第7話
◆
淡々とトピアは話し始めた。
「獣人という呼称を、私たちはあまり好みません。それはかつての敵であり、憎悪の対象である人間の言葉だからです。私たちは自分たちをただ、獣、と呼びます。まずはそれを覚えてください」
わかった、と頷いて見せると、まるで生徒を見る教師のようにトピアが笑う。
「私たちはこの地下から出ることを許されていません。それは古代の伝承のままなのですが、地上へ通じる道は一つしかなく、そこは閉じられています。この封印を破る意図は、私たちの中にはありません」
「破る意図がない?」
それが意味するところは、ひとつだった。
「つまりあんたたちは、地下にいることを望んで受け入れている、ってことかな」
「まさにその通りです。それが私たちが精霊王によって課せられた戒めであり、また贖罪なのです。私たちが殺した人間、そして犠牲とした獣人のためにも、私たちはこの地下だけで生き、いずれは消えていくのでしょう」
思わずナルーが去って行った方を見てしまった。
この河原は洞窟の中でも空間が膨らんでいるようで、ナルーが去った方向、トピアがやってきた方向には天井が急角度で低くなり、狭い回廊のようになっているのが見える。
そこにはぽっかりと明るい空間があり、どこかへ通じているのだが、どうしてか不吉な気配がする。
ここは生きることを諦めているものが過ごす場所なんじゃないか。
最後の一人になるまで、種族が滅亡するまで、彼らはここにい続ける?
強靭な精神力なんてものでもない。誓いという言葉も、どこか違う。
獣人、いや、獣たちは、人間とは違うのだ。彼らはきっと自分を完全に律することができるのだろう。
「あなたを地上へ戻す方法ですが」
トピアの言葉に俺は視線を彼女へ向け直した。
「唯一の地上への道が封じられている以上、簡単には戻せません。私たちの方でも方法を検討しますから、しばらくはここで過ごしてください」
「ここって……」
無意識に周囲を見てしまったが、川が流れているだけで、壁は岩肌そのまま、地面も岩盤のようだった。光は岩の一部が発光しているけれど、植物は少しもない。
「食べ物はナルーとその友人に運ばせますから、ご心配なく。それと、ここから出ないように、見張りをあの入り口のところへ置いておきます」
見張り。まぁ、人間である俺が獣たちの中に不用意に入ることを防ぐということなんだろう。どんな混乱が起きるかは知らないが、獣たちが俺をなぶり殺しにしたりする、ということが否定しきれない。
「みな、穏やかです。ご心配なく」
まるで心を読んだようにそうトピアが苦笑いしている。どうやら俺は感情が顔に露骨に出ているようだ。
「川の中から引き上げられたのですよね? スペースさんは」
急な話題の転換に頷いてみせると、何かを確認するようにトピアは俺の全身を眺めた。
「何かあるのか?」
「いえ、怪我は治っているでしょう」
「まさか」
そう言ってから、いつの間にか体があれほど痛んでいたのが、今は何でもないに気づいた。
どうなっているんだ? 地上の戦闘でも負傷したし、地上から地下へ落ちて無事とも思えない。目が覚めた時に確かに体が痛んだのも、間違いではない。
なのに今は全く無傷だった。
「信じられないない」
服の袖を捲ってみる。袖は確かに裂けているし、かすかに血の滲んだ跡も残っている。なのに腕はまっさらだった。
「この水は、私たちの命を延ばす水です。人間にも影響があるようですね」
「命を延ばす……?」
「私が何歳に見えますか?」
女性に年齢の話をするのは嫌がられると、奴隷でも知っている。
俺が黙っているとトピアは楽しそうにやはり黙る。
答えろ、ってことか。
「まぁ、三十には見えないな」
何がおかしいのか、俺の言葉にトピアは口元を押さえながら、それでも堪えきれずに笑い出した。あまりに笑うので、俺は自分の言葉を検証せずにはいられなかったが、何かおかしいことを言っただろう。
からかったくらいで、そんなに笑われることでもない、よな。
「私の年齢ですけどね」
笑いながらトピアが上ずった声で答えた。
「三〇〇を超えています。驚きましたか?」
……正直、驚く以前に信じられなかった。
三〇〇?
困惑する俺がおかしいのか、トピアはまだ笑っていた。
(続く)
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます