第17話 分からないことだらけ

 あてがわれていた部屋に行くために玄関ホールから階段を上ろうとしていると、階段の最上段に腰掛けている人物が見えた。黒を基調としたゴスロリ服、腰まで伸びた白髪。特徴的な風貌をしているのですぐに誰だか分かった。


「怜美さん……」


 私がその名を呟くと怜美さんは音もなくゆらりと立ち上がり、珠江ちゃんは私の背中に隠れた。


「ごきげんよう、結乃さん。寝ずに帰りを待ち続けたかいがありましたわ」

「……何か用なの?」

「ええ。どうやら状況も変わったようですので、結乃さんの力になれることが増えました。貴方とわたくし、同じ現実を見る者として、亡者の正体をお教えしましょう」

「――し、雫喜さん!」


 突然、珠江ちゃんはびっくりするくらい大きな声で叫んだ。私の背中から顔をのぞかせて怜美さんを見つめている。

 明らかに怜美さんの顔が嫌悪のそれへと変わった。僅かに顔を出していた珠江ちゃんは小さく悲鳴を上げて私の背後へと再び隠れた。


「貴方は黙っていてください。大丈夫です、約束は守ります。だから、わたくしに話しかけないで下さい。わたくしは貴方のことが蛆虫よりも嫌いなのですから」

「はうう……」

「わたくしは嘘が嫌いです。嘘を体現した嘘つきさんである貴方には話したくもありませんし、話すこともないでしょう」

「ちょっと怜美さん、そんなにきつく当たらなくてもいいじゃない。珠江ちゃんが何をしたって言うの」

「嘘を吐いているのです。いえ、嘘を見せているとでも言うのでしょうか。それはわたくしだけではありませんよ。結乃さん、貴方にもです」

「私にも?」


 珠江ちゃんに視線を向けると、彼女は首を横にふるふると振って否定した。


「一つは仕方ないかもしれません。それは怒っていません。わたくしが許せないのは、昔、わたくしに嘘を吐いたこと。そして、今もなおわたくしに嘘を見せていること。結乃さんにも同じようにしていること」

「た、珠江は……嘘なんて……」


 珠江ちゃんは何かを言い返そうとしたが、語尾が小さくなっていき、結局は言い淀んだ。その姿を見た怜美さんは鼻で笑った。


「本当の嘘つきは自分が嘘を言っているとすら分からないものですからね。いいですわ。それが貴方の見えている世界というなら、わたくしはそれを否定するだけです」


 怜美さんは切り捨てるように告げる。珠江ちゃんは私のスカートの裾をぎゅっと握るだけで言い返そうとはしなかった。


「ほら、怜美さん。それで、亡者の正体って何なの」


 珠江ちゃんが悪く言われて追いつめられている様子は気分が良くないし、話題を戻すように促した。


「ああ、そうでしたわね。わたくしに出来ることはこれくらいしか出来ないのですが……」


 そう言って怜美さんがポケットから取り出したのはB5用紙に印刷された複数の写真だった。デジタルカメラかスマートフォンで撮ったものを印刷したようだ。

 どこか高台から撮ったのか村が写っていた。どこかの田舎の写真のようだ。撮った時間は昼頃のようで綺麗な青空が広がっている。木造の一軒家が立ち並び、道路には二人の老人が話していた。

 もう一枚の写真を見てみる。

 今度はどこかの家を近くで撮ったもののようだ。

 庭で母親らしき人物が洗濯物を干しており、その周りを男の子が走っていた。日常風景を撮った写真で特に変わったところもない。

 他の写真も、魚釣りをしている人がいたり、お買い物をしている人がいたり。そんなつまらないどこにでもあるような光景だった。

 しかし、最後の一枚の写真を見て、手が止まった。

 古臭い一軒家が写っている。七十代くらいの老人が犬と玄関を出てくる瞬間の様子を撮っていた。散歩をしようと出かけようとしているのだろう。これもありふれた光景の一つだ。

 ――この家に見覚えがある。

 千佳と自凝島に来た時に最初に見た家――初めて亡者と接触した家だ。老人が亡者になってしまう前に撮られたものなのだろうか。

 亡者の正体を教えてくれるということだったけど、これらの日常風景を撮った写真を見せて何を教えたいのか。怜美さんの意図が読めずに、私は顔を上げた。


「それ、今日、撮ってきましたの」

「え?」


 私はもう一度写真を見てみる。

 そこには変わらず、一人の老人と一匹の犬が写っている。じっくり見たところで老人の皺が増えるわけでもなく、犬が走り回ったりもしない。他の写真も変わり映えしない日常的な風景だ 。

 だからこそ、今日撮ってきたというのは不自然だ 。

 空は赤黒くもなく、見覚えのある家に映っている老人は亡者の姿をしていない。この写真が今日撮ったものだとしたら、私が会った老人は亡者から普通の人間に戻ったということになってしまう。


「わたくしが結乃さんに伝えられることは残念ながら、これくらいです。大変、申し訳なく思いますわ」

「こ、これは本当に今日撮ったものなの……?」

「昔に撮った写真を今日撮ってきたとほらを吹いているのではということでしょうか。今日撮ってきたという根拠をわたくしは万の言葉を以てお伝えすることが出来ますわ。しかしながら、今日はもう眠りにつく時間です。それでは、おやすみなさいませ」


 良い夢をと言い残すと、一方的に会話を打ちきって、怜美さんは個室へと続く廊下へと向かっていった。

 扉を閉じた音に、私は我に返って階段を急いで駆け降りた。玄関ホールにある外へと続く扉の前に立つ。怜美さんが言っていることが嘘だったら、空は赤黒いままのはずだ。数時間前までのものと変わらず。

 私は扉の鍵を外して、外を覗きこんだ。


「――――――――っ」

 

 そして、すぐに閉めて鍵をかけた。

 怜美さんが言っていたことはやっぱり嘘のようだ。私の瞳に映った空は赤黒いままで、庭をふらふらと歩く亡者の姿もあった。腐りかけた肉体や顔は見ているだけで吐き気がする。

 先ほど怜美さんが見せてきた写真は今日撮ったものではないのだろう。私をからかってどうしたいのだろうか。


「うう、怖かった……」

 

 階段に戻ると、珠江ちゃんは怜美さんがいなくなったことに安心してホッと息を漏らしていた。


「結乃お姉様はやっぱり優しいです……珠江なんかを庇ってくれるなんて……結乃お姉様と警察官のお兄さんだけです。珠江にこんなに優しくしてくれる人なんて……」

「私と、警察官の人だけ?」

 

 それはつまり、怜美さんだけでなく、他の人も珠江ちゃんに意地悪な態度を取るということなのか。


「はい……珠江は少し見た目が変わって……いますので……」

「その……金髪とか?」


 珠江ちゃんの艶やかな長い金色の髪の毛に目をやる。白い肌も日本人というより、白人に近いように見える。


「珠江の祖父は外国人だったそうで……それが隔世遺伝というものをしたそうなのです。白人のような見た目は日本では珍しいので、それでみんなは珠江のことを……」

「見た目なんかで苛めるなんて……」


 私がそう言うと、珠江ちゃんはぶんぶんと首を横に振った。


「苛められているというわけではないです。珠江によそよそしいというか、遠慮しているというか……そんな感じで……。ええっと、普通に接してくれるのが結乃お姉様と警察のお兄さんだけということで……」

「そうなんだ……」


 警察のお兄さんについて訊いてみようかと思ったが、警察亡者のことを思い出してやめておいた。あの人が珠江ちゃんの言う警察のお兄さんではないと言い切れない。


「だからだから、珠江に優しくしてくれる結乃お姉様と警察のお兄さんは大好きです!」

「あはは、ありがとね」

 

 珠江ちゃんの頭を撫でであげると、小動物のように嬉しそうに微笑んだ。それが可愛らしくて、私はしばらく頭を撫でてあげた。



◇ ◇ ◇



 珠江ちゃんと廊下で別れて、あてがわれた部屋に入った。

 ベッドの上でこれまで起こったことを思い返して整理してみる。

 千佳と学校で流行っている怪談話を実践したら、自凝島に飛ばされてしまった。そこでは、本土よりも少し早く亡者が蔓延っていた。千佳を探しに洋館へと行く途中で、警察の亡者に襲われた。洋館へと辿りついた私は怜美さんによると貴賓室に通されて、いくつか会話した後に倒れた。目を覚まして、しばらくすると千佳と再会して、言われるまま道陸神社へと向かった。そこで亡者ではない雨合羽の子供に襲われ、たまたま落としたお母さんの手帳で千佳が私を騙していることに気が付いた。それから宇津田さんから、ここが別の世界でも未来の世界でもないことを教えてもらった。

 事実だけを纏めるとこんなところだ。

 いくつか疑問がある。亡者が現れた原因とお母さんが殺された理由はなんだろう。

 亡者についてはウィルスが漏れた、そういう呪い、寄生虫、精神病。この辺りくらいは想像出来るが、どれが正解か、それともこれ以外の答えかがあるのか。それはただの女子高生である私には分からないし、真実を追い求める勇気も度胸もない。

 お母さんが殺された理由については見当もつかない。新聞には刃物で複数回刺された、と書いてあったから亡者に喰い殺されたわけではない。人間に殺されている。

 亡者が現れて、パニックになった人がお母さんを殺したのだろうか。例えば、お母さんが亡者になりかけていて、それを止めるために誰かがお母さんを殺した。まだ亡者の存在が知れ渡っていなかったため、普通の殺人事件として報道された。

 そんな可能性も否定できない。

 事実だけに目を向けるのであれば、私がお母さんと最後に会ったのは千佳と怪談話を実行するために家を出た時。あの時までお母さんは生きていた。その後のどこかでお母さんは殺されていた。


「――そういえば」


 あの時、家を出てしばらくしてから忘れ物に気付いたと言って、千佳は私の家へと戻っていた。


「それは……ない……と、思う」


 言い訳をするかのように声に出して言った。

 小さい頃からお母さんと千佳は知り合いだった。一緒に晩御飯を食べたことだって何回もある。お泊り会だってした。両親のいない千佳をお母さんは凄く気にかけてくれている。

 千佳もそれを嬉しく思っていると話してくれたことがあった。


「分からない……分からないことだらけ……」


 私は大きくため息を吐いて、目を閉じた。


「お母さん……」


 せめて悪夢を見ないで欲しいと願わずにいられない。

 こんな時こそ、現実を忘れられるような楽しい夢を、苦しい現実を塗り替えるような夢を見させてほしい、

 そう思いながら、布団に体を預けた。

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