第18話

      ◆


 来る日も来る日も、俺は武術に打ち込んでいた。

 前半は剣術、後半は組打ちで、ナルーはどちらでも俺を圧倒している。

 その中でも俺にも好機は何度となくあり、しかしその度に躊躇いが動きを鈍らせ、結局、ナルーの攻勢の前に潰されてしまう。

 その日も、昼食の前に全身をズタズタにされ、俺は生命の川に顎の下まで沈んでいた。汗も流せるのでちょうどいい。外の季節がどうなのかは知らないが、最近は少しずつ暑くなり、川の水も心地よい。

 岸へ上がると、俺の服をナルーが繕っている。俺のための服はだいぶ増えていて、着ているもの、着替えるもの、前日に洗濯して干したもの、という具合になり、順繰りに着ることになる。今、ナルーが繕っているのは昨日洗って、今日には乾いていたものだ。

 俺が着替えて近づくと、ナルーは「さっき、地震があったね」と不意に言った。

「地震? 川に入っていて気づかなかったよ。どれくらい揺れた?」

「壁から細かい塵が落ちたかな」

 反射的に頭上を見上げてしまう。

 俺の生活空間であるここは広い洞窟のようなもので、頭上には俺が落ちてきた割れ目がそのままある。なんというか、大地震が起きたら、その割れ目のあたりから崩落が発生して、俺は生き埋めになるんじゃないか?

「ここのところ、ちょっと地震が多い気がする」

 手元を動かし、そこへ目をやったままナルーが言った。

「俺が落ちてきたのも、地震が原因だしな」

「そうだね」

「そういえば、どうしてナルーは俺を助けることができたんだ?」

 昼食のための干し肉を探りながら訊ねると、「ここを秘密基地にしていて」と返事があった。

 危うく笑いそうになった。秘密基地って。

 俺が必死に笑い声をこらえているのにも気づかず、ナルーが言葉を続ける。

「生命の川の源流ってどこなのか私たちにもわからないし、それに神聖なものだから、あまり無闇に川に近づいちゃいけないの。それで、大人はこんなところへ来ない。大人が来ないのは好都合っていうんで、私たちがここにいたわけ」

「私たち?」

 思いがけない言葉にそちらを見ると、まだナルーは俺の服を凝視している。ただ、言葉は淀みない。

「私の友達が一緒だった。フラックっていう名前だよ」

「へえ。今は、何をしているんだ?」

「家にいるんじゃない? トピア様にここに来ないように、かなり強く言われていたし」

「でもナルーはここへ来てもいいわけだ」

「そういう風に決められたからね。幸運だったなぁ。まさか人間の世話をして、剣術と組打ちを教えることになるとは思わなかった」

 なかなか運命や巡り合わせは面白いものだとは俺も思う。

 まさか奴隷として戦場に駆り出されて、そのまま意味もなく死ぬはずが、地下へ落ちて、生き延びて、剣術と組打ちに必死になるとは。しかも教師は人間ではなく、獣の女の子である。

 何もかもが作り話じみている。

 お伽噺の世界だ。

 できたよ、と言ってナルーは糸を切ると、素早く丁寧に折りたたんだ服がこちらに差し出される。俺は礼を言って受け取り、今日の昼食の干し肉をぽいっと投げだ。ナルーが片手で受け取り、口元へ運ぶ。この干し肉は満腹感がすぐやってくるので、食べるたびに不思議な感覚になる。口へ運ぶ量と腹の中に溜まる量が釣り合わないような感覚だ。

「お」

 思わず声が漏れた。

 地面がまた揺れている。何かが軋む甲高い音がして、頭上から塵、細かい砂が落ちる。川面へ目をやると、無数のかすかな波紋が重なり合っていた。

 じっといているうちに地震は収まった。ナルーは平然と干し肉をかじっていた。

「こんなに地震ばかり起こるのは、おかしくないか」

 俺の問いかけに、知らないよ、とナルーはあまり興味もなさそうだ。

「まぁ、珍しいけど、ないわけじゃないしね。だいぶ前にひどい地震があって、その時は地下でも落盤が起きて、何人も亡くなったこともあったね」

 だいぶ前というのがいつかはわからないけれど、ナルーの口調からすると、俺が落ちてきた時の地震よりも酷かったのだろう。

「フラックもあなたと話したそうだけど、決まりがあるんじゃねぇ、無理だよねぇ」

 話題が急に地震の前のそれに戻ったので混乱したが、そうか、フラック、ナルーの友人か。

「俺はここに閉じ込められているしな」

「トピア様が働きかけているみたい。あなたを地上へ戻すためにね」

「え? その方法はない、って話だったよな。人間と獣の世界は、完全に切り離されていて……」

「地上と地下なんだし、どこかで通じているんでしょう」

 本当かよ……。前はそんなものはないようだったが。

 秘密、なのだろうか。

 しかしそれにしても、俺は帰れるのか。

 考え始めると、俺は帰りたいと思っているのか、帰りたくないと思っているのか、微妙なところだ。

 帰ったところで、待っている人はいない。

 しかし帰らないと言っても、この世界には人間はいない。

 俺が黙り込んだのにナルーが首を傾げていたが、俺は何も言えなかった。



(続く)

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