第19話

      ◆


 何も代わり映えのしない日のはずだった。

 朝からナルーがやってきてまずは剣術、お昼休みの後、組打ち。

 全部が終わって、俺は汗を流そうとして、ナルーは身支度を整える。そこで不意にナルーが声をひそめて言ったのだ。

「ちょっと外を見てみたくない?」

 俺は着替えの服を用意しているところで、思わず顔を上げた。

「外って?」

「だから、私たちの街だよ」

 意外な言葉だった。

「俺はここに軟禁されていて、出られないはずだけど?」

「なんとでもなるでしょ」

「でも、見張りがいるはずだ。俺は見ていないけど」

「見張りだって、どうとでもなるよ」

 俺としては唸るしかなかった。

 まぁ、確かに手かせ足かせで地面に転がされているわけではないし、出入り口が厳重に封鎖されているわけでもない。見張りだってナルーのような獣なら、工夫して目を盗めば問題ないのかもしれない。

 ただ、俺が外に出歩くことで獣たちがどう反応するかは、未知だ。

「俺は目立つと思うけど」

 ふふん、とナルーが得意げな顔になる。

「夜の間にこっそり行くの」

 夜か。獣たちは眠っていて誰の目もない、という計算だろうか。

 それにしては稚拙な気がした。獣の街には興味がないわけがないけど、余計な問題は起こしたくない。この世界では俺には後ろ盾どころか、同じ立場の存在すらいないのだ。

 うーん、こういう時、悪い展開ばかり考えて、想定してしまうのは弱気だろうか。

 ナルーはとりあえずは頼りになるけど、どこか雑というか、ざっくりしている。

 俺が答えを出せないでいると「何もないからさ」とか「経験が大事だよ、何事も」とか、ナルーが言葉を重ねてくる。

 これはどうも、突っぱねるのも悪いのかな。

「何かあった時、ナルーの立場がなくなるんじゃないの?」

 念のために確認すると、ナルーは失笑という感じだ。

「だから何もないって」

 ……こいつ、本当は何も考えていないんじゃないか。

 結局、その日は結論を出さず、俺は一晩、真剣に考えた。

 獣の街は気になる。しかし余計な揉め事は起こしたくない。

 翌朝、普段通りにやってきたナルーに、「本当に誰にも見つからないんだよね?」と確認した。すぐに昨日の話の続きだと察したナルーが、何度も頷く。そう何度も頷かれると、逆に不安なんだが……。

 しかしもう、決まってしまった。

 夜の間にナルーはこっそりとやってきて、見張りをどうにか遠ざけて、俺は密かにここを抜け出す。念のために耳の生えていない頭を隠すくらいはするようだ。

 あまりにいい加減だけど、どうしようもない。

 見張りをどうやって遠ざけるかは、ナルーは教えてくれなかった。後で問題が大きくならないといいんだけど。いや、本当に。

 決行は三日後の夜で、「眠りこけていないでよ、隠密作戦なんだから」とナルーは楽しそうだ。俺が軟禁される空間を秘密基地にしている、その精神性が発揮されているようだ。何事も楽しむ、と言えばいいだろうか。

 悪ふざけがすぎる、という意見は見当はずれ、でもないと思うが。

 規則や決まりを破るのが楽しくなってやめられない、となると大問題だと指摘したいところでもある。

 三日なんてあっという間に過ぎた。その日の組打ちの後、俺にいつでも動けるように念を押して、一度、ナルーは去って行った。

 俺は念入りに体を洗って、新しい着物に着替えた。先にナルーが用意してくれた頭に巻く布を手元でいじりながら、時間を待った。周囲の岩盤にある光を発する岩が、徐々にその光量を落としていき、薄暗くなっていく。

 どれくらいが過ぎたか、ここへナルーが入ってくる通路の方で声が聞こえ、少しするとナルーが顔を出した。無言で手招きしているので、俺は素早く立ち上がり、頭の布を整えながら彼女に駆け寄った。

「とりあえず、当分はあなたは自由よ。さて、行きましょうか」

 歩き出すナルーはそれでも足を忍ばせているので、俺も足音に注意した。

 俺がいた空間から出るには狭い通路を進むしかないようだ。薄暗いので手探りだ。俺があまりにたどたどしい足運びだからだろう、ナルーが俺の手を取って先を歩いた。

 ナルーの手を意識しながら、狭い通路を抜けた先に、広い空間があった。

 天井に当たる岩盤ははるかに高い。

 巨大な空洞であるそこには、間違いなく街が広がっていた。

「ここが私たちの街よ」

 静けさの中で、控えめなナルーの声は自信たっぷりだった。



(続く)

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