第19話 私の世界
私が寝坊したので朝食を終えたときの時刻は朝の十時頃だった。
少しついて来てくださいまし、と怜美さんが私を洋館から連れだしてから三十分ほど経っているので今の時間は十時半くらいだろうか。
もちろん外には亡者がいるので、辺りを警戒して歩いている。
――私だけ。
「隠れて、怜美さん」
「あらあら」
亡者が向こう側からやって来ているのが見えたとしても、怜美さんは涼しい顔をしてそのまま歩こうとする。そんな彼女を私は慌てて引っ張り、近くの木陰に身を隠した。
亡者は私達に気付かず、そのまま素通りしていく。
私はホッと胸を撫で下ろし、怜美さんは小さく欠伸をして道路に戻った。
「それにしても、その姿暑くないの」
珠江ちゃんを初めて見た時も長袖長ズボンで暑そうだとは思ったが、怜美さんはそれ以上だ。全身は黒いふりふりのゴスロリ服で覆われているし、髪の毛の量だってかなりのものだ。
「少々暑いですけれど、日傘があるから問題ありませんわ」
日傘をさすくらいなら自分の服装について考え直した方が良いと思う。
「ここです」
怜美さんに連れられてやって来たのは村はずれの森の中にあった一軒家だった。島内では昔ながらの木造建築ばかりだったのに、この一軒家は現代風のコンクリート造りだ。外壁は黒ずんでおり、窓から見える室内も黒焦げに焼かれているのが分かった。
誰かが火をつけたのだろうか。それとも、事故か何かで燃えてしまったのだろうか。
「これを見てください」
怜美さんは玄関の隣の表札を指差した。「足摺」と名前がそこには記されていた。
「これって珠江ちゃんの……」
「そう、あの子が住んでいたお家です。今は誰も住んでいません」
「そういえば、珠江ちゃんと怜美さんと宇津田さんはどうして洋館にいるの。てっきり逃げてきた先があの洋館だと思っていたんだけど」
「あの洋館は宇津田先生の家で、あの子は孤児です。火事であの子の家族は亡くなってしまわれたので。それから――」
怜美さんが言ったことを纏めると。あの洋館は宇津田さんが所有している児童養護施設だそうだ。地域小規模児童養護施設という既存の住宅を利用する形態のものらしい。怜美さんと珠江ちゃんは両親がおらず、宇津田さんに引き取られるということになったとのことだ。
「この家にはご両親と珠江さん、そしてその弟さんが住んでいたそうです。中に入りながら話しましょう」
怜美さんは日傘を折りたたんでスカートの裾を持ち上げながら、焼け焦げた家の中へと入り込んでいった。
私も遅れずついていく。家の中は焼け焦げて壁や天井が落ちてきているのもあるが、それ以外にも燃え焦げて黒ずんだものが転がっていた。床が抜けてしまったり、危ないものを踏んでしまわないように注意しながら進んでいく。
「怜美さんはどうして火事になったのか知っているの?」
「タバコが原因だったと当時の新聞には書かれてありましたわ。直接、あの子に確認したことはありませんが……」
階段を上っていき、左に曲がった先にある扉の前で足を止めた。扉を押すと異音を立てながら開いた。
「ここが珠江さんの部屋だったところです」
この部屋にも火が回ってきていたようで、四方の壁はもちろんのこと、天井までも黒く焼け焦げたりしていた。火事があった当時のままのようで、机やベッドも黒く焦げたままのものが放置してあった。
部屋全体が炎と煙に包まれた、その時の情景がまざまざと思い浮かべられる。
「珠江さんは火事の時、家にいたそうです」
「だ、大丈夫だったの?」
「大丈夫……その言葉がどのような意味を持つのかは分かりませんが……少なくてもあの子は結乃さんが会ったように生きてはいます」
「あっ、そういえばそうだよね」
助かったのは幸いだが、両親と弟を失ったことは珠江ちゃんの心に大きな痛みを残しただろう。そんな珠江ちゃんの境遇を知っているなら、冷たく当たらないであげればいいのに。そういう子供には優しく接して、心の傷を癒してあげるべきだ。
「ねぇ、結乃さん」
「なに?」
そんなことを考えていると、怜美さんが声をかけてきた。
「ここに来た理由、覚えていますか」
「ええっと……」
「ふふっ……結乃さんの考えていることのお手伝いをさせてもらいに、ですよ」
「ああ、そうだった」
無残にも焼け焦げた一軒屋と、そこに珠江ちゃんが住んでいたということに気を取られてしまっていた。
「それって珠江ちゃんの家に来ないと話せないことだったの?」
「八割ほどは、そうですわ。立ち話もなんですし、座ってお話ししましょう」
座ると言っても、椅子どころか部屋にある全ての物は焼け焦げていているし、床も似たような感じだ。おまけに埃っぽいし、話すとしても外の方が良い。服も体も汚れてしまう。けど、怜美さんはそんなこと気にもしていない様子で壁に寄り掛かるように腰を下ろした。それから隣の床をポンポンと叩く。
ここに座れということらしい。
まあ、洋服は結構汚れていしまっているから今更気にしても仕方ない。
少し距離を置いて、怜美さんの隣に座った。
「あの子は火事で全てを失いました。血の繋がった家族、住居。自身も炎に襲われ、その身体を焼かれました」
「それは……」
かわいそうだと続けようとしたところで違和感を覚える。もし珠江ちゃんが火傷を負っていたら、その痕があるはずだ。服の下まではさすがに見ていないが、珠江ちゃんの顔や手に火傷痕なんてなかった。それどころかあの綺麗な白い肌に憧れるほどだった。
「こちらをご覧くださいませ」
怜美さんが差し出したのは一枚の写真だった。昨日と同じようにB5用紙に印刷れている。また風景を撮った写真だろうと軽く受け取った。そして、そこに写っている光景に息を飲んだ。
この写真はつい昨日撮られたものだった。貴賓室で私と向かい合うようにして宇津田さんが座っている。私の隣には珠江ちゃんだ。私は少しイラついていたせいか、睨みつけるように宇津田さんを見つめている。その宇津田さんはウサギの着ぐるみを被っているので表情が分からない。
――そして、珠江ちゃん。
私の隣に座っている彼女の顔には火傷の痕、それから大きな瘡蓋や切り傷があった。見ていて胸が締め付けられそうなほど痛々しく。
「これで分かっていただけたでしょうか? 昨日渡した写真の意味」
「――昨日の写真の意味」
ただの日常風景が撮られた写真だ。違う日に撮ったと思ったけど、あれが本当に昨日撮られたものだとしたらどうなるのか。亡者は日によって、または他の要因で人間に戻るということなのか。怜美さんが言いたいのはそういうことなのか。
――違う。そうじゃない。
手元の写真では珠江ちゃんの顔に火傷痕や生傷があり、私が直接自分の目で見た時に傷跡一つなかった、その意味。
「――あ」
一つの可能性に思い至る。
亡者であった人間が、写真では普通の人間であること。綺麗な白い肌が写真では火傷跡が残っていること。
「わたくしが申したいことが分かりましたか」
「――私が見えている世界が……普通とは違う」
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