第14話
◆
俺が着替えて戻ると、ナルーは一人で剣術の型を繰り返していた。
なるほど、本当に立派な剣術なのだ。素人に毛が生えた程度の俺など、相手にしない程度に。
気配に気づいたのだろう、ナルーが動きを止め、こちらを見た。さすがに今は、ちょっとだけ申し訳なさそうだ。
「傷はどう? 痛まないよね?」
生命の川のことを信用しているんだろうが、自分が殺しかけたとは思っていないのか。
「痛まない。だけど二度と、体験したくないな」
「ごめんごめん。だって兵士っていうんだから、剣くらい自在に使うものだと思って」
俺は彼女の横を抜け、川から水をすくって飲んでみた。よく冷えているし、清浄そのものだ。
この水が大怪我をたちどころに直すとなれば、とんでもないことだ。
地上にいる人間の間では、治癒しない病もあれば、対処できない大怪我も数多くある。奴隷の仕事の中でも、例えば重いものに片足を潰された奴が、そのままにしておくと死ぬという見立ての元、足首から下を切断されたり、膝から下を失ったりする場面があった。もっとも大抵の奴隷はそんな処置を受けることなく、見殺しにされるのだが。
もし、難病や死病にかかったものをここへ連れてこられれば、この水を飲むだけでも効果があるのではないか。
そう思うと両手で何の気なしにすくい上げたこの水が、得体の知れないもののようにも思える。
いったい、この水は何なのか。
思い切って口へ運び、飲み干してから立ち上がった。体はもう前と少しも変わらない。
「怒ってる? スペース」
「そりゃ怒るさ」
振り返ってみて、ぎょっとした。
ナルーが今にも泣きそうな顔でそこにいるからだ。
感情が豊かな女の子だとは思っていたけれど、泣かれるのは困る。別にどう困るとかはないのだが、とにかく困る。
「怒っているけど、傷は治ったしな」
そう言葉を付け足すと、すんすんとナルーが鼻を鳴らし始める。
参ったな。
「服の破れたところを」
こういう時、適当なことでも言葉が口をつくのは俺の強みなのではないか。
「繕ってくれたら、それで許す」
ナルーは疑り深そうな目で俺を瞳を覗き込んでくる。
これだけじゃ弱いか。
「ついでに、俺に剣術を教えてくれ」
何がそんなに心を動かしたのか、ナルーの表情が一転、明るくなる。
「わかった! 服はすぐ繕うね。剣術は、どこから教える?」
裁縫よりは剣術の方が好きらしい。
基礎から頼むと伝えると、ナルーは何度も頷いた。
彼女は常に持ち歩いているらしいポーチの中から針と糸を取り出し、まだ濡れている俺が脱いだばかりの服の裂け目を縫い合わせた。俺は奴隷の常として、自分の服は自分で繕ったりしたものだが、こうして見てみるとナルーの手元はやや覚束ない。
結局、その日は服の裂け目が閉じられたところで時間になって、ナルーは帰って行った。
「明日からは本気で剣術を教えるからね! 絶対だからね!」
そんな言葉を残して、ナルーは去った。ちゃんと俺の分の剣も回収していった。そこまで俺も信用されていない、ということか。
一人になり、もう一度、念のために自分の腹を確認した。確かに内臓に触れたはずだが、そんな痕跡は少しもない。傷跡すらない。生まれたままの肌と言っても通用しそうだ。
地上と地下では、全てが違うが、こんなところにも違いがある。重大な違いだ。
地下に生きるものは、怪我とも病とも無縁なのかもしれない。無縁というより、それらは重要ではない。水を飲めばそれで済むのだ。
地下は争いがないともナルーは話していた。
この地下世界は、もしかしてこの世のどこかにあるという、楽園、理想郷なのだろうか。
答えの出ない思考を打ち切って、食事にすることにしたが、食事といっても干し肉をかじるだけなので、やっぱり考えてしまう。
ここで生きていければ。
いや、俺は人間だ。獣の間に入って生きることはできないし、許されない。
たぶん。
どうしても俺は異邦人であり、部外者であり、別の生き物。そのはずだ。
獣が人間を、俺をどう思っているか、それが気になったが、答えを教えてくれる相手はいない。
(続く)
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