第27話 許してはいけないから
怒りが煮えたぎってくるのを必死に抑えて道陸神社へと向かった。一時間半くらい歩くと赤い鳥居が見えてきた。
途中で珠江ちゃんには道陸神社へと向かうことは教えていた。土地勘のないうえに夜道は暗く道に迷うかもしれなかったからだ。珠江ちゃんには「神様に悪い奴をやっつけたって報告しに行くの」と言ったら、私のことを信じ切っているのか、まるでピクニックにでも行くかのように嬉しそうだった。
最初の赤い鳥居の奥には着色されていない腐りかけの鳥居が無数に連なっている。赤黒い空と相まって、異世界へと誘っているかのようにも見えてしまう。
以前と同じように入ると戻れなくなってしまうような感覚に襲われた。
「はうう……お化け屋敷みたい……」
「ほら、行くよ」
珠江ちゃんに声を掛けて、鳥居の中へと一歩踏み入れる。
もう戻れなくなってもいい。この世界にはお母さんも千佳もいない。やるべきことは千佳の仇をうつだけ。
「じゅうご、じゅうろく、じゅうなな、じゅうはち……わわわ、鳥居がたくさん……」
鳥居を数えながら珠江ちゃんは無邪気に私の背中を追いかけてくる。
背中から聞こえる数字が三十を超えた辺りで、朽ちかけた鳥居が終わり、再び赤い鳥居が現れた。その鳥居をくぐると開けた場所に辿りついた。
そこに大きな岩があった。高さは三メートルを超えていそうだ。私が背伸びをして手を伸ばしてもてっぺんには触れそうもない。縦と横は同じくらいの長さで二メートルくらいだ。岩には鉢巻のように大きな注連縄が巻き付けられていた。
「ねえ、珠江ちゃん。その岩の前に立って手をついて」
千佳に教えてもらった自凝島での儀式の準備に取り掛かる。 条件は同じで生者側と死者側の二人組で行うこと。結果も同じで生者側は死者側へ、死者側は生者側へと境目を弄られる。私は元通りに人間を見ることができ、珠江ちゃんは今の私のような状態になる。
「ねえ、珠江ちゃん。私が教えたことちゃんと覚えてる?」
珠江ちゃんと反対側の大岩に手を触れて尋ねる。大岩の向こう側から返事がしたので、今から始めるからしっかりとしてね、と言うとはーいと声が帰ってきた。
目を閉じて、大岩に額をくっつける。
「あなたあなたお待ちなさい」
私が語り掛けると、
「そなたに髪飾りをお投げましょう」
大岩の反対側から珠江ちゃんの声が聞こえる。
「それは葡萄の実になりましょう」
私が言う。
「お気に召したのなら櫛を置きましょう」
珠江ちゃんが言う。
「それは筍になりましょう」
最後に私がその言葉を発し、一呼吸おいて、珠江ちゃんと合わせて唱えた。
――天の橋から黄泉の国。黄泉の国から天の橋。我らは大岩を動かすものなり。
自凝島での儀式はこれで終わりだ。目を開けると、比良坂橋で千佳と儀式をした時と同じように周囲は深い霧で覆われていた。辛うじて見えるのは眼前の大岩と最後にくぐった赤い鳥居だけ。
「結乃お姉様、これはなんですか……」
大岩の反対側から珠江ちゃんは不安そうに顔をのぞかせる。
「珠江ちゃん、とりあえずここから離れようか」
霧で辺りの様子が全く分からなくなっているので、ひとまず見えている赤い鳥居へと進んでいく。鳥居をくぐると、朽ち果てた鳥居を幾重にも立ち並んでいるのが見えた。
「よんじゅうさん、よんじゅうよん、よんじゅうご……結乃お姉様、鳥居の……鳥居の数が増えてます……」
比良坂橋で歩けど終わりがなかったように、鳥居をいくつくぐっても終わりがこない。ふと、鳥居の端に百合の花が立ち並んでいるのに気が付いた。最初、大岩に向かってくぐっていったときにはなかった。
「わあ、結乃お姉様見てください。黄色い百合さんですよ」
珠江ちゃんにはそう見えているのか。
――私の視界には黒い花弁が揺れている。
次第に霧が薄くなってきた。まだ鳥居の出口は見えてこないけど、黄泉坂橋での儀式と同じならもうそろそろ終わるはずだ。
「あれ……、黄色の百合さんが黒くなっています?」
気付くと、私の視界の中の百合も黒から白へと色を変えていた。きっと百合の色そのものは変わっていないのだろう。変わったのは私達の見え方だ。
「あっ、出口が見えてきましたです」
珠江ちゃんが指差す先に赤い鳥居があった。濃霧の中、ぽつんと取り残されたように私たちを待っている。
走っていく珠江ちゃんについていこうとすると鈴の音のような男の子と女の子の声が聞こえた。
――また会ったね。
人間とは思えないほど澄んだとても綺麗な声に道陸神と呼ばれる二柱一組の神様だと分かった。
私は何か言い返してやろうと思ったけど、黙ってそのまま歩いて行った。
鳥居をくぐると急に日差しが眩しくなり、まぶしくて目を閉じた。しばらく経って、ゆっくりと瞼を開くと、比良坂橋が私の目の前にあった。上空には黒い空が広がり、星と月が綺麗に輝いている。どうしても確かめたいことがあって私がしばらく歩いていると向かいの道から通行人が歩いてきた。
二十代くらいの男性がスマートフォンを弄りながら、私と珠江ちゃんの横を興味なさそうに通り過ぎて行った。その肌はほんのり日焼けした小麦色で、焼けただれていたり、どろっと腐っていたり、ぽつぽつつと開いた穴を蛆が這いずり回っていたりするようなことはなかった。
――普通の人間だ。
「どうして……どうしてなのです……結乃お姉様……」
地面に座り込んでいた珠江ちゃんが困惑するように私に問いかけてきた。きっと彼女の目には歪な世界が広がっており、先ほどの人は私が亡者と呼んでいたような姿をしているのだろう。
「結乃お姉様は珠江にいじわるなんてしないって……信じてたのに……」
ぐすぐすと珠江ちゃんは泣き始めた。
信じていた者に裏切られる辛さは私も知っている。
だけど、私は言葉をかけずにその場をあとにした。
珠江ちゃんは千佳を殺した。ここで野垂れ死にしようが、私の知ったことではない。運が良ければ通りすがりの人が保護してくれるだろうし、宇津田さんが探しに来てくれるかもしれない。
どちらにせよ、珠江ちゃんはこれから先、苦しむことになる。自殺しようが、そのまま呪いを持って生きて行こうが、誰かに呪いを移すとしても、そのことには変わりない。
街中へと向かって歩いていると、やがて珠江ちゃんの泣き声も聞こえなくなっていた。
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