第21話 怖いのものは、多分……

 珠江ちゃんの焼け焦げた家を出てから怜美さんと多賀町――私が初めて会った亡者がいた集落へと向かった。

 堂々と歩いても問題ありませんわと怜美さんに言われたので隠れもせずに道を歩いている。時折、すれ違った亡者たちは私たちを一目見ると、軽く頭を下げたり、訝しげに見つめたりするだけで襲いかかろうとはしてこなかった。


「怜美さんも私と同じように見えてるんだよね」

「そうですわ」

「怖くないの?」


 自分の見えている世界が違う。そう聞いても半信半疑だった私を怜美さんは実際に町中に連れてきた。


「慣れましたわ」

「私は慣れそうもないよ……」


 だって、私が見えているのはおぞましく爛れた皮膚をしている人達なのだ。どれだけあれが普通の人間だと言われても私には同じ人間には見えない。 空も赤黒いままだし、店先に陳列されている食品は全て腐っている。


「これが現実ってやっぱり思えない……」

「結乃さんは物の見える仕組みを御存知ですか」

「物の見える仕組み……? 目に光が入ってとかそれが脳まで届いてってやつ……?」


  学校の授業で教わったような気がする。勉強はあまり得意ではないので詳しく覚えていない。


「その通りです。目はよくカメラに例えられます。光彩は絞り、水晶体はレンズ、網膜はフィルム。瞳孔から目に入った光がそれらを調整し、視神経を通じて脳に信号として届けるのです」


 怜美さんは自分の目を指さし、私の目を指さす。


「しかし、この脳に届けられた情報は人間が見えている風景とは異なっています」

「どういうこと……?」

「目が捉えている情報は上下左右が反転しているのですよ。それを脳が処理を施して、正しく見えるように改善しています」


 怜美さんはそう言って日傘をぐるっと一回転させた。


「さて、ここでご質問です。わたくしたち死者側の人間ではなく、生者側の人間が見えている風景、それは果たして正しい物なのでしょうか」

「正しいに決まっているじゃない」

「さてはて、本当にそうでしょうか? 脳は目から得た情報を意図的に改変しているのですよ。それはひょっとしたら上下左右だけではないのかもしれません」

「人間の見え方も……」

「そう。人間は本来わたくしたちが見えているように醜悪な姿をしているけれど、そうなると具合が悪い。だから、脳は意図的に改善を行っている」

「そんなことって……」

「あるかもしれませんし、ないかもしれません。まあ、そんな理屈はどうでも良いのです。詰まるところ、正しい現実なんてものは存在しないのです。視力が悪い人、視力が良い人では見え方が違いますし。自分が見えている物、それが現実なのです。他人の世界の見え方など気にしても仕方ありませんわ」


 そう言っている間にまた一人の亡者とすれ違った。四十歳後半くらいの中年のおじさんだ。私達を物珍しそうに見ていたが、私達に何もせず通り過ぎて行った。

 きっと島の人間ではない私が珍しいのか、怜美さんの服装に驚いているのか、それか両方だろう。


「ねえ、どうして教えてくれなかったの?」


 怜美さんは全部知っていたはずだ。どのタイミングでも良い。本当のことを教えてくれていたら、と思ってしまう。

 亡者が人間を喰らうような存在でもなく、私がただそう見えてしまうだけの人間だとしたら宇津田さんが言っていた本土も亡者で溢れて大変なことになっているというのも嘘になる。

 ――ただ変わらないとしたら、お母さんが殺されてしまっているということだけ。


「口止めを、そして結乃さんに本当のことを気付かれないように振る舞えと言われていましたの」

「誰から?」

「宇津田先生からですわ」

「あのウサギめ……」

 

 私が死者側で人間が亡者のように見えてしまうということをあいつは知っていたというわけだ。だからこそ、あんな馬鹿げた被り物をしていたのだ。被り物をしていれば、私から亡者と思われることはない。変声機越しに喋っているのもそういう理由だろう。


「ちょっと宇津田さんのところに行ってくる」

「まあまあ、落ち着いてくださいまし」

 

 洋館へと向かって走り出そうとする私の腕を怜美さんが掴んだ。


「宇津田先生にそうしろと命じたのは辻堂千佳――貴方のご友人ですよ」

「千佳が……?」

「ええ、そうです。なぜ、わたくしが今更になって本当のことを話したかとお思いですか。全て貴方のご友人の御意向です。昨晩、洋館に来られた結乃さんのご友人さんは全てを貴方に告げるように宇津田先生に頼んだそうです。もっとも、宇津田先生はわたくしにその役目を押し付けたわけでありますけれども」

「昨日、千佳が来ていたの?」

「洋館の中までは入ってこなかったそうですけれども。お外でお話をされていたらしいですわ」


 昨日、怜美さんから写真を貰った後に外の景色を確認しようと、ホールの扉を開けた時に亡者が一人いた。あれはひょっとして、着ぐるみを脱いだ宇津田さんだったのだろうか。あの時間に他人の敷地内に入り込むなんて泥棒くらいだろうし。


「さてはて、これでわたくしの条件は済みました。もうわたくしの口から語ることはございません」

「怜美さんの条件……?」

「あらあら、覚えていらっしゃらないのですか。意外と鳥頭さんなのですね」

「だ、誰にだって忘れることくらいあるもん」


 むっとして怜美さんを見つめると、彼女はくすっと笑った。


「ごめんなさい。条件というのは結乃さんの考え事のお手伝いをさせて頂くということですよ」

「あ、そうだ。それでその条件の報酬が……」


 《黄泉大神の詛呪》によって私を死者側へと移し、人間を亡者として見せるようにした元凶。怜美さんたちにそういう風に振る舞うように宇津田さんに頼んだ張本人。

 思えば、初めからだ。

 わけのわからない怪談話を実行しようと言ったのも千佳なんだ。

 私がこんな理不尽に巻き込まれた全ての原因。

 私の親友だった人。

 会って直接話をしないと。

 千佳から真意を聞きたい。


「お教えしましょう。――辻堂千佳の居場所を」

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