第12話 心強い再会

 部屋は簡素でベッドと机とソファーしかなかった。机の引き出しの中には手鏡があったので自分の顔を見てみると、げっそりとやつれた私が写っていてびっくりした。毎日大切に手入れをしていた長い髪の毛は傷んでちりちりになっているし、洋服も薄汚れて変な臭いがしている。最後にお風呂に入ったのは何日前だったかも思い出せない。


「四日前だっけ、五日前だっけ……」

 

 ため息をつきながら疲れた体をベッドに預けた。布団に臭いが移っちゃうかもしれないなあ、と思いつつも疲れ切っていて起き上がる気もしない。

 今はゆっくりと休みたい。それだけしか考えにない。ふかふかの布団の感触がしだいに眠気を呼び寄せた。


「お布団で眠れるのも久しぶり……」

 

 意識をなくしてから病室でたっぷりと眠っていたはずなのに体の方は全然休まっていなかったようだ。それとも、精神的に疲労困憊なのだろうか。

 うとうととしながら、ここが十年後の世界だということについて考えてみる。将来的にこんな世界になるというのなら元の世界に戻ったところで意味がないのかもしれない。十年間という束の間の幸せを味わうのもいいとは思うけれど。


「十年後かあ……私は二十六歳かあ……」

 

 二十六歳の自分というのが全く想像出来ない。どんな仕事をしているのだろうか。結婚とかもしているかもしれない。相手はどんな人だろう。かっこよくてお金持ちの人だったらいいなあ。子供とかもひょっとしたらいるんだろうか。少し早い気もするけど、二十六歳なら赤ちゃんを産んでいても変ではない。


「うう……ううぅ……」

 

 そんな普通の人生を考えていると涙が零れていた。

 どうして私ばかりこんな目にあってしまうんだろう。私が何か悪いことでもしたのか。

 ――普通というのが羨ましかった。

 産まれたときから私にはお父さんがいなかった。同じ年齢の子が父親に駆け寄っていくのを見て寂しさを覚えていた。私だけ他の人と違うという疎外感を感じていた。

 小学校のときもなぜか私は友達が出来なかった。他の人たちは普通に仲の良い友達ができていたのに私だけひとりぼっち。クラスメイトからいじめられるようになったときも、どうして私ばかり酷い目にあうのか分からなかった。それでも休まずに学校に行っていたのはお母さんに心配させたくなかったからだ。私にはお母さんしかいなかったから。

 中学生で千佳と友達になって初めて普通に近づけたと思ったのに。


「――そうだ、千佳」

 

 千佳もお父さんがいない。私と同じ境遇なのに友達もたくさんいて、テストの成績もよくて、スポーツも上手。そんな千佳のようになりたい――今度は私が千佳を助けるんだって思ったんじゃないか。


「泣いててもだめ。やらないと始まらない」

 

 強い自分に変わろう。涙を拭って立ち上がる。大きく息を吸って気持ちを落ち着かせた。 ひとまずは千佳との合流を目指す。洋館でこの世界からの脱出方法の手がかりを見つけたと言っていたからここには必ず来ているはずだ。一日前だから廃屋に戻っているかもしれないけど、洋館内を探索すれば千佳がいた痕跡くらいは見つけられるかもしれない。


「――あら、結乃さん」

 

 部屋から出ると、ちょうど廊下には怜美さんが立っていた。人がいるとは思わなかったのでびっくりした。


「御機嫌よう。お部屋の調子はどうでしょうか」

「あっ、うん。悪くないよ」

「それは良きことでございます。必要なものがあれば遠慮なく仰ってください」

「今はないかな。怜美さんはここで何をしてたの」

 

 用事とやらはもう終わったのだろうか。それに部屋を出たときに怜美さんはどこに向かうわけでもなく、廊下に立っているだけだった。私の部屋の前で。

 監視されているかのようで、なんだか気味が悪い。偶然や思い過ごしということもあるかもしれないけど、薄暗い赤いカーペットの上で幽霊のように佇む怜美さんにはそういった印象を抱いてしまう。


「用事を終えて自分の部屋に戻っている最中でしたが、ふと結乃さんの様子も見ていきましょうと思いました。でも、お疲れのようでしたし声をかけるのはご迷惑ではないのでしょうか、そういったことを悩んでいたところですわ」

「うん、心配してくれてありがとう」

「ところで結乃さんはこんな夜中にどちらに」

「えっと……お手洗いに……」

 

 洋館内を探索しようとしていたと正直に言わないでおいた。隠れてこそこそ動くのは悪い気がしたし、怜美さんも信用されていないと快く思わないだろう。

 お手洗いの場所は一階の病室――私が寝ていたところ――のすぐ近くにあるそうだ。


「それでは困ったことがありましたら、いつでもわたくしを頼ってくださいまし。わたくしと結乃さんは仲間なのですから」

「仲間? 友達とかじゃなくて?」

「あら、わたくしのこと友達と思っていただけていたのですね。てっきり避けられているものだと思いましたので」

「う、うん……まあ、友達だと思ってるよ」

「光栄ですわ。それでは仲間であり友達ということになるのでしょう。双方は両立するものですから」

「そ、そうだね」


 怜美さんの要領を得ない言葉にひとまず頷いておく。


「そうだ、怜美さんは千佳を見てない?」

「千佳……どなたでしょう」

「苗字は辻堂っていうの。見た目は黒のショートカットでセーラー服みたいな洋服に短めのスカートを穿いてて、それからちょっと男っぽい印象かな。一緒に亡者から逃げつつ、元の世界に戻る方法を探していたんだけど……」

「さあ、わたくしは見ておりません。辻堂千佳、その名前覚えておきましょう」

 

 洋館に千佳が来ていたのなら、怜美さんと会っているかもしれないと思っての質問だったけど、そう上手くはいかないらしい。他に何かありませんかと尋ねられたので今のところはないよと答えると、怜美さんは私の隣の部屋に入っていった。隣室は怜美さんの部屋だったのか。


「よし」


 気合を入れてまずは一階に向かった。二階はどうやら個人の部屋にあてがわれているようなので、うっかり珠江ちゃんや宇津田さんの部屋を引いてしまって顔を合わせたくなかった。

 珠江ちゃんは洋館の中に亡者はいないって言っていたけど、どこかに潜んでいるかもしれないと考えると手が震えて汗が止まらない。鍵がかかって入れない部屋は放っておいて、貴賓室、廊下やトイレ、浴室、ダイニング、キッチンなどを見て回った。

 結局、亡者はいなかったとはいえ、千佳の手がかりも千佳自身も元の世界に戻る方法だって見つからなかった。


「はあ……」

 

 二階に戻ってきた私は大きく肩を落とす。運良く現状を打破するようなものが見つかるとは思っていなかったけど、本当に成果が何もないのでは先行きにも不安を覚えてしまう。


「少し休憩……」

 

 廊下の壁に背をついてその場に座り込む。神経を張り詰めて探索していたせいか、自分でもびっくりするくらい疲れていた。歩いた距離ではたいしたことないので、肉体的にというより精神的に消耗してしまったんだと思う。


「しけたツラしてんじゃあねえ」

 

 聞き覚えのある――聞きなれた声に私は顔を上げた。生気に満ちた力強い声は勇気を与えてくれて、堂々とした佇まいは私に安心感をもたらした。


「千佳ぁ……」

「ほら、とりあえず立て」

 

 差し出された手を握った。男の子みたいに少し硬い手のひら。勢いよく引っ張って私を立たせてくれた。

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