第8話

      ◆


 トピアが帰っていくと俺は一人きりになり、しばらく頭上を見上げていた。

 はるかに高い場所に光の点が見え隠れする。あれが地面が割れてできた隙間だとすると、相当に距離がある。壁を登攀するなんて常人どころか、超人でも無理だろう。そうなると地道に階段のようなものを組み上げて上を目指すか。

 そのためには資材が必要で、では地下世界に大量の木材があるかといえば、きっとない。石は周囲をぐるりと取り囲むほど豊富だけど、岩を切り出して積み上げていくのは、尋常な仕事ではないな。

 さらに言えば、高い高い階段を作るには、地面に近い方を巨大な構造物にしないと崩れるだろうから、仕事の量ははるかに膨大になる。

 どうやら俺一人では地上世界へ戻る術は今のところ、ない。

 いつでも動けるようにと念のために全身を確認した。傷は一つもないし、打撲の痕跡もない。試しに全身を動かす運動を試してみたが、なんでもない、健康な状態の肉体だった。

 とんでもない高さから落下したはずで、途中で岩に衝突しなかったのが僥倖というしかない。

 一度でも岩、ちょっとした出っ張りでもぶつかっていれば、跳ね飛ばされてまた別の場所へぶつかり、また跳ね返され、ぶつかり、そんなことを繰り返した結果、人の形じゃなくなったはずだ。

 まっすぐに落ちたとしても、それが川に落ちたとしても、体がバラバラになりそうなものだ。

 どこまでが運だったのか、容易には想像できそうにない。

 しばらく体の確認を続けていたが、人の気配がして、見るとナルーが戻ってきた。背中に大きな包みを背負っている。しかし足取りは乱暴で、表情はまだ怒っていると主張していた。

「すまなかった、許してくれ」

 何か言われる前に、俺の方から頭を下げた。

 ここで獣の協力を得られないと元の世界に戻れないから、などという打算ではなく、正直な謝罪の言葉だった。

 何を思っていても言葉は言葉だ、ということもできるけれど、ナルーは鼻を鳴らしただけだった。

 顔を上げてみると、表情はちょっとだけ緩んでいる。

「人間の無礼さには呆れるわね」

 言いながら俺の横に座ると、ナルーは包みを開けて中身を並べ始めた。俺も立っているわけにいかず、腰を下ろした。

「まずこれが替えの服。それと寝るときのための毛布ね。あとは保存食。人間がどれだけ食べるか知らないけど、私がしばらくは毎日来ることになったから」

「ありがとう、ナルー」

 礼を言って品物を確認した。

 服は人間のそれに似ているが、ちょっとだけ意匠が異なる。地下は地下で独自に発展しているんだろう。それほど厚い布で作られているわけではないのに、手触りからすると丈夫そうだ。

 毛布は何かの毛皮を流用したようだけど、何の毛皮かはわからなかった。やっぱり地下独自のものなのかもしれないけど、そもそも俺に毛布の知識はほとんどない。奴隷が毛布を使うなど、許されないのだ。

 食品はなるほど、保存のために乾燥させた果物らしいものが、それぞれの種類ごとに瓶に詰められていた。全部で赤、黄色、黒、ひと瓶ずつ。あとは干し肉らしいものが無造作に束になっている。

 これで飢えることと凍えることは避けられそうだ。地上の季節は春の盛りだったけれど、こうして地下に迷い込んで見ると、すぐそばを川が流れているせいか、肌寒い気もしていたのだ。

「あなた、スペースって、人間の中ではどんな立ち位置なの?」

 荷物を包んでいた布を折りたたんで、それを弄びながら、ナルーが問いかけてくる。

「立ち位置って、職業のこと? 奴隷だよ」

 正直に、というか、それ以外に答えようがないのだけど、俺の言葉を聞いてナルーは目を丸くしている。

 言い訳のように俺は言葉を続けていた。

「両親は農夫で、他人から土地を借りて農作物を育てていた。だけど疫病が蔓延して、二人は死んだ。その時、植物の苗とか、農具とか、いろいろなことで借金をしていたのがわかって、それで後に残された俺は売られて、そのまま奴隷だよ」

 一息に喋ってから、露悪的に言葉を並べすぎたかな、と気付いた。普段から俺はそういう卑下が身についていたようだ。

 ナルーの方をうかがうと、これが、明らかに困惑して目を白黒させていた。

「奴隷……? 売られる……?」

 そこから説明しないといけないのか……。



(続く)

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