第24話 友達になれたと思う

「さて、俺は全て話した。質問があれば受け付けるぜ」

「……いや、ないよ」

 

 千佳の話を聞くにつれて、私の握っていた手の力が次第に弱まっていった。

 私のお母さんが死者側から生者側になるために儀式をして、千佳のお母さんを生者側から死者側へと境目を変えてしまった。お母さんが自分のために他人を犠牲にするような人じゃなかった、と思いたいけれどこれは事実だ。

 もしかしたらお母さんは妊娠していることを知っていたから、お腹の中にいる私のためにやったことかもしれない。

 どちらにせよ、千佳のお母さんが呪いを移されたと思っても仕方ない。私の今の状況は千佳のせいだけど、千佳だけを恨んでいいのか分からなくなった。

 手記を見るにお母さんも誰かと儀式をしたせいで死者側へと境目を変えられたようだから、その人を恨めばいいのか。それとも千佳のお母さんと儀式を行った私のお母さんを恨めばいいのか。道陸神と呼ばれている神様か、それとも《黄泉大神の詛呪》なんていう呪いに対してか。


「――私、人殺しなんだよね」


 亡者と思っていたのが人間だと知った時、すぐに警察亡者のことが頭によぎった。千佳も予想していなかったイレギュラーな存在。警察の人の視点で考えてみれば、薄汚れた女の子が怯えたように夜道に一人でいるんだ。心配をして声をかけようとしても不思議ではない。

 それを私は、そう見えているからと言って、怖がって、故意ではないとはいえ、持っていたマイナスドライバーをその目に突き立てた。

 私は亡者じゃなくて、人を殺している。


「千佳のこと責めれないね……」

「違う、あれは亡者だ。お前にはそうしか見えなかったはずなんだ。だから、お前が気にする必要はねえ」

「そんなのただの言い訳だよ……」


 殺された警察官の人だって家族や大切な人はいたはずなんだ。それを無視して、都合の良い解釈をして殺人じゃないって言い張ることなんてできない。


「私は自首するよ……」

 

 何て説明するかは分からないけど、私が警察官の人を殺してしまったのは事実なんだ。ちゃんと罪は償わなければならない。


「お前がそんなことする必要はないって言ってんだろ。そうだ、俺が殺したってことにすればいい。元はお前に儀式を持ち掛けた俺の責任なんだ」


  私は首を横に振った。


「それはダメだよ。私の罪は私が償わないと……」

「お前は俺の言うことを聞いてればいいんだ。儀式をして、元に戻す。俺はお前が見ているものが日常だったから気にすんな。お前はそうじゃねえだろ」

「それだってそうだよ。元々はお母さんが千佳のお母さんに儀式を持ちかけたせいなんだから、その責任は娘の私にあるよ」


 ――話は平行線のままだ。

 私はこの呪いとも呼べるものを千佳に戻したくはないし、自首すべきだと思っている。 千佳はこんなおぞましい呪いを元に戻しそうとしているし、私の罪も引き受けようとしている。


「あのー、結乃さんが生者側に戻られるのも自首をされるのもわたくしが困りますわ」


 そんな中、会話に割り込んできたのは怜美さんだった。


「てえめは関係ないだろ」

「いえいえ、ありますわ。結乃さんはわたくしと同じ死者側――同じ現実が見えている」

「それがどうしたって言うんだよ」

「ですから、結乃さんはこのままの状態で一緒にあの洋館に暮らして欲しいのです。自分が見えている現実が他人と違うという孤独感は、貴方にも分かるでしょう。ねえ、結乃さん。どうかしら」

「え、え。そんなこと急に言われても……」

「結乃さんは洋館にずっと隠れ住めばいいのです。そのうち世間は結乃さんのことを忘れて、探そうともしなくなるでしょう。それに、あの子も喜びますよ。普通の人間なら怖がるような火傷跡も結乃さんなら、そうとは見えないのですから。あの子が結乃さんを慕っているのもそう理由ですし」

「てめえ、勝手なこと言いやがって」


 千佳は立ち上がって怜美さんへと近寄った。怜美さんの目と鼻の先に立つとキッと睨みつけた。今にも殴りかかりそうだ。


「あらあら、これだから野蛮人は……人が暴力に訴えかける時がどういうときか、お教えしてあげましょう。知恵と言葉で相手を納得させられないときですよ」

「結乃にずっと隠れてコソコソ生きろって言うのか。結乃には普通の生活の女の子として生きるのが一番似合ってんだ」

「その普通を取り上げた張本人が何を言いますやら」


 クスクスと怜美さんは口元を歪めて笑った。


「どちらにせよ決定権は結乃さんにあります。わたくしの進言か、貴方のご意見か、それとも自身の意見を尊重されるか。結乃さんは幸せですわ。自身の見たい現実を自分で選べるなんて」


 わたくしは選ぶことすら出来なかったのに、と怜美さんは自虐するように呟いた。俯いた怜美さんの顔に初めて影が差したような気がした。

 それも気のせいだったようで、怜美さんは顔を上げて私を見据えた。


「結乃さん、貴方はどの現実を選びますか?」


 ようは誰を選ぶかということか。怜美さんを選ぶか、千佳を選ぶか、それとも私自身を選ぶか。

 どの現実を選ぶか、なんて偉そうに怜美さんは言っているが、つまりはそういったことなんだ。

 怜美さんは寂しいだけなんだ。

 孤独を共有できる相手が欲しいだけ。

 それは私じゃなくても良い。自分と同じ存在を求め、心の安らぎを求めているだけに過ぎない。

 

 ――みんな自分勝手だ。

 

 千佳も自分のお母さんのためだとか、そんなことを言って結局は生者側へとなり、私は死者側へとなってしまった。呪いを移されている。

 今、ここで私を助けようとしたのだって罪悪感に駆られてのことだ。

 

 ――みんな自分勝手だ。

 昔から人に流されやすいって言われた私とは大違い。

 周りに合わせて生きてきた。千佳みたいに自分の考えをはっきりと言えるような男らしい彼女のことが好きだった。

 この島に来て、自分を変えようと思った。

 私は変われただろうか。

 ――いや、全く変わっていない。

 全て他人の行動に流されている。

 警察官を殺したのだって、相手が近づいてきたからだ。

 洋館に行ったのだって千佳を探すためだ。

 その千佳から逃げたのだって、勝手に誤解したからで、また千佳に会おうと思ったのも怜美さんの取り計らいがあったからこそだ。

 本当にみんな自分勝手だ。

 だから。

 だから、こんな時こそ私は自分勝手になっていいはずだ。


「私は……私がしたいことを選ぶ。怜美さんも千佳の意見も知らない。私は私自身を選ぶ」


 それを聞いて、怜美さんは悲しそうに視線を背け、千佳は悲哀に似た表情を私に向けた。


「聞いてたか、コスプレ野郎。結乃は自分で自分自身を選んだ。俺でもなく、てめえでもなく、自分自身だ。俺はもう何も言わねえ。それが結乃の出した答えってだからな。てめえはどうなんだ、答えろよ、雫喜怜美さんよ」

「随分と威勢の良い野蛮人ですこと」


 怜美さんは詰まらなそうに呟いた

 まるで汚らわしいものを見るかのように千佳を見据えた。

 ……いや、実際怜美さんにとってはその通りなのだろう。私と同じ死者側の怜美さんは千佳のことを亡者として見えているはずだ。

 距離を取った千佳に真っ直ぐと日傘の切っ先を千佳の目の先に向けた。そのまま千佳の黒い瞳に吸い込まれるように突き刺しそうで、私は声にならない悲鳴をあげた。


「貴方と違って、わたくしは他人の不幸を望みません。積悪の余殃。他人を不幸にする者は己も子孫にも不幸を招くものです」


 そっと日傘を下ろす。


「ですから、わたくしは結乃さんに自分の考えを強制させません。それを結乃さん自身が望んでいないのですから。至極、残念ではありますが……それもまたわたくしの見えている現実というものでしょう」


 怜美さんは諦めに似た表情で廃屋の扉を開いた。


「まあ構いません、こんな風に現実が見えるようになる前から、わたくしと同じモノが見えている人などいないと思っていましたから。結乃さんは友人を持っていて、わたくしは独りぼっちだった、そういうことなのでしょう。それでも希望を捨てきれず、結乃さんに期待してしまったわたくしが悪かっただけのことです。

 同じ境遇だとしても、同じ現実が見えているとは限らないのと知っていましたのに。それは普通の人間も同じことなのですから。境遇や関わった人によって現実というのもいとも容易く姿を変えてしまう」

「怜美さん待って!」


 彼女が淡々と放つ言葉の端々に生きることを諦めたような無気力さを感じてしまった私は思わず呼び止めてしまった。


「何か用ですか」


 初めて、怜美さんに冷たい視線を向けられた。

 あの視線は見たことがある。怜美さんが珠江ちゃんに向けていた視線だ。私も珠江ちゃんのように俯いて何も言えないままなのだろうか。

 違う。

 私は変わる。

 自分の意見を、考えていることを、意志を伝えるんだ。


「怜美さん、違うの。見えているものが違うとか、そんなことは関係ないよ。怜美さんがどんな現実を見ていようと、それが私と同じでも違っても私のことを想ってくれる怜美さんは私の――友達だよ」


 怜美さんはふふっと笑った。

 他人を冷笑するような笑みでもなく、憐れみを含んだ嘲笑でもなく、友達が友達へと向ける何気ない笑顔だった。


「ありがとうございます」

 

 そう言い残して、怜美さんは廃屋を去っていった。

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