第18話 綺麗に焼けたパンは美味しい
翌朝、ドアが叩かれる音に目を覚まされた。
亡者が襲撃してきたのかと、慌てて飛び起きたが、ドアの向こうから聞こえる声にホッと胸を撫で下ろした。
「あ、あの……結乃お姉様……起きていますか?」
わざわざ珠江ちゃんが起こしに来たということは、寝坊してしまったのだろう。部屋の中に時計がないので、扉の先にいる珠江ちゃんに尋ねたら教えられていた朝食の時間から三十分も経過していた。
どうやら寝すぎていたらしい。
自凝島に来てから安心して眠られることもなかったし、昨晩は色々とあったのでかなり疲れてしまっていたのだろう。
「あ、あの……朝ご飯の時間……」
「あー……ごめん……すぐ行くから先に行って待っていてくれる?」
「お、お部屋の前で待ってます……」
「あ、うん、ありがと」
欠伸をしながら珠江ちゃんにそう返した。
場所は分かるし、部屋の前でわざわざ待っていてもらう必要もないけど、珠江ちゃん自身が待つと言っているのだから無下に断る必要もないだろう。
いつもの習慣で部屋のカーテンを開く。
窓の外に映る風景に吐き気がして、私はすぐさまカーテンを閉めた。
赤黒い空はいつまで立っても見なれることはない。
アメリカのお菓子で青とか紫とか緑とかカラフルな色をしているケーキをネットで見たことがある。アメリカ人にとってはそれが普通かもしれないけど、その画像を見ただけでその日の晩御飯を食べられないくらい気分が悪くなった。
部屋干ししていた洋服の袖に腕を通した。
まだ臭いが残っているけれど、わがままを言ってはいられない。
怜美さんに服を借りようかと考えたけど、どれもゴシックロリータ風の服だろうし、私が着られる服なんてなさそうだ。かといって珠江ちゃんの服は小さいし、宇津田さんのウサギの着ぐるみは論外だ。
部屋のドアを開けると珠江ちゃんが子犬のようにちょこんと立っていた。
「ごめんね、寝坊しちゃって」
「き、気にしないでください。ダイニングへ行きましょう」
廊下を出て、一階へ降りてから、玄関ホールへ。
そこからダイニングに入ると、怜美さんと宇津田さんが既にテーブルについていた。テーブルは細長いため、二人だけしか座っていないとかなり寂しい。私と珠江ちゃんが座ったとしても、まだ席がいくつか空いてしまう。
「おはようございます、結乃さん」
「やあやあ、おはよう」
怜美さんは今日も暑そうなふりふりのゴスロリ服を着ているし、宇津田さんはウサギの着ぐるみを被っている。その着ぐるみを被ったままご飯を食べるつもりなのだろうか。どうやって食べるのか気になる。
「おはよ」
私は二人に適当な返事をしてから、珠江ちゃんから案内された席に腰を下ろした。
テーブルにはトーストが乗っている。狐色に程よく焼けていて美味しそうだ。思えば、最近まともな食べ物を食べていなくて、普通のトーストでさえ一層美味しく見える。
「さあ、食べようかー」
宇津田さんがそう言うので、私は手を合わせた。
テーブルの上にはトーストの他にマーガリン、イチゴジャム、ぶどうジャムが置かれている。
私は自分の席から一番近くにあったイチゴジャムを手に取った。
蓋を開けて、私は顔をゆがめた。
――腐っている。
ジャムの色はイチゴの赤色というより、青黒くなっているし、臭いも放置した生ごみのような臭いがする。ぶどうジャムとバターも確認してみたけれど、こっちも同じような感じだった。
「これ腐ってるよ」
「はわわ、ご、ごめんなさい! 冷蔵庫に片付けてきます!」
珠江ちゃんは慌てるように手に取って席を立って、キッチンへと続く扉へと入っていった。腐っているのだから冷蔵庫に入れるより、捨てた方がいいんじゃないだろうか。
「あっ……」
そういえば、キッチンで珠江ちゃんが亡者に食べられている姿を私は見たんだった。夢だと言われたけど、例え夢だったとしても鮮明に記憶の中に残っている。もしかしたら珠江ちゃんは戻ってこないのではないかと不安に思ったが、すぐに戻ってきて席に着いた。 ホッと胸を撫で下ろし、私はトーストに齧り付いた。
外はカリッと焼けていて、中はふんわりと弾力がある。何もつけていないゆえに、トーストそのものの味がしっかりと口の中に広がる。
久しぶりのまともな食事ということもあってか、ただの食パンなのに下手な高級料理よりも美味しい。
「満足して頂けているようで嬉しいですわ。それは私が作った物ですのよ」
「怜美さんが作ったの?」
「はい、結乃さんがご朝食をお召し上がりになるとお聞きしまたので。上手に出来たと自負しておりますわ」
「そう、ありがと」
トーストを焼くだけに上手も下手もない気がする。作ってもらっておいて、文句は言う筋合いもないので、私はお礼だけ述べておいた。
「ん……?」
トーストを食べ終わる頃に気付いたのだが、宇津田さんが一口も食べていない。隣の珠江ちゃんも同様だ。
せっかくの朝食なのに食べているのは私と怜美さんだけだ。
「うううん……」
宇津田さんは唸るだけでトーストを見つめている。
「あぅ……」
珠江ちゃんも同様だ。トーストと睨めっこしているだけでまったく手が動いていない。 お腹が空いていないのだろうか、と思っていると宇津田さんがこちらを向いた。ウサギの感情のない目が私を貫き、小さく悲鳴を上げてしまう。
「……これ食べる?」
「……え?」
「いやさあ、お腹いっぱいなんだよね。昨日、食べすぎちゃってさあ。本当だって、お腹が破裂しそうなくらいさ。子ウサギが生まれそう。いやいや本当」
そんなことを言いながら宇津田さんは器用にお皿を持って席を立った。
テーブルを回ってこっちに来たと思ったら、持ってきたお皿を私の前に置いた。勿論、そのお皿の上には手を付けていないトーストがある。
「結乃くんにあげる」
そう言い残して、宇津田さんはダイニングから飛び出していってしまった。
お腹も空いていたし、貰えると言うのなら嬉しいけれど。
「あ、あのぅ……」
宇津田さんのトーストに手を付けた瞬間、珠江ちゃんが私に話しかけてきた。まさかと思っていると、
「た、珠江の分も食べてくれませんか……?」
申し訳なさそうに言いながら、上目遣いで私を見つめていた。
「珠江ちゃんもお腹いっぱいなの?」
「い、いえ、そういうわけではなくて……その……」
「体調が悪いとか?」
「そ、そういうわけでもなく……」
私は首を傾げた。
他に食べられない理由なんてあるのだろうか。
珠江ちゃんの前にあるトーストも程よく焼けていて美味しそうだ。いくら怜美さんでも黒こげに焼いたトーストを渡したりはしていない。
他に食べられない理由があるとすれば体質とかだろうか。
「別にその子、小麦粉アレルギーとかではないですわ」
「ああ、そうなんだ……ていうか、なんで私の考えてたこと分かったの?」
「そのようなお顔をされていましたので」
ううむ、私はどんな顔をしていたんだ。
「あ、あのぅ……そのぅ……」
珠江ちゃんはおろおろと視線を泳がせいる。見ているだけで、可哀想だ。
「ほら、こっちに持ってきて。私が食べてあげるから」
「あ、ありがとうございます……」
珠江ちゃんはお皿を持って私の席までやって来た。それから申し訳なさそうにお皿を置いて、怜美さんを横目でチラリと見た。
怜美さんは気付いていないのか、それとも無視をしているのか、トーストを小さく齧っているだけで何も言わなかった。結局、珠江ちゃんも怜美さんに声を掛けることなくダイニングを出て行ってしまった。
「うーん……トーストが三つ……」
一つはもう食べ終わるから、残りは二つだけれど、ジャムやマーガリンがなくて、そのままの味というのはきつい。
「贅沢を言ってちゃダメだよね。食べられるだけ感謝しないと」
亡者が蔓延っている世界なんだ。食料事情もこれから厳しくなってくるだろうし、電気だっていつ使えなくなっても不思議じゃない。
一つ目のトーストを飲み込み、二つ目のトーストに手を伸ばした。
「結乃さん、この後お暇でしょうか」
「うーんと、暇じゃないかな。色々考えたいことがあるし……」
私はトーストを口に運びながら答える。
洋館に残るのか、ひとまず自分の住んでいた町を目指して船を探すのかとか。
「でしたら、好都合ですわ」
「え、考えたいこととかあるって言ったんだけど……」
「ですから、好都合だと言っているのです。結乃さんのお手伝いが出来るのですから」
「お手伝い?」
私はいったんトーストをお皿の上に置いて、怜美さんを見つめる。
「昨晩の写真だけでは、亡者の正体が分からなかったようなので。もっと分かりやすくお教えしてあげようかと」
「今日撮ってきたとか言っておいて、実はだいぶ昔に撮った写真のこと?」
「あらあら、そう勘違いしているのなら、今日撮ったという証拠をお見せするとお伝えしたではありませんか」
「もうそういうのいいから。怜美さん、そうやって私をからかって楽しいの?」
私は置いたトーストを再び口に運び込んだ。
怜美さんは何も言い返さず、私を面白そうに見つめている。
それがなんだか、親が反抗期の子を温かく見守るような視線で気持ちが悪かった。早くトーストを食べて、部屋に戻らせてもらおう。
「――――――――――」
「――――――――――」
「…………怜美さん、食べ終わったなら部屋に戻れば?」
「それでは、コーヒーでも飲んでいますわ」
怜美さんは席を立ってキッチンへと続く部屋へと入っていった。
コーヒーカップを二つ持ってダイニングへと戻ってきた。
「結乃さんもどうぞ」
「……ありがと」
私は黙々とトーストを食べて、怜美さんは静かにコーヒーを飲んでいる。私がパンを食べる音と、怜美さんがたまにコーヒーカップをお皿に置くときの音しかダイニングに響かなくなった。
やっと私が三つ目のトーストを食べ終わった時、それを待っていたかのように怜美さんは一人の女の子の名前を呟いた。
「――辻堂千佳」
「……千佳がどうしたの」
なぜ怜美さんが千佳の名前を知っているのかと一瞬不思議に思ったが、そういえば以前私から千佳がどこにいるか訊いていた。
「結乃さんの大切なご友人だそうですね」
「友人……違う。友達だったってだけ」
「ですが、どこにいるかくらいは気になりませんか」
「知ってるの?」
「ええ、知っていますわ。教えて欲しくはなくて?」
「別に……」
知ったところでどうするのだ。
千佳は私に嘘を吐いていた。私を騙していたのだ。
そんな奴が今どこにいようと私の知ったことじゃない。
――でも、気にならないというとやっぱり嘘だ。
だって、千佳とはずっと友達だった。
どうして嘘を吐いていたのかも気にならないわけがない。
喧嘩別れしないで、少しは千佳の話を聞いてあげるべきだったんじゃないかと心の奥底で思ってもいる。
知っておいて損をすることはないだろうし、場所だけでも聞いておいてもいいかもしれない。
「教えて」
「ふふふ、よろしくて。その代りといってはなんですが、条件を申してもいいでしょうか」
「……何?」
嫌な予感しかしない。
どんな条件を叩きつけられるのかと身構えてしまう。
怜美さんは飲み終わったコーヒーカップをお皿の上に置きながら、こう言った。
「先ほども申した通り――結乃さんの考え事のお手伝いをさせてください」
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