第13話 亡者よりも怖いのは

「廃屋にいろって言ったのに、どこに行ってたんだよ」

「千佳が全然戻ってこないから心配して……日が落ちても戻ってこなかったし……」

「俺なら大丈夫だって言ってるだろ。まあ、戻れなかった俺も悪いな。とりあえず、ここから離れよう」

 

 千佳は警戒するように辺りを見渡した。廊下には人影はなく、部屋から誰かが出てきそうな気配もない。


「千佳、ここには亡者はいないらしいから、そんなに警戒しなくていいよ」

「亡者がいなくても人間はいるだろ」

「そりゃあ、人間はいるけど……」


 怜美さんと珠江ちゃん、それから宇津田先生の顔を思い浮かべる。


「亡者よりも生きている人間の方が怖いんだよ。亡者は見えるが人間の悪意ってやつは見えないもんだからな。悪意が現実に姿を現したときには手遅れになってる」

 

 ついてこい、と千佳は二階の廊下からホールへと抜けた。階下に誰もいないことを確かめて降りていき、ホールから外に出た。

 外は真っ暗で月明かりくらいしか灯りがない。踏み出せば飲み込まれそうな闇が広がっている。ベッドで寝ていた時に宇津田さんから十八時と言われたから、今は二十時くらいだろうか。


「千佳は今までどこにいたの」

「ずっと洋館にいた。探索していると、物音と人の話す声が聞こえてきてな。様子を探っているとお前が運ばれていたのが見えた。危害を加えるようでもなかったが、知らねえやつのことを信頼するわけにもいかねえから、目が覚めるまで待っていたってわけだ」

「そうなんだ……心配かけてごめんね」

「気にすんな。それにこんなバカげた世界ももう終わりだ」

「それって――」

 

 千佳は廃屋から洋館に向かった時に元の世界に戻る手がかりを見つけたと言っていた。

 それで帰ってこなかったから私は一人でこの洋館に来たのだ。


「お前の期待する通り、元の世界に戻る方法――手に入れたぜ」


 千佳が言うにはこの洋館の北東5キロメートル先にある神社で儀式をすればいいそうだ。

 私たちがこちらの世界に来たのは橋を使っての儀式だった。道陸神社がすぐ先にはあったけど、そっちには足を踏み入れてはいない。

 それとなく千佳に訊いてみたら、知るかよ神様に訊いてくれと茶化すように返された。


「大丈夫か、結乃」

「う、うん……大丈夫だよ……」

 

 洋館を出発して一時間ほど経過した。時間が分かるものが手元にないので体感時間ではあるが大幅にずれていることもないだろう。

 千佳は手書きの地図と道を見比べながら道を選んでいった。スマートフォンがあれば、地図のアプリを開いて自分の場所を確認しながら進めるのにアナログはなんとも不便なものだ。

 今は大きな道路から脇道にそれて、藪で囲まれたところを歩いている。地面はコンクリートで固められているけど、あまり人が通らないのか、通らなくなってしばらく経っているのか、ひび割れが激しい上に隙間から草が生えてきている。街灯はなく、灯りは千佳が洋館で見つけたという懐中電灯だけだ。


「ねえ、千佳。この世界って何だったと思う? 洋館にいる人たちには十年後の未来だって言われたんだけど……」

「結乃はそれを信じたのか」

「少しくらいは……」

「言われるがまま納得したのか」

「違うよ。十年後の日付の新聞紙を見せられたの」


 その時の記憶と怜美さんが言っていた私が倒れた経緯とは違うけれど、珠江ちゃんもここが平成三十七年だって言っていた。

 怜美さんの言っていたことが正しいと仮定するなら、その時に新聞紙を見せられて、夢の中に出てきてしまったということなんだろう。


「――フィッシングサイトって知ってるか」

「なにそれ」

「一昔前に流行った詐欺だよ。例えば、アカウントの期限が切れているから更新してくださいってアドレスと一緒にメールが送られてくる。で、サイトを開いてアカウント情報を入力するわけだが、サイト自体が本物そっくりの偽物で詐欺師に情報を抜き去られてしまうってやつだ。本物っぽい偽物なんて簡単に作れる」

「新聞紙が偽物だってこと?」

「俺はそれを見てないから分からんが可能性としてはありえるかもな。それにこの世界が何なのかなんて元の世界に戻るんだから、どうだっていいだろ」

「でもでも、十年後に人を喰べる亡者がいるなら元の世界に戻ったところで意味ないんじゃ……」

「十年後ってのを信じるとしても別の世界の十年後ってこともありえるだろ。来年のことさえ鬼に笑われるっていうのに十年後のことなんて考えたって仕方ねえよ。それに安心しろ。何があっても結乃は俺が守ってやるから」

「う、うん……ありがと……」


 千佳の言う通り、まずは元の世界に戻ることに集中して、その先はそれから考えよう。


「そういえば、元の世界に戻る方法ってどうやって見つけたの」

「……最初は手記を見つけたんだ。持ち主もこの世界に迷い込んで、元の世界に戻る方法を探していたらしい。名前が書いてなかったから誰の手記かは分からんが」

「それに神社と儀式のことが?」

 

 千佳は手記には書いてなかったと首を横に振る。


「それでいったん、廃屋に戻って出かけた。お前が洋館に来てぶっ倒れている間にも色々と探し回って見つけた。この島の民間伝承の資料というか、記録したもんつうか。普通のやつが見たら、ただの怪談話のようなもんだったが間違いない。おれたちがやったのと同じ種類の儀式だ」

「その手記や民間伝承の本ってどこにあったの」

「あの洋館だって言ったじゃねえか」

「そうじゃなくて、あの洋館のどこ?」

 

 その手記や民間伝承本があの洋館にあったのなら宇津田さんと怜美さん、珠江ちゃんが何か言ってくれてもいい気がする。やはり、嘘を吐かれていのだろうか。それとも単に知らなかっただけなのか。


「手記は二階の物置部屋……というよりいらねえもんを詰め込んだ部屋にあった。民間伝承本は一階の鍵がかかった部屋にあった。書斎みたいな部屋で本がたくさんあったうちの一つに書かれてた」

「鍵がかかっているのにどうやって入ったの」

 

 私も探索しているときに鍵かかかって諦めた部屋がいくつかあった。多分、その部屋のうちのどれかなんだろうけど。


「外から窓ガラスを割った」

「わあ……」

 

 単純だけど、もっとも効果的な方法だ。てっきり鍵を見つけたのかと思った。


「その手記と民間伝承の本は持ってきた?」

「おいおい、俺を見てくれよ。バッグもねえし、わざわざ持ってきてねえよ。亡者から襲われた時に邪魔になるだろ」

「それはそうだね……」

 

 どんな内容が書かれていたか興味があったので見せてほしかったのに。


「その手記の中に誰かの名前って出てきてなかった? 例えば、宇津田とか雫喜とか足摺とか……」

「手記の中に具体的な名前は載ってなかったな……ていうか、誰だそれ」

「洋館にいた人達の名前。ウサギの着ぐるみが宇津田さん、ゴスロリ服が雫喜さん、小さい女の子が足摺ちゃん」

「ああ、あいつら、そういう名前なのか……そういえば、そんな名前で呼ばれてたな」

 

 そこで会話は途切れ、私達は黙々と道を歩いて行った。やがて平坦な道は緩やかな坂道へと変わり、コンクリートで舗装された道路も途切れて砂利道へと変わった。左右の草木が靡いて音を立てる度に亡者が現れるのではないかとビクビクしてしまう。

 洋館を急いで出てきてしまったせいで、千佳も私も身を護れそうなものは持っていない。千佳は男の子と喧嘩しても勝てるくらい喧嘩が強かったけど、それは相手が人間だったときの話だ。

 幸いなことに亡者に出会わずに目的地まで辿りついた。元々、人がよく通る道ではなかったようだし、亡者がここにいる理由なんてないのかもしれない。


「ここが……その神社かな……」

「そうみたいだ」

 

 地図を見ながら千佳は答える。

 入り口には一つ赤い鳥居が立っており、そこから奥は木材の鳥居が無数に立ち並んでいる。千佳が懐中電灯で照らす範囲でも十本くらいは見える。道は曲がりくねっていて最後まで見えないが、奥にはもっとたくさんの鳥居が立っているのだろう。

 伏見稲荷大社も無数に鳥居が立っていると聞いた。私も写真で見たことがある。あの時見た写真は規則正しく鳥居が並んでいてある種の芸術のように思わされた。

 けれど、眼前に立ち並ぶ鳥居は高さと幅は不規則で、鳥居特有の赤い色も入り口にあるものだけであり、それから奥は腐りかけた木材の鳥居。更に石畳の左右には草木が乱暴に生い茂っている。

 ――入ってしまえば、戻れなくなってしまう。

 そんな雰囲気が醸し出されていた。


「さあ、行くぞ」

 

 それなのに、千佳はいとも簡単にその鳥居の中へと足を踏み入れていた。どうして、そう簡単に入れるのか。千佳は男勝りの性格だけど、何も考えない馬鹿ではない。この異様な雰囲気を感じていないわけがないのだ。

 戸惑って足を止める私に千佳は首を傾げた。


「なにしてんだ。とっとと行くぞ」

 

 千佳は私の戸惑いに気付いていない。きっと怖い雰囲気のある神社にビビっているんだとでも思っているのだろう。

 そう、怖い。私は恐れている。正体の分からない恐怖を抱えている。どうして入れば、戻れなくなってしまうと思っているのか。それすらも分からない。

 ――分からない故に恐怖を抱いていた。

 今は千佳の行動力さえもわけの分からないもののように思えて、彼女自身が何者かが分からなくなってしまう。


「ほら、行くぞ」

 

 動かない私の手を千佳は握りしめた。その手を、その暖かい手を無意識に握り返していた。この手は間違いなく、千佳のものだ。困っている私をいつも助けてくれた千佳の手だ。 私は何を怖がって、何に怯えていたのだろう。引っ張られるように鳥居の中へと入ろうと足を踏み出そうした。


「ひっ――」

 

 黒い影が暗闇から音もなく迫って来ていた。手に握っていたものを振りかぶる。


「きゃっ!」

 

 千佳が手を放し、私を突き飛ばした。よろよろと後ろへと後ずさり、体のバランスを上手くたもてなくて尻餅をついた。


「なんだ、てめえは」

 

 千佳が睨みつける先、私が困惑して見つめる先には夜に同化するような黒い雨合羽を着た子供がいた。ただでさえ暗闇で姿を確認しにくいのに、フードを被っていて顔が見えない。背丈は私の肩辺りで、体格的にも小柄なようだ。


「おい、黙ってないで答えろ」

「――――――――――」

 

 雨合羽の子供は答えず、獲物を選ぶかのように私と千佳を見比べている。人を襲うから亡者なのかと考えたけど、亡者の動きはもっと緩慢だった。知能を持った亡者とかもいるのだろうか。

 ――亡者よりも生きている人間の方が怖いんだよ。千佳がついさっき言っていた言葉が思い出される。

 人間なんだろうか。

 そうだとしても新しい疑問が湧いてくる。なぜ、私達を襲ってくるのか。千佳の呼びかけに答えないということは暗闇で亡者と見間違えたということはありえない。


「………………ん」

 

 雨合羽の子供は千佳の方を向いてポケットから何かを取り出した。それを自分の顔の前に掲げて、千佳に見せつけている。


「なんだ、そりゃ」

 

 見せられた千佳は怪訝そうに尋ねた。

 背中を見せている今なら雨合羽の子供を襲うことは出来る。力のない私でも、私よりも身長が小さくて力のなさそうなこの子なら取り押さえるくらいは難しくない、と思う。 雨合羽の子供はやはりというべきか千佳の問いには答えず、私の方へと向き直った。

 そして、同じように地べたに尻餅をついている私に持っていた物を見せつけた。


「そ、それは――」

 

 手に握られていた物――それはマイナスドライバーだった。赤いグリップとボルスターの部分を合わせると三十センチくらいのかなりの長さだ。それ以外は特徴のないマイナスドライバーだけど、私には見覚えがある。

 廃屋から護身用に持ち出して、警察亡者に襲われたときに無我夢中で振り回して、眼窩の奥まで突き刺したものだ。


「どうして、あなたがそれを……」

 

 ――その言葉を聞いた雨合羽の子供の体が動いた。

 狂犬のように私に向かって突っ込んでくる。尻餅をついたままだった私はなすすべなく、馬乗りにされた。切っ先を私に向け、私の顔――目に狙いを定めている。恐怖と戸惑いで体が動かなくなっていた。殴り合いの喧嘩なんてしたことのない私だ。自分よりも小さな子ですら、凶器と殺意を持たれたら全身が震えて指先一本動かせない。

 このままでは眼窩の奥まで差し込まれ、目玉はぐしゃぐしゃに掻き雑ぜられてしまうだろう。激痛に赤い涙を流しながら片目の視力を奪われるのを悟る。警察亡者が苦しんでいたように。


「――千佳!」

 

 目を瞑って彼女の名前を叫ぶ。千佳はきっと間に合わない。一秒にもみたない時間で、雨合羽の子供は勢いよく振り下ろし、眼瞼を突き破ってしまう。死ぬ、かもしれない。

 じっとその時が来るのを待っていたけど、痛みは訪れない。おそるおそる目を開いてみると、数センチ先に鉛色の切っ先が止まっていた。


「……やっぱり違う」

 

 雨合羽の子供は聞き取れないくらいの小さな声で呟いた。フードに顔が隠れていて表情までは分からない。

 違う、とはどういう意味なのだろう。


「てめえ、離れやがれ!」

 

 千佳が怒鳴り声をあけながら殴り掛かろうとした。馬乗りしていた雨合羽の子供は素早く離れて距離を置く。


「誰だ」

「………………」

「黙っていたら分かんねえだろ」

 

 雨合羽の女の子は千佳の問いには答えずに振り返って逃げ出した。黒い雨合羽が夜道の中に溶けるようにして消えていく。


「――待ちやがれ!」

 

 とっさに千佳は雨合羽の子供を追いかけ始めた。


「ま、待って!」

 

 千佳一人だと危険だ。子供とはいえ凶器を持っているし、なによりまた離ればなれになるのがいやだ。

 立ち上がって追いかけようと足を動かそうとした矢先、千佳のポケットから何かが落ちるのが見えた。本人は落としたことに気付かず追いかけに行ってしまったようだ。

 どうしよもなくそれが気になって、拾い上げてしまった。


「手帳……」

 

 コンビニで売っているようなシンプルな手帳だ。青い表紙には何も書かれていない。ページ数は三十くらいだ。千佳がこんな手帳を持ち歩いているのを見たことがない。


「ひょっとして千佳がさっき言ってた手記ってやつ……?」


 でも、手記も民族伝承の本も持ってきていないって言っていた。

 ――千佳が私に嘘をついたのだろうか。

 どうして。なんのために。

 見てはいけない。中に書いてあるものを読んでしまうと決定的な何かが変わってしまう予感があった。

 手帳のことを忘れて早く千佳を追いかけべきだ。

 けれど、魅入られるように手帳を開いてしまった。



◇ ◇ ◇



平成十一年五月四日

最悪な状況だ。人々はジョージ・A・ロメロのようなゾンビばかり。動きは鈍間だが化物同士で話をしているような仕草をしている。意思疎通ができているのかもしれない。生前の行動を繰り返しているようにも見受けられる。断定は難しい。


平成十一年五月五日。

集落から少し離れた場所に洋館を見つけた。空き家なのか別荘なのか亡者は見当たらず、ひとまずここに身を潜めることにした。さんざん別世界だなんだと霞ヶ浦と話し合っていたが日本国内の島らしい。久美子と連絡がついたということはそういうことなのだろう。明日は北東にある神社へと向かうのだと霞ヶ浦は言った。現状について確認したいことがあるそうだ。久美子ともそこで落ち合うと伝えてあるそうだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る