第16話
◆
まあまあ、気にしないで。
そんなことを言いながらナルーは川の方へ行き、手首に水をかけていた。
水を払うために手を振りながら戻ってくると、「久しぶりだなぁ」とナルーが感心したように言葉を口にする。
「前には師匠にだいぶやられたものだけど、もう実力が伯仲していて、危ないからってやらなくなったのよ。それからは一人で稽古するか、手加減できる相手としか稽古しなくてね。私の腕も鈍ったのかなぁ」
ペラペラとナルーがしゃべる口調は、徐々に興奮を帯びてきている。
一方の俺は、まだ混乱から立ち直っていなかった。
「ご、ごめん、ナルー」
彼女の言葉を遮るように言って頭を下げると、ピタリとナルーは喋るのをやめ、それきり何も言わなくなった。それに背中を押されるように、俺は言葉を続けた。
「怪我させるつもりはなかったんだよ。危ないし、女の子に怪我させるわけにもいかないし、そう思ってはいたんだけど、だけど、だけどあの時、急に、できる気がして」
まだナルーは黙っていた。それが余計に、俺に言葉を口にさせた。
「今までも、その、人は切ったことがあるけど、今は、全く違って。単純に、まるで突き動かされるみたいに、体が動いて。いや、動いたというか、動く気がして、それに体を任せたら、ああなっちゃって。本当に、ごめん……」
まだ沈黙。
これ以上、何を言えばいいのか。何を言うのが正解か。もう全くわからず、僕は頭を下げ続けた。
「だから」
短い言葉とともに頭を手で押さえられて、意味もなくひんやりとした気持ちになった。
俺が首を落とされても、おかしくはない。そんな気持ちだった。
戦場で人を切ったのではなく、剣術を教えてくれる相手に、きわどい刃を繰り出したのだ。稽古は殺し合いではない。それなのに俺は……。
「だから、スペース、気にしないでよ」
声と一緒に頭をぐりぐりと下に押さえつけられ、振りほどいて、もう一度、頭を下げた。
「幸いにも、というか、生命の川がすぐそばにあるしね、怪我なんてなんでもないよ」
言いながら、ナルーはもう一回、俺の頭を押さえつけてくる。
なんか、からかわれているな。
「さ、続きをやりましょう。私、やる気になっちゃった」
思い切り後頭部を押さえつけられて、俺がよろめくところでいきなり腕を取られ、足を払われた。鮮やかな技に俺は尻餅をついていて、目の前ではにやにやと笑いながらナルーが俺を見下ろしている。
「体がとっさに動いた、なんて言っている割に、たいして技も身についていないね。直感が冴えていれば、という言い訳はあなたが直面した戦場では通用するの?」
挑発されている。心に反発が起きるのを、俺は冷静さを意識して意識の奥底に押し込めた。
戦場では言い訳は通用しない。
今、俺が尻餅をついているのも、結局は俺の未熟さか。
「今日はもう剣を取りたくない」
言いながら俺は立ち上がって、鞘に戻していた剣を鞘ごと腰から外すと、離れたところへ放った。剣が岩の上を滑る。
そうして体術の構えをとった。
「組打ちでもやってみよう。さっきの様子だと、心得があるんだろ?」
いいね、とナルーが一層、明るい表情になり、彼女はそっと剣を地面に置いた。そしてやっぱり構えを取るが、俺の知らない構えだった。
ジリジリとお互いに間合いを計り、しかしナルーはいきなり滑るような足の送りで懐に飛び込んできている。
腕を取られる。振りほどく前に、足を払われ、腕は引っ張られる。堪えようにも、すでに足が地面を離れている。
空中で自分の体が一回転して、背中から岩でできている地面に叩きつけられた。瞬間、背中の方で鈍い音がして、手足の先へ電気が走る。
呻くしかない俺の横に仁王立ちして、ナルーがステップを踏んでいるが、意味はないだろう。やっぱりからかっているな。
「ほら、一発で終わり? もう立てないの?」
呼吸するだけで背中がひどく痛むが、俺は立ち上がった。ナルーがまた構えを取る。
「言っておくけど、頭から叩きつけることもできるからね」
ケロっとした口調で言うが、内容は酷い。
さっきの投げで俺を殺すことができた、ということか。
逆に投げてやるつもりで、間合いを潰そうとしたが、呼吸を読まれた。逆にナルーがまた俺の懐に入っている。掴みかかる前に、腕を取られる。
体が宙を舞うのを感じながら、またか、と思った次には、強烈な衝撃に今度こそは意識を刈り取られていた。
(続く)
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