるかは、俺が未熟すぎるせいだろう、見通せなかった。
「あなたを一度、街へ招きます。そこでしばらく生活して、私たちの仲間があなたをどれだけ受け入れるか、それを考えます。見世物のようにしてしまって申し訳ありませんが、許していただけますか」
牢ではないのか。
街の中で生きる。
俺はその申し出に答えようとした。
しかしそれより先に、小さな音が耳を打った。
その場の全員が、音の方を見た。
天井の割れ目から何かが転がり落ち、小さなそれは川面に落ちた。
小さな音と、小さな波紋。
全員は頭上から目を離せなかった。
また小石が一つ、落ちてきて、川面に落ちた。
(続く)
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