第14話 どうして嘘を

「――これって」


 手記に書かれているゾンビというのは私と千佳が亡者と呼んでいる存在のことに違いない。洋館というのもついさきほどまでいたものと同一のものなのだろうか。

 他のページにはこの日以降のことはなく、他のページは白紙か殴り書いたような文字で部分的にしか読み取れない。

 はっきりと分かることは書かれたのが平成十一年五月であること。書き手と霞ヶ浦と久美子という人物が私と同じようにこの世界に迷い込んだということ。私の誕生日は平成十二年の二月なので、私が産まれるより数か月前の出来事のようだ。


「――千佳、どうして嘘を」

 

 千佳が言っていた手記というのはこれのことで多分間違いない。書き手も私と同じように迷い込んだみたいだし、元の世界に戻ろうとして同じ神社と思われるところを目指している。

 私は手記を持ってきたのかと尋ねて、千佳は洋館に置いてきたと答えた。千佳が言っていた手記と手元にある手記が別のものではないか読み直すけれど、内容的に違うものとは思えない。

 私を不安にさせないためにあえて嘘をついたのではないかと考えてみるけれど、書かれていることは私と同じ境遇の人がいたんだくらいなものだ。怖がるようなものでもない。

 ――ふと、千佳が嘘をついた正当性を探している自分に気が付いた。

 だって、信じたくなかった。千佳は大切な友達で喧嘩もするときはあるけど、それでも仲直りをしていつも一緒にいた。私よりも勉強ができて、スポーツもできて、自分の意見や意志をしっかりと持っていてかっこよかった。

嘘をつくというのは騙そうとしたということだ。亡者に喰い殺されるかもしれない世界、命の危険がある状況で。

 やっぱりそれでも私は千佳のことを信じたかった。信じる根拠が欲しくて、ページを何度も捲ったりしているうちに手帳の裏表紙を見た。

 そうしてそこに書かれている名前を見て、この手帳を書いたであろう人物の名前を見て、息をのんだ。


「――お母さん」


 小坪真由美と黒い文字でしっかりと書かれている。学校に提出するプリントに書いてくれたお母さんの筆跡と同じだ。


「どうして……なんで……」

 

 お母さんの名前が書いてあること、お母さんが私と同じような体験をしていること。混乱して、頭の中がぐしゃぐしゃになるみたいに考えがはっきりとしなくて、それが意味することが私には分からなかった。

 けれど、一つだけはっきりしていることがある。

 千佳はこの手記が私のお母さんが書いたものだと知ったうえで、私に黙っていた。手帳を持ってきていないとも嘘をついた。

 ――私を騙そうとしていたということだ。

 無数に連なる鳥居を覗く。呑み込まれそうな深い闇が広がっている。雨合羽の子供の襲撃がなく、あのままついていってしまっていたらどうなったのだろう。闇の底にまで引きずりこまれて一生出られなくなってしまっていたのだろうか。


「すまねえ、あの餓鬼逃がしちまった」

 

 数分後、千佳は頭を掻きながら申し訳なさそうに戻ってきた。傷一つないのを見て、ホッとする。雨合羽の子供が襲ってきた理由は分からないが、誰かを探している、もしくは殺そうとしているようだった。

 だから、千佳がいつものように戻ってきたのには素直に安心した。

 同時に、あまりに普段通りすぎることに困惑した。


「どうしてなの。ねえ、どうして……」


 クラスメイトや珠江ちゃんや怜美さん、宇津田さんに嘘を吐かれるならまだ耐えられる。ずっと一緒にいた千佳に嘘を吐かれる――裏切られるのには耐えられない。

 ずっと一緒にいた親友であり、尊敬する人物でもあった。千佳のように勇敢になりたいとどれだけ祈っただろう。でも、私は千佳ではない。せめて一緒にいるだけで良かった。

 一緒にいれば、彼女の強さを身に着けられると思った。


「バカ……嘘つき……バカ……」

 

 途端に涙が溢れてきた。

 悲しいのか怒っているのか、苦しいのか寂しいのか。 自分の感情が分からない。ぐしゃぐしゃに混ざり合って、分からなくなって、涙が溢れてくる。涙は地面を濡らし、嗚咽は行き場のない私のように辺りに散らばった。


「お、おい……どうしたんだ」

「来ないで!」

 

 心配そうに近寄ってくる千佳に叫ぶ。

 ぴたりとその場で足を止めた千佳は呆れたように私に言葉を投げかけた。自分の泣き声でよく聞こえないけど、俺は亡者じゃないぞとかそういったことを言っている。

 平気でしらばくれる千佳に手帳を突き付けた。裏表紙――小坪真由美と名前が書いてある方を。ひょっとしたら暗くて文字までは見えないかもしれないけど、手帳を私が持っている意味合いは千佳も理解したはずだ。


「全部、読んだよ」

 

 私が産まれる前のできごと。お母さんからこのことを聞いた覚えはない。話したくなかったのか、話す必要がないと思っていたのか。

 どちらにせよ、私が無事に産まれていることを考えると、お母さんはちゃんと元の世界に戻れたようだ。


「千佳は元の世界に戻る方法を知っているんだよね」


 そうでなければ、この神社に来る理由がない。


「ああ、知ってる」


  千佳は答えた。


「知っている。だから、一緒に行こう。元の世界に帰るんだ」

「……信頼出来るわけないじゃない。どうして教えてくれなかったの。どうして嘘を吐いたの」

「それは……」

 

 千佳は初めて言いよどんだ。


「ほら、やっぱり言えない理由があるんだ」

「そうじゃねえ、ただお前を怖がらせたくなかったから……」

「嘘はもういいよ……。私は自分自身の力で元の世界に戻る。千佳は元の世界に戻る方法を知っているなら、一人で帰ればいいじゃない。私のことなんて放っておいてさ」

「結乃……俺の話を聞いてくれ」

「聞かない! 嘘つき! 千佳なんて友達でもなんでもない!」


 私は千佳の言葉を切り捨てて走り出した。

 道を下りるためには千佳のいる隣を走り抜けなければならなかったが、俯いて走り抜けた。

 本当は少し引き留めてくれることを期待していた。嘘を吐いても私のためなのもしれないという考えを捨てきれないでいた。もしそうであれば、千佳は私を引き留めてくれる。

 けれど、隣を走り抜ける私に対して千佳は何も言わなかった。


「……バカ」

 

 それが悲しくて、私は足に力を入れた。

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