第4話
◆
アクロ・アガロンは馬上でその光景を見るしかなかった。
戦闘自体はエッセルマルク軍の優勢だった。歩兵は敵の歩兵の陣地を突破しつつあり、後背へ回ることができれば有利は決定的だっただろう。
最初、何が起こってるか、アクロにもわからなかった。
馬が揺れているかと思ったが、その時には周囲にいる直下の部下が周囲を見ており、揺れているのは自分だけではないとアクロは悟った。
ただ、戦場においては馬が駆けたり人が駆けることで、わずかに地面が震えることがある。
ちょっと激しく地面が震えたのか、と思ったまさにその時、激しい揺れがきた。
馬が暴れ出し、それを抑えた時には、聞いたこともない音とともに、敵を押し込んでいたこちらの歩兵の群れが、いきなり視界から消えた。
土煙の中でも、彼らの影がごっそりと無くなったので、そう判断するのが自然だったが、いったい、いかなる事態がそのような結果を生むのか。
隊を後退させるのはエッセルマルク軍だけではなく、オルシアス軍も同じだった。
「地震にしては短く、激しいな」
近くへ馬を寄せてきた別の騎士階級の指揮官の言葉に、アクロはただ頷いてみせた。
戦場にもうもうと立ち込めていた土煙は消え、そこには地面がパックリと割れているのが見て取れていた。
「大地が裂けるとは、聞いたこともない」
「しかし事実だ」
アクロは答えながら、次にどうするべきか、考えた。
イナンホテプという兵を運用するのに丁度いい平地の真ん中に巨大な裂け目があり、しかし完全に平地を断ち割っているわけではない。周り込める。しかしそれでは、平地を選んだ理由がない。
ここで陣を張って耐えるべきか、割れ目を迂回して攻めるべきか。仮に攻めるとして、オルシアス軍が後退すれば、どうするべきか。後退するのは撤退ではなく、おそらく誘いで、つまりエッセルマルク軍は敵中に飛び込むことになるだろう。
場合によっては後退しようにも大地の裂け目によって不都合が生じるかもしれない。
今は我慢だろう。敵も混乱しているのは同じはずだ。
アクロはそのことを総指揮官の軍団長へ打診する旨の使者を立てた。先ほどまでそばにいた騎士も、自分の隊の方へ戻っていた。
しかし惜しいところだった。
アクロの目には、自分の隊が敵の陣地に最も深く入り込み、まさに両断する寸前に見えた。仮にそれが成功していれば、アクロの名を高める軍功の一つとして申し分なかった。
それなのに今や、アクロ隊の歩兵の半数ほどがあの地面の割れ目に分断され、エッセルマルク軍側にいたものは無事に帰れても、割れ目に落ちたものは失われ、また運悪く突出しすぎてオルシアス軍側に取り残されたものは、アクロが見ている目と鼻の先で捕虜にされていた。これは他のエッセルマルク軍でも同じことではあった。
こうなると、エッセルマルク軍が攻勢に出ていたことが、裏目に出ていた。
総兵力にはわずかに差ができ、しかし、エッセルマルク軍は自国の領域で戦っており、オルシアス軍は侵攻しているという立場を考えないといけない。エッセルマルク軍が後方との連絡を遮断すれば、このイナンホテプにいるオルシアス軍は孤軍となるのは必定だ。
その程度のことは両軍が考えているだろう。
つまり、オルシアス軍は一度、軍を退くのではないか。追い打ちをかけられるか、アクロは逡巡したが、不可能とするしかない。少なくともアクロ隊だけでは兵力が足りない。どこぞの騎馬隊の指揮官に追撃は任せるしかないようだった。
日が暮れかかる前に、オルシアス軍は一度、大きく後退した。やはり撤退するのだ。
この時にはどうやらエッセルマルク軍の別働隊がオルシアス軍の後方を扼そうと動いているようだが、アクロは自分の隊の再編に追われており、目の前の戦場を構築し直すのに忙殺されていたので、知る由もない。
夜、アクロはじっとオルシアス軍の篝火が並ぶ方へ繰り返し視線を送ったが、もちろん、見えるのは揺れ、爆ぜる炎だけだ。
明け方、エッセルマルク軍の斥候から報告が入り、イナンホテプに展開したオルシアス軍は夜のうちに静かに、戦場を離脱していた。その場に残されたのは篝火などだけで、きっちりと捕虜は連れて行っていた。
ともかく勝った。
アクロはまずそのことを考え、犠牲の数にうんざりした。地割れが起きたこともあるが、何の戦果もない戦いにしては、犠牲が多かった。
朝日の中で、アクロは陣を払って後退するようにという指示を受けた。
(続く)
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