第13話

     ◆


 地下で三日目、まどろんでいるところを揺り起こされた。

 すでに天井や壁の光る岩は淡い光を放っている。そのやや薄暗い光量の下で、ナルーが満面の笑みを浮かべている。

「ほらほら、早く朝ごはんにして」

 眠いんだよな、どうにも。

 文句を言うのも筋違いか、と思い直して、干し肉を手に取り、口に入れる。噛んでいくうちに柔らかくなり、塩気も強くなる。不思議な干し肉だ。昨日の昼も夜もこれを食べた。食欲も回復したようで、干した果物もの一緒に食べることができた。

 干し肉をくちゃくちゃしている俺の前に突き出されたのは、どこからどう見ても、剣だった。それほど長くはないが、幅が広い。鞘に入っているのだ、なおさら大きく感じた。

「じゃ、私の剣術をご覧あれ」

 少し距離をとると、ナルーが自分のものらしい剣を鞘から抜いた。彼女は最初から腰に剣を帯びていたのだ。ただ、腰の後ろに鞘を吊るす、変則的な位置に剣があった。

 抜かれた剣を、ナルーが器用に振り回した。

 俺は口を動かしながら、それを見ていた。

 剣術というか、剣舞かな。実際の剣舞がどういうものか知らないし、地上の剣舞のことを、地下では剣術と表現する可能性もある。

 少しずつナルーの動きが早くなり、剣が走り抜ける位置がめまぐるしく変わる。

 なるほど、剣術的ではあるかな。

 見物しながら、では俺に何ができるだろう、と思ったけれど、答えははっきりしている。

 俺には何もできない。

 剣術を剣術として習ったことはないのだ。所有者が歩兵として使うための基礎的な訓練があっただけで、つまり実戦剣術以外使えない。いや、それは剣術ですらなく、生存術でもなく、その場しのぎの悪あがきか。

 ピタリと姿勢を止め、剣も静止し、ふっと息を吐いてからナルーがこちらを見た。

「どう? 立派でしょ?」

「ものすごい立派だと思う。それを趣味で覚えたわけ?」

 はぐらかすための質問だったが、どうだと言わんばかりにナルーは胸を張る。

「これでも爪牙隊の候補生でもあるのよ」

 参ったか、という顔つきだが、爪牙隊というのが何か、俺にはわからない。

 俺の不分明に気づいたか、途端に不機嫌そうにナルーが解説した。

「この世界を守るための部隊よ。守備隊というかね。全くの暇人で、剣術くらいしかやることはないけど」

 さっきまで胸を張っていたのに、今は否定的なことを言う。

 ということは、謙遜ってヤツらしい。

「じゃ、次はちょっと実戦でやってみましょうよ」

 実戦?

 急にナルーがこちらに向き直り、剣を構えた。

「おい、ちょっと待って」

「問答無用」

 本当に問答無用だった。

 剣が突き出され、頬をかすめていく。痛い。

 転げて避けるところへ、容赦なくナルーの刃が追撃してくる。胸元を際どく切っ先が通過し、次は右腕の付け根を狙ってくるのを、直感的に避ける。

 そこまでだ。

 剣を抜く間もなく、ナルーの剣が俺のわき腹に突き刺さった。

 俺は悲鳴すら上がらない痛みに息がつまり、視界が赤く染まり、黒くなり、白くなった。

 嘘ぉ、と呑気な声が聞こえ、同時に剣が引き抜かれたの感触でわかった。

 っていうか、抜くなよ!

 膝から力が抜け、剣を取りこぼした手で腹の傷を押さえる。二度触りたくない自分の内臓の感触。あっという間に手がびしょ濡れになるが、直視できない。したくない。

 ごめんごめん、とやっぱり呑気な声が聞こえて、文句を言いたいが、あまりの痛みに思考が回らず、答えを返すどころではない。

 っていうか、死ぬのでは?

 溺れないでね。

 そう聞こえた次に、いきなり体が蹴り飛ばされていた。

 衝撃に肺から空気が押し出され、自然と声を上げてしまった。強烈な衝撃に俺の腹の傷口はとんでもないことになり、しかしそれよりも体が宙を舞っていることに、混乱した。

 墜落する、と思った次には、俺は水の中に沈んでいた。

 水。

 川。

 生命の川だ。

 俺の体が沈んでいく。息ができない。ごぼごぼと口から空気が漏れる。

 視界は急に鮮明になり、水面で光が複雑に反射し、水中に芸術的な陰影を作っているのが見えた。

 その透明な水中に漂う赤い模様は、俺の腹部からの出血だろう。

 痛みが酷い。息はできない。

 なんで剣術比べで生死に関わる重傷を負った上に、川に蹴り込まれて溺れないといけないのか。

 悪ふざけか。

 怒りさえも思考の停止は遠ざけてしまう。

 目の前の景色が、歪んでいく。

 曖昧になり、散漫になり、全てが溶け合い、色を無くし。

 やがて闇が訪れ。

 その闇に真っ白い手が見えた気がした。

 激しい音に目を開くと、俺の襟首を掴んで岩の上に引っ張り上げたのは、ナルーだった。

 文句を言う前に、口から水が噴き出る。それがかかったナルーは悲鳴をあげて、俺を突き飛ばした。もちろん、川へ、ではなく、岸へ。

「ちょっと、もう、溺れないでよ。腰くらいまでの深さしかないんだから」

 そう言いながら、頬のあたりを拭う獣の少女を睨みつけたいところだが、俺は呼吸が全く整わず、まだ水を吐きながら喘鳴を繰り返していた。

 やっと息が整った時には、ナルーは勝手に着替えを用意して、待機していた。

「あなた、兵士なんじゃないの?」

「俺は、ただの、奴隷だよ」

 やっと言葉にして、倒れこみ、そうなってから腹を剣で引き裂かれたことに思い至った。

 死んでないのか?

 腹からはみ出した内臓は?

 痛まない。

 全く痛まないのだ。

 恐る恐る手で触れてみると、服は裂けている。

 しかしその下には皮膚がある。かなりな恐怖だったが、指を這わせていくが、傷口がない。視線をやってみるとまっさらな肌がそこにあり、勘違いでもなんでもなく、本当に傷はなかった。

 手を頬へやる。最初、刃が確かにそこを薄く切っていたはずだ。

 血の感触もなく、傷があるようでもない。

「どう、安心した?」

 自分が何をしたわけでもないのに、ナルーが得意げに教えてくれた。

「生命の川の水は、傷なんてたちどころに治しちゃうのよ」

 信じられない。

 しかし実際、俺の重傷は跡形も無くなっている。

 本当なのか……?



(続く)

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