第10話

     ◆


 昔話では、とナルーは切り出した。

「人間は動物を殺して食べたり、植物を広い場所で育てるって聞いている。その植物を育てるのが農業って言われてて、つまり、スペースのお父さんとお母さんがしていたこと?」

「そうだけど、え、地下には農業っていうのはないのか?」

「あることにはあるけど、狭いところだから」

 そういうものだろうか……。

 でも、そう、俺の両親は太陽のことを嫌に気にしていた。それに雨も気にしていたか。農業っていうのは天候に大きく作用されて、多くの収穫がある年もあれば、収穫が減る年もある。何十年かに一度は飢饉に直結する大不作の年もあると聞いていた。

 しかし地下には太陽がないし、きっと雨も降らないだろう。

 農業なんて、そもそもできないんじゃないか?

「この川、生命の川の力で、植物は育つよ」

 先回りするようにナルーがそう言って、ちょっと得意そうな顔になった。

「私たちはこの川からもたらされるもので、生かされているの。植物も動物も、私たちも、この川のおかげで生きていける。そういうこと」

「えっと、例えば、獣は何を食べて生きているわけ? 俺に分けてくれた干した果物とか、干した肉で大丈夫なのか?」

 そんなわけないでしょ、とナルーが明るく笑う。

「私たちが食べるのはね、ロチの実、だよ」

 ロチの実……? 聞いたこともないな。

 俺が困惑しているのを察して、ナルーが身振りを交えて説明する。

「この川は私たちの街にまで流れているんだけど、そこに中州があって、その中州に生えている大樹で取れるのがロチの実。木はもう、本当に大きくて、人背丈の十倍くらいあって、枝葉が張り出して広がっているから、まるで街の屋根みたいになっている。いや、それは言い過ぎか」

 そんな大木が地下にあるとは、にわかには信じがたい。

 俺がそう言おうとすると「スペースにも見せてあげられればいいのに」とナルーが悔しげに言葉にした。

「私たちは人間のことを悪くは思っていないけど、きっと起きなくていい混乱が起きるよね。人間が攻めてきたのか、とか、あなたはその斥候なんじゃないか、とか、いろいろありそうだし」

「人間のこと、悪く思っているじゃないか」

「え? ああ、そうか、スペースは私たちがあなたを拘束したり、拷問したりする、って思っている? 私が知る限り、獣は犯罪とは無縁だし、暴力とも無縁よ」

 ますます訳のわからない言葉だった。

「犯罪と無縁って、えっと、どういう意味?」

 ふふん、と得意げにナルーが笑う。満面の笑み、得意満面だ。

「私たちは決して犯罪を犯さない、それだけのことよ」

「いや、だから、なんで」

「人の物を盗む心も、人を傷つける心も持っていないからよ」

 わからないなんてものじゃない。

 俺が知る限り、少なくとも人間なら、地上の隅から隅までを探し回っても聖人なんていないだろう。誰もが何かしらの罪を犯している。大なり小なり。

 それが獣は犯罪とは無縁で、しかも全員がそうなのだという。

 にわかには信じられない。嘘を言われているのだろうか。しかし俺に嘘を言う理由はない。

「まぁ、守備隊での調練で怪我する人はいるけどね」

 ……それは、暴力と無縁という言葉に矛盾するのでは。

 俺がそのことを指摘しようとすると「そろそろ行かなくちゃ」と素早くナルーが立ち上がった。まるで猫のような身のこなしだった。

「食料は今日の分で何日くらい耐えられそう?」

「二日かな」

「意外に小食なのね」

 いや、遠慮したんだが。今更、前言を撤回できないので、「落ち着いたら食欲も出るかも」と誤魔化すことになった。実際、食欲は不思議と薄いのだ。

「じゃあ、また明日ね、スペース。また色々と教えてね」

 ひらひらと手を振ると、ナルーがこちらに背を向けた。

 その腰のあたりから猫の尻尾のようなものが生えていて、一人でに右に左に動いていた。

 本当に尻尾が生えている……。

 あの耳に触らせて貰えば良かったな。興味本位だけど。

 ま、明日もあるか。

 俺はナルーを見送ってから、地面に寝転がり、自分がするべきことを考えようとしたけど、何もすることはなかった。いわば俺は、この地下世界に閉じ込められているのだ。

 協力者は、今のところ、二人。

 どうしようもないな。



(続く)

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